第23話 血環
倉庫は海側に大環な搬入口が穿たれ、街側には人ひとりが通れる勝手口が残っている。天井の梁は半ば崩れ、高窓からの斜光が床に細く落ちる。埃の筋が光路を可視にし、空間の奥行きを縞模様に分節していた。
まずクラウディアが靴先で床をなぞる。ひび割れたコンクリートの肌理を撫でるだけで、霜が降りるように銀色の線が浮かび上がる。直径「五歩」の外円、その内側に「三歩」の内円。二つの円は七本の直線で結ばれ、外円上には等間隔に七つの「留点」が刻まれる。留点の直径は掌ほど、そこへレニが小さな皿を一枚ずつ置いて回る。皿は黒い石のように見えるが、縁が薄く透け、内側には琥珀色のゼリーが静かに震えていた。
「外環、七点」
レニが短く告げると、クラウディアは頷き、留点どうしを細い金属糸で順に繋ぐ。
糸は床に吸い付くように沈み、やがて線そのものが淡く発光する。七芒星の骨格が立ち上がり、内円の縁に沿って、大小の符が一筆書きで刻まれていく。内円の北と南には、半月形の切り欠きが設けられ、そこが出入りと視線の抜けになる。
「中心を空けて」
クラウディアが手を払うと、内円のど真ん中に低い台が生まれた。黒曜石のような光沢を持つ浅盆で、縁は指一本ぶんの厚み。覗き込むと、底に微かな渦が見える。盆の脇には細い導管が二本、内円の東西へ伸び、外環の留点に接続されている。導管は凍りかけのガラスに似た透明感で、内部を流れる微光が脈打つたび、倉庫の空気がひとしずく低く鳴る。
配置を明確にしておく。祭壇(内円)は海側に向かって開いている。栞は内円の南の切り欠きから入り、台の手前、海を正面に立つよう指定された。篠森は栞の「二歩」後方、内円の外縁ぎりぎりに位置する。彼の背は街側の勝手口と一直線になり、退路としても見通せた。ザンビとナユタは外円の西と東、互い違いに立ち、七点のうち二点を視界に収められる角度を保つ。レニは北側の切り欠きの外、内円に半身をかける位置で、台と導管、外環全体を同時に見張れる場所を選んだ。
クラウディアは内円の縁、栞と台の斜め左(西寄り)。一歩踏めば台に届き、半歩退けば全景が俯瞰できる、支点の位置だ。
「向きはこのまま。海の気が抜ける」
クラウディアがそう言い、海側の搬入口に視線を投げる。崩れたシャッターの隙間から、鈍い光と湿った風が入ってくる。光は内円の縁で折れ、導管の中の微光と干渉して、わずかな虹色を生んだ。
レニは道具袋から、三本の「導針」を取り出す。細い銀の棒の先に、針葉樹の樹脂を固めたような透明の芯が付く。一本目は台の縁、栞の右手側に垂直に差し入れ、二本目は左手側、三本目は台の奥、海側へ倒す。三角測量のように配置された導針の間を、導管の光が往復し、内円の符が一斉に微細な振動を始めた。
「踏み越えるときは、切り欠きから。線を跨がないこと」
レニが篠森たちにも聞こえる声量で言う。線を跨げば、回路が乱れる──それがこの図形の唯一の禁忌らしい。
床の立体感は、光でさらに強調された。外環は低く、内円はわずかに浮き上がって見える。七つの留点の皿は、台に向かって微傾斜し、内包する琥珀色が台の渦へと引かれていく錯覚を誘う。祭壇は平面ではない。床の上に、もうひとつの浅い盆地が乗っている──その印象だ。
「位置、固定」
クラウディアが掌を下ろすと、空気の抵抗が一段強くなる。回路が閉じたのだ。栞が一歩、内円へ足を入れる。靴底が線に触れないよう、切り欠きに沿って弧を描く。内円に入った瞬間、彼女の髪がわずかに持ち上がった。微風ではない。内と外の差圧が、彼女の輪郭を祭壇の中心へ寄せる。
「そこで止まって」
台まで「半歩」。栞は立ち止まり、海を正面に呼吸を整える。篠森は二歩後方、掌が届くか届かないかの距離で、その背を見守る。視界の隅、ザンビは西の留点に体を沿わせ、ナユタは東の留点の影に溶け、どちらも線を踏まないぎりぎりの姿勢で張り付いている。勝手口は篠森の背後にあり、海側の開口は栞の正面。逃げ道と風の通り道が、互い違いに開いている構図だ。
最後に、レニが内円の北側に小さな台を追加した。儀式書と細い刃、封蝋、布片が整然と並ぶ。動線は単純だ。レニは北の台と中央の台の間を往復し、クラウディアは中央から外環の調律を担い、栞は中心で受ける。篠森は線に触れない距離で支え、ザンビとナユタは外環の二点を押さえて周囲を封じる。
「これで迷わない」
レニが短く言い、クラウディアが一度だけ瞼を伏せた。倉庫の奥行きは、図形と光によって一枚の舞台に変わった。誰がどこに立ち、どこへ向かい、どこが開いているか──それが、息を合わせる前から体に入ってくる。ここから先は、線を乱さないこと。すべては、その約束の上に積み上がっていく。
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