第122話 ご縁が繋がる時




「ごちそうさまでした。ほんとに美味しかったです」


 箸を置き、手を合わせる。

胃も心も満たされるなんて、久々だった。


「ありがとう。ちゃんと毎日の食事にも気を使わないとねぇ」


 女将さんはにこやかに言いながら、食器を片付けている。

その穏やかな口調に、思わず本音がこぼれた。


「いやぁ……作るのも面倒で、ついついコンビニとかで済ませちゃうんですよね。……ここの料理なら毎日でも食べたいくらいですよ」


「あらあら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ。毎日でも食べにきてくれるなら嬉しいわ」


「ぜひ……って言いたいとこなんですけど、ちょっと旅行で来てるから無理なんですよね」


「そうねぇ……じゃぁ届けてあげようかしら。お代はあなたの作ってる“お酒”でいいわよ」


「またまたぁ……って、えっ?!」


 空気が変わった。

ぞわりと背筋が粟立つ。


『警告します。太郎さん、警戒を』


「……!」


 思わず身構える。

女将さんはそんな俺を見て、ふわりと笑った。


「ふふっ、そう身構えないで大丈夫よ。あなたの食事のことは前から気になってたのよ。それに――“販売しようか”って言ってたじゃない」


「……っ。あんた、何者なんだ……って、はぁ〜やっぱり言わないで。頼むから言わないでください」


「ふふふっ」


 笑う声は柔らかいのに、耳の奥で響くような不思議な重みがあった。


「確かに販売しようかって言いましたけど……」


「そんな畏まった喋り方じゃなくて大丈夫よ。八咫烏達も何も言わないでしょ?」


「……っ!」


「それとね、一度口にしたら聞こえちゃうのよねぇ。それで、あなたのお酒をみんなが飲みたがって機会を伺ってたの」


「えっ? それ狙われてたってこと?」


「危害を加えて奪うとかじゃないわよ。縁が結ばれるのを待ってた……ってことかしらね。それでたまたま、うちとの縁が繋がったの」


 女将さんはまるで世間話のように笑みを浮かべる。

けれどその言葉は、俺の胸をざわつかせるには十分すぎた。


「……酒を出すにしても、人間には出したら不味くないか?」


 俺は思わず眉をひそめた。

自分で作っといてなんだが、あれはどう考えても“普通”じゃない。


「そこは大丈夫よ。ここに来る方に人の子は居ないからね」


「……えっ」


「それに、ここに卸してくれたら、みんなここで飲めるようになるから。あなたの方には行かないと思うわよ」


「……それなら願ったり叶ったりなの……か? でもそんな大量には卸せそうもないけど……」


「そうねぇ。食事の提供の対価としてなら――月に一升瓶二本分でどうかしら?」


「えっ、それだけでいいのか?」


「十分よ」

女将さんはまるで何でもないことのように笑う。


「それとね、そのお酒はあんまり人の世に広めないようにね。あなたなら、どうとでもできるけど……後始末が大変になるから。こっちにはもう広まっちゃってるから、ここでどうにかしとくから安心してね」


「……それは本当にありがたい。よろしくお願いします」


「いいわよー。それと、この鈴を渡しておくから、ご飯が欲しいときは鳴らしてね。食べ終わった食器も置いといてくれたら回収するわ。お酒は月初めに鳴らす時に準備してくれたら回収するわ」


 手のひらに乗せられた小さな鈴が、ちりんと軽やかに鳴る。

ただの金属音のはずなのに、胸の奥に響いてくるような、不思議な余韻があった。


「……便利すぎて怖いんだけど、ほんとにいいの?」


「いいのよ。あなたのお酒にはそれくらい価値があるってことよ。大切にしてね。――そろそろ帰らないと戻れなくなるわ。今日のお代はサービスだから、またいらっしゃい」


「……いろんな意味で怖すぎる。とりあえず帰ったらすぐに酒を用意して鈴を鳴らすよ。……ありがとうございました」


 深々と頭を下げて、店を出ようとしたその時――


「ふふっ、それはこっちの台詞よ。あっ、みんな興味で見てるから、人生楽しんでねぇ」


 女将の声が背中に届いた。


 反射的に振り返る。

けれどそこには――電気のついていない、昔ながらの民家の木戸があるだけだった。

明かりも、暖簾も、カウンターもない。


 俺の手の中には、ちりんと鳴る小さな鈴だけが残っている。


「……なぁ、怖すぎるんだけど。俺たち、どこに迷い込んだんだ?」


『わかりません。ただ――あの方が上位存在なのだけは、はっきりしています』


 リクの声は妙に硬かった。

俺は握りしめた鈴を見下ろし、深くため息をついた。


「……マジで、普通の観光ってできないのかよ……」



『カッカッカッ。……また楽しそうなことになったのぉ。あのお方に任せておけば安心じゃわ』


「うわっ……お前、いたのか! いるんなら助けてくれよ!! 怖すぎてちびるかと思ったぞ!」


『大丈夫じゃ。ふむ、ちょうどいい。修行の再開といこうかの。夜の飛行は暗くて見えづらいから気を引き締めて付いてこいよ。――いくぞっ!』


「待ってくれよ!!」


 慌てて飛行魔法とステルス魔法を展開。

夜空に舞い上がると、すぐに周囲は闇に包まれた。


「……真っ暗で、何も見えない!」


『スキャンを使って周囲の地形を把握してください。隠蔽で魔力を隠すのも忘れずに』


 リクの声が耳に響く。

俺は息を整え、魔力を拡散させて周囲を“なぞる”ように探る。地形の輪郭がぼんやり浮かぶが――それでも心許ない。


『今のお主なら、わしの気配も感知できるはずじゃ。スピードを上げるぞ』


「ちょっ……どんだけスパルタなんだよ!!」


 黒い影が風を切って加速していく。

何となくしか感じ取れないカラスの気配に必死で付いていき、心臓が喉から飛び出しそうになる。


 それでも、どうにかこうにか夜の空を飛び抜け――

やっとの思いで自宅の上空にたどり着いた。


『うむ。だいぶ力も使えるようになってきたが……まだまだ修行不足だな』


「はぁ、はぁ……俺はいったい、どこに向かってんだよ……」


 空を仰ぎながら、深いため息をつく。


 とりあえず――今日決まった“納品”だけは済ませておこう。

秘密基地に潜り込み、大瓶に詰めておいた酒を二本取り出す。


「……これでいいよな。よし」


 手にした鈴を軽く鳴らす。

ちりん、と音が広がると同時に、魔力が鈴から流れ出して瓶を包んだ。


 次の瞬間、フッと二本の瓶は消えた。


「……マジで届いたんだな。便利すぎて逆に怖ぇ」


 肩の力が抜けると、どっと疲労が押し寄せてきた。


「今日は……色々ありすぎた。寝よ……」


 布団に倒れ込む。

頭の隅では――明日は神棚を完成させなきゃな、という思いがぐるぐると渦を巻いていた。



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