1-13_お風呂

湯気がゆらゆらと立ちのぼる浴室。

柔らかな白いもやが空間を包み込み、湯のはねる音が静かに反響している。

湿気を帯びた空気が肌にまとわりつき、まるで守られているような感覚を与えてくれる。


「あぁ……やっぱりこっちでも変わらず風呂は最高だな」


村田は肩まで湯に浸かりながら、大きく息を吐いた。

熱すぎずぬるすぎない絶妙な湯加減が、今日一日の疲れをじんわりと溶かしていく。

水魔法で全身ずぶ濡れにされたときはどうなるかと思ったが、今ではこうして、静かな安らぎの時間を得ていた。


その向かい側には、ライトがちゃぷんと湯船の中で足を伸ばしながら浮かんでいた。

肩まで浸かるにはまだ背が足りないのか、時折ふわっと浮かび上がりそうになっては、ふにゃっと笑って体勢を整えている。


「ねぇねぇ、シュンってどこから来たの?」

突然の問いかけに、村田は動きを止めた。

湯船に沈めていた腕をゆっくり引き上げ、ぽたぽたと落ちる湯滴を見つめながら、少し考える。


お湯の音に混じっても埋もれないその声には、純粋な好奇心と、微かな「知りたい」という願いが込められていた。


村田は湯の中で姿勢を少し起こし、湯気越しにライトの顔を見た。


「あぁ、えーと……ちょっと遠いところから……な」

答えながらも、言葉を選ぶように曖昧にした。

どこまで話すべきか、まだ自分でも線引きがわからない。


「へー!どんなところ?誰と住んでたの?友達いた?」

待ってましたと言わんばかりに、ライトが身を乗り出す。

湯がわずかに跳ね、水面にさざ波が走った。


「すごい質問攻めだな……ちゃんと答えるから焦らないでいいぞ」

村田は思わず笑って、湯の中で手をひらひらと振った。


「えへ、だってさ、シュンの事全然知らないんだもん!もっと知りたいな」

無邪気な声と共に、ライトの笑顔がぱっと弾ける。

その笑顔に、村田の胸の奥が少し温かくなる。


「わかったよ。そうだな……」


村田は、かつての暮らし――日本での日常について話し始めた。

朝の満員電車、コンビニの弁当、テレビ番組にSNS、お祭りや花火、ラーメンの話も少しだけ。


あえて孤独や苦しさには触れず、記憶の中から楽しかったと思えることだけを選んで語った。

不思議なことに、話しているうちに、かつての自分の笑顔が少しずつ蘇るような気がした。


「いっぱい人がいて、おいしいものが沢山……楽しそうだね!」

ライトが目をきらきらさせながら、湯の中で足をばたつかせた。


「あぁ……でもしばらくは戻れそうにないな」

天井をぼんやりと見上げながら、村田はぽつりと呟く。

まるで独り言のように、遠くを眺めているその視線に、ほんの少しだけ寂しさが滲んでいた。


「なら、ここで一緒に暮らそうよ!グレイスもきっと喜ぶと思う!」

ライトが両手をぱっと広げて提案する。

その勢いで腕から湯が飛び、村田の肩に小さな水しぶきが当たった。


「わかった、ちょっとこの後話してみるか」

そう返しながら、村田は心の中で決めていた。

さすがに今後もタダで世話になるわけにはいかない。

せめて何か役に立てるように、グレイスの仕事を手伝わせてもらおう――そう思っていた。


「となると、今度は二人からこの世界について教えてもらわなくちゃな」


「えへへ、うん!」

ライトはその言葉に満面の笑みを浮かべる。

湯気の向こうでその笑顔がにじんで、まるで光のように浴室を照らしているようだった。


村田は湯に身を沈め直し、目を閉じた。


(……案外悪くないかもな、この世界は)


静かに、心の奥からそんな思いが浮かんできた。

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