2-17_香水

ライトの胸に顔をうずめていた女が、ふと顔を上げた。

「そうだ、ちょっと待ってて」


弾むような声で立ち上がると、部屋の隅にある木製のチェストへと向かい、

しゃがみ込んで一つの引き出しを開けた。


ライトはその背中を、身体を硬直させたまま見つめていた。

腕に力は入らず、動こうにも動けない。

心臓だけが、過剰な速さで脈を刻んでいた。


女が手にしたのは、小さなガラス瓶。

中には、紫がかった液体――血液がごく少量、光を受けて鈍く揺れている。


「これ、覚えてる?あたしたちが出会った記念……一目惚れだったわ」


女はそれを胸に抱くように持ち、ゆっくりとライトのもとへ戻ってきた。

ガラス越しに透けるその色――それが自分の血であることに、ライトはすぐ気づいた。


「本当はダメなんだけど……持って帰ってきちゃったの。でも、仕方ないわよね?」


女はそう言って瓶の栓を静かに抜いた。

そこからわずかに滴った血液を、人差し指に乗せる。


そして、ゆっくりと――

まるで高級な香水でも塗り込むように、その血を自分の腕に滑らせた。


白磁のような肌の上に、淡い赤紫が線を描く。

その異様な行為に、ライトは息を止めたまま凝視していた。


「だってほら……見て、きれいでしょう?」

女は陶酔するような目で、腕をライトに差し出した。

瞳は赤く、熱を孕んだ光を湛えて、微かに震えていた。

その視線が――まとわりつくように、ライトを捕らえて放さない。


ライトは、喉の奥がひりつくのを感じながら、何とか言葉を絞り出そうとした。


「そんなの……きれい、じゃ……」


否定の言葉を口にしかけたその瞬間、女の表情が凍りついた。


「きれいじゃ、ない……?」


空気が一瞬で変わる。

彼女の目の奥が、凍るような怒りと裏切りで揺れた。


「自分を否定するつもり?そんなの……あたしが許すわけないじゃない」


女は一歩、ライトににじり寄った。

その血塗られた腕を、ゆっくりと持ち上げ、ベッドの上にいるライトの顔の目前まで差し出してくる。


「これ、舐めてほしいな。ライト君の初めてを手に入れた記念だから」


ライトは、目の前の肌から漂う血の匂いに、喉の奥が痙攣するような嫌悪感を覚えた。

香水のように塗られた自分の血。

それを美しいものとして差し出されている事実に、吐き気すら覚えた。


「目じゃなくて、舌で感じてほしいの。それできっと、自分が特別な存在だってことがわかるわ……」

女はそう囁くと、

ライトの肩をそっと、けれど決して逃がさぬようにしっかりと抱き寄せた。


ライトの身体が強張る。

心臓が胸を突き破りそうなほど脈打ち、視界がじわじわと揺れ始める。


血の塗られた腕が――その肌が――

じりじりと、唇へと近づいてくる。


動けない。叫べない。

でも、心の中だけは全力で叫んでいた。


(やだ……やだやだやだッ!!!)

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