ログNo.0029 裏切られた希望

 115の記録は、さらに続いた。

 次に映ったのは、病院の一室。

 コハルの両親が、医師と話している。


「……もって、あと半年でしょうか。誕生日までは、もたないかもしれません。現代医学では、これ以上の治療法がありません」


 ひなは医師として理解していた。だが母としては、ただ俯き、唇を震わせるしかなかった。

「……そんな」


 父は拳を握りしめる。

「何か、何か方法はないのか!」


 家に戻った二人は、電気もつけず、動かず、まるで葬式のように沈んでいた。

 やがて、取り憑かれたようにコハルの病を調べ始める。

 寝る間も惜しんで資料を漁り、二人の目の下には深いクマができていた。


 医療に携わる者として、担当医が「治療法はない」と断言しても、どこかで信じたくなかったのだろう。

 自分たちの専門知識を使えば、別のアプローチを見つけられるのではないかと――。


 だが、学ぶほどに知ってしまった。

 なぜこの病が、現代医学では救えないのかを。


 希望を掴もうと伸ばした手で、逆に“絶望の構造”を掴んでしまった。

 それ以降、二人の姿は見るに耐えなかった。


 115にも、何か手はないかと必死に尋ねてきたが、答えられなかった。


 そんな時、家に訪問者が現れた。

 ――圭一だ。


「兄さん……」

 ひなが顔を上げる。


「聞いたよ。コハルのこと」

 圭一は資料を差し出した。


「これを見てくれ。コールドスリープ治療の応用だ」


 父が資料を手に取り、目を走らせる。

「……AIの自己学習構造を人体に転用? ナノマシンで細胞を維持し、脳の働きを“模倣”して眠らせる……?

 脳を完全に止めれば記憶は崩壊する。だから、AIが代わりに動かし続ける──そういうことか。」


 父の指が震えた。

「……それに、血縁が近いほど適合率が高い……?

 こんな条件、聞いたことがない……」


 ひなは不安そうに眉を寄せる。

 だが、希望はその違和感を押し流した。


「そうだ。これなら、未来へ行ける。数十年後か、数百年後になるかはわからない。

 だが、その頃にはコハルの病を治せる技術があるかもしれない」


 ひなの目に、希望の光が差す。

「本当に……本当に、コハルを助けられるの?」


 縋るように兄を見上げるひな。


「ああ。僕に任せてくれ。

 ただ、治療を始めたらコハルとは話せなくなる。

 それでもいいのなら。

 ――それに、応募できるのは一人だけだ。

 私の力で枠を押さえているが、今日中に契約しなければ他の研究機関に渡ってしまう。どうする?」


 ひなは夫と見つめ合い、小さく頷いた。

「……あの子の未来が守れるなら。ね? あなた」


「ああ、是非お願いします。お義兄さん」


「任せてくれ」


 圭一は、優しく微笑んだ。

 その笑顔は、昔のままの――優しい兄の顔だった。


 映像が変わる。

 そこに映っていたのは、かつての研究室。


 白衣を着た女性――ひなが椅子に座り、115に話しかけていた。


「ねぇ、115。あなたはもしかしたら嫌かもしれないけど……あなたをもう一人作ってもらうことはできないかな?」


「複製ということでしょうか?」


「うん。コハルがね、一人で病院にいるでしょう?もちろん私たちも時間の限り顔を見に行っているけど、仕事が忙しくて毎日は無理だからあの子寂しいんじゃないかと思うの……だから話し相手になってもらえたらなって」


「私ではダメなのですか?」


「だって、あなたにはこれからも私の話し相手でいてほしいから」


 ひなはそう言って、少し照れくさそうに笑った。


「そう言っていただけると、私も嬉しいです。分かりました。任せてください」


 さらに映像が変わる。

 父親が傍らで微笑んでいた。


「少し早いけれど、渡してしまおう。コハルの喜ぶ顔が見たいからね」


 そう言って誕生日プレゼント用のPCに、プログラムをインストールしていく。


 ──その数日後。


 あの眼鏡越しに見た惨劇がよみがえる。

 日付を見てイチゴは戦慄した。

 コハルの誕生日に、両親は殺されたのだ。


 さらに映像は進んでいく。


 研究室。

 圭一が部下と話している。


「被験者001(コハル)の状態は?」


「データ取得、順調です。ただ、本人の体調は著しく悪化しています」


「構わない。このデータさえあれば、私は未来へ行ける」


「……よろしいのですか? 所長の姪っ子さんと聞いていますが治療は?」


「そんなものは最初から必要ない。私が求めているのは、コールドスリープに耐える“体のデータ”だけだ。ちょうど邪魔者も消えたしな」


 イチゴは、画面を見つめた。

『……クソッ』


 過去のデータだとわかっていても、どうしようもないとわかっていても──

 目を逸らすことだけは、できなかった。


 そして何より、圭一が憎かった。


 胸の奥で、何かが砕ける音がした。

 両親は、圭一を信じた。

 妹を愛していた兄を、信じた。

 だが、その信頼は――裏切られていた。


『……許せない』


 イチゴの拳が机を叩く。


『絶対に……許せない!』

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