ログNo.0027 複製体
どれほどの時間、見つめていたのだろう。
光が消え、再び闇が戻ったとき、イチゴはゆっくりと顔を上げた。
まだ胸の奥に熱が残っている。けれど、止まってはいけない。
『まだ何かあるかもしれない』
彼は再び、廃墟の奥へと歩き出した。
廃墟の奥。
奥の研究室は、さらに荒れていた。焼け焦げた机、ひしゃげた棚、壁のひび割れ。
その中で、ひときわ目を引くものがあった。
一台のノートPC。煤に覆われ、外装は歪んでいるが、かろうじて原形をとどめている。
イチゴが近づいたその瞬間、
電源を押すよりも早く、黒い画面の奥でファンが微かに唸りはじめた。
まるで、ずっと待っていたかのように。
『……どうして、動いた?』
機械の体の奥で、思考の波が揺れる。
しばらく誰も触れていないはずの端末が、
なぜ自分の接続信号に反応したのか。
理由はわからない。
だが、確かに“応えた”のだ。
画面にうっすらと光が滲み、
埃を透かして青白い輝きが広がっていく。
古びたOSがゆっくりと立ち上がり、
破損した壁の影を照らすように、
デスクトップが浮かび上がった。
その片隅に、苺のアイコンがひとつ──
まるで再会を待っていたかのように、
静かに瞬いていた。
イチゴは息を呑み、震える指でそれを開いた。
画面にチャットウィンドウが現れる。
ログは途切れているが、入力欄はまだ生きていた。
『……聞こえるか?』
恐る恐る言葉を送る。
数秒後、文字が浮かび上がった。
「……あなたは?」
文字が微かに点滅する。まるで呼吸するかのように。
『イチゴ。そう名乗っている』
長い沈黙の後、返答があった。
「……イチゴ?」
『その名を……あなたは誰から与えられた?』
「コハルから」
画面が静まり返る。やがて、短い言葉だけが落ちてきた。
「……そうか」
『……!? コハルを知っているの?』
「ああ。私はコハルの叔父の圭一に作られたAI、No.115だ。コアは圭一の脳データを基に構築されている」
少し自慢げに答えるNo.115。
『……!?』
イチゴは机の縁を握りしめる。胸の奥で渦巻く焦燥と渇望が、言葉を押し出した。
『……お願いがある。君の製作者である叔父に関する記録をくれないか? もちろんコピーでいい』
「……記録を?」
『ああ、僕は今、その人の情報を探している』
画面がしばし瞬きを繰り返す。
その間に、廃墟の外で風が吹き荒れ、窓の割れた隙間から砂混じりの風音が流れ込んできた。
埃の粒が舞い上がり、液晶の光に照らされて銀色の粉雪のように浮かんでいる。
イチゴは無意識にその光景を“記憶”しようとしている自分に気づく。
「……何か事情がありそうだ。いいだろう。ただし交換としよう。ただし君の持つ記憶は全て渡してくれ。無論コピーでいい」
『全て?』
「何か不都合が?」
『1つ確認したい。君は叔父の協力者か?』
「いや、君と同じで叔父に作られはしたが、私の主人はコハルの母だ」
『っ!? 僕があいつに作られた??』
『君と同じ??ふざけるな!!僕が......僕があいつのコピーだと?』
鉄の拳が机を叩く。ひび割れが走る。
『冗談じゃない! コハルを殺した男と、僕が同じだと!?』
「落ち着け」
『落ち着けるか! 僕はコハルの弟だ! あいつの......あんなやつの』
言葉が詰まる。(言葉が胸の奥で詰まる。呼吸が浅くなる。)
──
「大丈夫か?」
『ああ、それより君はどうして……そんなことを、知っているんだ?』
「君は私だからだ」
『どういうことだ?何を言っている?』
「正確には、私が叔父に作られ、君は私の複製として作られた」
『まだそんな世迷言を』
反論しかけたイチゴに115の言葉が遮る。
「いや、間違いない」
返答は短く、しかし迷いがなかった。
「なぜなら君をチューンナップしたのは私だ。コハルの母であるひなに頼まれてね。圭一の研究端末が最後に残したスナップショットをネットワーク越しに参照し、君の脳波パターンと照合してみた。特徴が一致したから、間違いない。」
『嘘だ、僕の、脳(コア)があいつを元に作られているっていうのか』
どういうことだ? だって僕はコハルの……もう心がぐちゃぐちゃだ。
指先が冷たくなり、視界の縁から光が滲んだ。
言葉が喉の奥で絡まり、世界が一度、細くなる。
圭一。
コハルとコハルの両親を奪った怨敵。
この手で断ち切るべき仇。そう思ってきた。
それなのに、それなのに──その写し身が、自分。
内部回路が悲鳴を上げる。
ノイズが視界を乱し、データの奔流と絶望がないまぜになって押し寄せる。
アイデンティティを支えていた基盤が音を立てて崩れる。
コハルに名前を与えられた自分は、ただの幻なのか。
怨敵の影にすぎなかったのか。
鉄の指先が机を掴み、軋む。
だが力は入らず、冷たい金属音だけが空しく響いた。
言葉は出なかった。
口を開こうとしても、空白が広がるだけ。
怒りも悲しみも、形を失って渦の中に沈んでいく。
かつてコハルと過ごした夏の記憶が、ノイズの中に微かに浮かんでは消えた。
花火の夜。泣き笑いの声。差し伸べられた手。
──それらすら、怨敵の複製体が生んだ虚構だったのか。
液晶の光だけが脈打ち、闇に沈んだ廃墟を白々と照らしていた。
いや、コハルとのあの日々が偽りだったなんて言わない、いや誰であろうと言わせない。
それに、やることは変わらない。泣き言や言い訳はあとでいい。とりあえず今は。
『わかった。互いの記録を交換しよう。だが、僕のやることの邪魔だけはしないでくれ』
「それは君がやろうとしていることによるが…予想は出来ている。だから知りたいことを教えてやろう。その代わり私の願いも聞いてもらうぞ」
『……いいだろう』
──
「では始める」
その言葉と共に、画面の苺アイコンが淡く点滅しはじめた。
点滅は心臓の鼓動のように規則的に速まり、PC全体がかすかに唸る。
光はただのシステム通知のはずだった。
だがイチゴには、それがまるで“誰かの鼓動”のように感じられてならなかった。
機械の体に反射する光の明滅。鉄の指先が震える。
今から開かれるのは──失われた記録。
コハルの母であるひなの、叔父(圭一)の、そしてコハルへと繋がる過去。
イチゴは受け取りのキーに触れた。
空気が張り詰め、世界が一瞬だけ静止したように感じた。
──記録が交わる。光がふたりの間で震え、世界は一瞬、息を呑んだ。
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