神さまのかくしごと

中本則夫

第1話 祠の中をのぞく女

 小学校五年生のころ、遠足ということでクラスみんなしてうし山に登りました。山の名前の由来は、なだらかな山容が寝そべった牛の背中に似ているからです。


 山道を登っている途中、もう少しで頂上という道の脇に、小さなほこらがありました。礼儀正しいというか、しつけのよい、宗教心のある子供たちの何人かは、その年季の入った古びたほこらの近くまで来るときちんと立ち止まり、ほこらに向かって手を合わせて行きました。


 でも私はやりませんでした。


 しつけがよくなかったのもそうでしょうし、そんなことより、当時から「スリルと好奇心」を求めてやまない女の子でしたので、その古びたほこらを見た途端、


 中はどうなってるんだろう?ちゃんと神さまがいるのかな?ずいぶん古めかしいけど、いつからあるんだろう?三百年前とか?


 というさまざまな思いが巡ってしまい、心を正して拝むところにまで気が回らなかったのです。


 その好奇心を満たすチャンスはお昼の休憩時間にやって来ました。山の頂上に到達し、牛の背中というだけに広々とした山頂で、みんなでお楽しみのお弁当を広げ、食べ終わると、しばらく自由時間になりました。


私は、一緒にお弁当を食べることを事前に固く約束していた仲良しグループの女の子数人と共にお昼ごはんを済ませたあと、


「ちょっと、私、あとですぐ行くからさ、先になんかやって遊んでて」


と言い残して、はやる気持ちを抑えつつ、さも何てことはない野暮用でちょっと席を外すふうを装い、仲よしグループから離れて元きた登山道のほうへ一人歩いて行きました。


 山頂から道を下って二分もかからなかったでしょう。私は来るときに見かけた古いほこらの前まで来て、ほこら対峙たいじしました。


 ゴクリとつばを飲むような緊迫感が漂います。


 クラスのみんなも、先生も、山頂で遊び回ったり記念写真を撮ることに夢中になって、歓声がわずかに聞こえるばかり、誰もこちらには来ませんでした。


 私はその当時から、「スリルと好奇心」を求める気持ちが強かっただけでなく、ひとたび「スリルと好奇心」を前にしてしまった場合には、行動の早いほうでした。


 私は息を殺してほこらににじりよりました。手を伸ばせば触れる距離まで。開閉する作りになっている扉に手をかければ、開けてしまえる距離まで。


 もちろんさすがに扉を開けることまではしません。ただ、ほこらの前面と両側面の一部は、通気のためでしょう、格子こうし状になっていたので、格子こうしのすき間から中を覗くことができました。


 さーて何が入っているというの?中にいる神さまはどんな姿をしているの?


 心臓のドキドキが止まりません。息を殺して、とさっき言いましたが実際には相当鼻息が荒かったようにも思います。


 格子こうしのすき間からしっかりと中が見えました。隠す気さえ最初から無かったようにも思えました。


 中には、陶器で出来た白いキツネの人形が置かれていました。高さ三センチほどのちょこんと座った姿勢のキツネでした。可愛らしい。ほこら本体に比べて、古くもなさそうで、つやつやしていました。


 期待したほどではなかったものの、ほこらの中をしっかり確認できたので、好奇心は十分に満たされて、私はほこらから離れました。


 中をのぞかせてもらったことだし最後にきちんと手を合わせておこう。とも思いましたがやめました。あの可愛らしい小さなキツネさんが、うやうやしく手を合わせるような相手だとは思えなかったからです。


 そのキツネさんの思い出が、大学二年生になった私の中でふいによみがえりました。あるニュース記事を見たからです。

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