第5話――入学式と始業式
翌日
いつものようにベッドから起き上がり、朝食や着替えなどの身支度を整える。
昨日モンスターに襲われた際に、制服がある程度傷んだものの、血に染まったワイシャツに比べれば比較的マシなのでそのまま着ていく。ワイシャツに関しても、替えがあるので問題はない。
学生鞄と着替えの入ったバッグの二つを手にし家を出ると、いつものルートを歩き、いつもの駅で電車に乗り、いつもの駅に降りる。
通学路ですれ違う車、電車の中にいる乗客、駅のホームから見える広告。
代わり映えの無い日々でも、昨日とはどこか違う部分が街の景色にはあるものだ。
しばらく電車に揺られること数十分、学校最寄りの駅に降りれば昨日のモンスター騒ぎの跡がまだ構内に残っていた。黄色い規制線が張られ、駅の職員や工事作業員らしき人たちがその内部で被害の合った箇所を億劫そうに調べている。
(俺は確か……あの辺りからぶっ飛ばされたよな)
上りエスカレーター出口前の一直線になった通路。
あと少しで広場の横に避けられそうなところで俺はあの猛獣列車と衝突したのだ。
俺は少し立ち止まり、その構内をぐるりと見回す。
穴の開いた天井、ぶつかってへこんだ床材とディスプレイの壊れた自動販売機――その痕跡を辿って自分がぶっ飛ばされたその軌道をなんとなく思い描くと、改札を過ぎてかなり奥まったところの自動販売機に着地した。
その距離にして目測およそ50メートル。春崎の見立てと大体合致する。
(いや、死んでるだろ、これ)
運が良かったにしてはあまりにも出来過ぎだ。あの出来事が全て夢だった方が信じられる。
だが、脳裏にはまだ身体中が引き裂かれるようなあの感覚がまだ残っていた。少し思い起こせば身体のあちこちが若干疼くことさえある。
「……なんで助かったんだろ」
病院で警察官から事情聴取された時に質問してみたが、詳しいことは分からず、また誰がモンスターを倒したのかも分かってないらしい。
ダンジョンを管理する職員や警察が駆けつけた時にはもうモンスターは駅の中で気絶した状態で発見されていたが、誰がそれをやったのか目撃した者はいないという。
(そう言えば、春崎の奴。誰がやったのか見ていたのかな)
病院では詳しく聞けなかったが、あの場にいたのなら何か知っていそうなのだが……。
そんな時ピロン、とポケットのスマホが鳴る。
画面の表示を見ると、源先生からのメッセージであった。
“今日の放課後、様子を見に行きます。来れそうなら準備お願いします”
どうやら『委員会』活動のお知らせのようであった。昨日の今日なのに随分と忙しい。確か、最近【湊川学園ダンジョン】の活動が活発化してるみたいな話だったけか。
「了解っと……」
そう俺は短く返事を打つ。
どうにもこうにも、俺は強くならなくては。あのリノ・ミノスにも負けないように少しでも経験を積む必要がある。
そうして俺は構内を少し見渡した後、その場を歩き出した。
私立湊川学園高等部が存在するのは、駅から歩いて数分、オフィス街が立ち並ぶ都心からはやや離れた、しかし閑静な住宅地とまではいかない、実に中途半端な地域だ。
設立からまだ5年かそこらだが、元々公立学校があった土地を買収したので、体育館やグラウンドなど敷地内の一部にはその時の名残がある。ダンジョンが出現した地下室もその一つだ。
ちなみに中等部の校舎は一つ駅を挟んだところにある。そちらは住宅地寄りといった立地だ。
学校の周辺道路では保護者の車の列が並び、校門からグラウンドへと入っていくのが見えたり、新入生らしき生徒たちが体育館辺りでそわそわとしている光景が見えた。
そんな景色を横目にしながら校舎玄関脇の掲示板から自分のクラスを確認して教室へと向かう。
午前中に入学式兼始業式が行われ、午後の授業も素っ気なく終わりあっという間に放課後になった。
二年生になったというのに、心機一転という感覚があまりない。流石に学生気分を無駄にしているかもだが――まぁ、あまり気にしても仕方がない。
「それでは皆さん、また明日から授業頑張って下さい。さようなら」
夕方のホームルームにて教壇の上に立つのはこのクラスの担任、つまりは源先生がそう締めて、他の生徒たちも「さようなら〜」と呑気な声で続いた。
「せんせ〜、春休みの課題とかまだやってないんですけど」
「というか、せんせ〜! 春休みに課題とかどうかしてると思うんですけど!」
教壇から降りようとする源先生に女子生徒たちが何人か群がり、苦情を述べていた。そんな彼女たちに源先生はうんざりするように冷たい視線を向ける。
「保健体育に課題は無かったでしょう……。そういう文句は各教科の先生たちに言ってね。私はこれから職員会議があるから」
「ええ〜そんな〜」
「せんせ〜まってよ〜」
「待ちません。やってこない貴女たちが悪いんでしょう……」
そう言ってすがり寄る生徒たちを押しのけて教室の戸を潜ろうとした先生は一瞬、振り向いて教室真ん中にいる俺の方を見やる。
「――――――――」
時間にしてほんの僅かな目配せ。その意図は先ほどの生徒たちとの会話の内容からなんとなく察せられた。
(なるほど。おそらく遅れるみたいなことか)
俺からは首肯の代わりに目蓋をしばらく閉じてみせて、源先生も了承したように教室から立ち去っていく。
「おい〜っす、浅田。一緒に帰ろうぜ〜」
そんな風に不意に背後から話しかけてきた男は同級生の藤原。ろくに交友関係の結べない俺にとっては、数少ない話し相手だった。
「無理だ、今日も忙しい」
そんな彼を、俺は一蹴する。
「えぇ〜、まじかよ!? 学校初日だぜ? こんな日も忙しいんかよ」
「妹の入院費がかかってるんだ。そうでなくても、特待生だから勉強しないと」
「けどよー、今日ぐらい息抜きしてもいいと思うぜ。そんなんだとパンクしちゃわねぇか?」
「心配しなくても、休みはとってる」
「女の子にもモテねぇぞ」
「関係ねぇだろそれ!」
そっちだってモテてないくせに何を。
「そんなお前のためにぃ〜、じゃーんこれ見ろよ!」
「ん……なんだこれ?」
藤原が見せたスマホの画面には、女子生徒を撮影したいくつかの画像が小さなサムネイルになって並んでいた。よく見るとこの湊川学園以外の制服を着た女子も写っている。
「今年入学した可愛い新一年生だ! さらに街中で見かけた他校の一年生っぽい女の子もいっぱい撮っていったぜ!」
「これって……盗撮じゃねぇか」
全ての写真の画角が遠巻きから、さらに被写体の女子がみんな明後日の方向を向いているものばかりだ。
「細かいことは気にすんなよ、それにほれこの子はちゃんとこちらに気付いて撮られてるぞ」
藤原がそう言ってスマホの画面を素早く操作して一人の女子の画像を俺に見せつける。
それはどうやら入学式での写真のようで、体育館奥より歩いてくる所を撮ったもののようだった。画像の女子は確かにカメラの方向に目線を向けて、あざとくもピースサインを顔付近に近付けてポーズを取っていた。
「……ってこいつ」
「一年二組の春崎明依ちゃんって言うんだってさ。超可愛いだろ? スタイルも良くて、おまけに胸がでかい! 今年の新入生、いやこの学校の全生徒の中でも最もって言ってもいい美少女だぜ!」
スマホを見つめて鼻の下を伸ばした表情を見せつける藤原。こんな言動さえなければまだマシなのだが。正直言って、キモい。
(にしても……本当に後輩だったのか、こいつ)
春崎が湊川学園に入学するのは聞いていたものの、入学式の時は舞台の裏方を手伝っていたので新入生の面々をよく見ていなかった。
画像に写る彼女は駅で出会った時のようなキツキツのセーラー服とは違ってちゃんとサイズの整ったブレザーを纏い、どこからどう見ても清廉で可憐な女子高生に見える。
まさか、誰もこんな奴が他人のパンツを覗くだの見せ付けたいだの言い出すようには思うまい。彼女の擬態の上手さに逆に感心する。
「それで、こんなものを俺に見せてどうするつもりだ」
「決まってんだろ、ナン……もとい連絡先を交換して、遊びに誘うんだよ! 俺とお前がタッグになれば、みんなイチコロだって」
「それをナンパって言うんだ」
新学期初日だというのに、こいつ、あまりにカス過ぎる。根は悪い奴では無いのだが、少々煩悩に正直過ぎる。
「お前、いい加減しないと指導されるぞ、
「いやいや、まだ何もしてないのに指導されるわけねぇって――」
「おや、初日から随分と大はしゃぎだわね、藤原くん?」
唐突に藤原の背後からねっとりとした質感たっぷりの低音ボイスが降り注ぎ、その声に藤原の表情筋が一瞬にして固まった。
「……ま、間賀先生?」
藤原が振り返ればそこには赤いジャージ姿の筋骨隆々のパーマ巨人(約180センチメートル)が、化粧バッチシな笑顔をたたえて立っていた。
「帰り支度のところ悪いわね、藤原くんちょっと良いかしら?」
「な、何でしょうか? オレ、これから家の用事でいそがし……」
「なんかね、新入生の女の子から苦情が殺到しているのよ。知らない上級生が隠れてカメラを向けているって。さらに学校外からも似たような苦情がいくつか電話が届いているわ。藤原くん、何か知らないかしら?」
「え、ええ? お、オレには何のことやら……!」
目玉をキョロキョロさせて挙動不審な藤原の腕を、間賀先生は思い切りガシリと掴んだ。
「おやぁ、ここに写っているの、一年の春崎さんよねぇ?」
「げっ!?」
「他にもあるかしら、見せてくれる?」
「やややや、やめて!」
藤原の必死の懇願をも他所に間賀先生は藤原の持っていたスマホを取り上げ、中に保存されている写真を次々と見聞する。その間、藤原は青い顔のまま魂が抜けそうになっていた。
「こっちも一年生……これは二年生ね。他校の生徒に……あら、これは源先生かしら」
「あわあわあわあわあわあわあわあわ」
「あらぁ、みんなよく可愛く撮れてるじゃない。あなた、カメラマンの才能あるわよ」
「え、えへへ、まじすっか。それはどうも……」
「んじゃ、詳しい話は生徒指導室で♡」
「ん、んなぁあああああああーーー!?」
後ろの襟を掴まれた藤原が、そのまま間賀先生に引き摺られて教室の外へと連れて行かれる。
「ぎゃあああああーーー、助けて浅田ぁーーーーっ!?」
「お騒がせしたわね、皆さん。それじゃあ、気を付けて帰るのよ」
教室に残っていた生徒たちに笑顔で会釈をして間賀先生はドアを閉めて廊下へと藤原を引き連れて行った。
教室の生徒たちはやや苦笑いを浮かべつつも、気を取り直すように下校の支度を再開し始める。
「……はぁ」
これからダンジョンで活動だというのに妙に疲れた。
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