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    あおのそとへの応援コメント

    ウゴクヨミヒルです。企画へのご参加、ありがとうございます。
    割烹のコメントに申請がありましたので、構成評価をつけさせていただきます。
    https://kakuyomu.jp/users/ugokuyomihiru/news/16818792438743393446

    つばささんは二作目ですね。「なるべく起承転結というか、場面展開を意識して書かせてもらいました」とのことですので、そのあたりを意識して読ませていただきます。

    前回の構成評価では、私は「各場面において、そこにあるはずのものを全部イメージしてみましょう。人物や物体だけでなく、音や空気、温度など、全てです。その中から、作品の魅力を引き立てる最高の材料を見つけて言葉にしましょう」とお伝えしました。

    今回の応募に際して、ご自身が意識して工夫された点について書かれる場合、前回指摘された部分についても触れていただけると、改善の意図や努力がより伝わりやすくなります。いずれにせよ、今作では前回の指摘がクリアされていることを前提に読ませていただきます。

    また、もし他の方に構成評価の依頼をされる際には、ご関係に配慮して、こうした点を踏まえていただけるとより円滑に進むかと思います。

    >「ここは⋯⋯ どこ?」
    から
    >そして、その勢いを使って、最大のギアを一生懸命漕いでいく。

    まで読みました。

    ### 通読中に気になったこと ###


    >「ここは⋯⋯ どこ?」
    >気がつくと、私はなんだか知らない街の交差点に居た。一面灰色の不気味な場所。多分東京か、大阪か⋯⋯ とにかく大きなビルがある都会だ。
    >周りにはたくさんの人。サラリーマンが多い気がするけど、なぜだか顔がよく見えない。そして私はなぜか学校の制服を着ていた。

    出だしの雰囲気が良いですね。セリフがいろいろコーティングしてくれています。
    大きなビルとたくさんの人で、東京か大阪を連想するあたりに、主人公の人生(ストーリー)を感じますね。

    ただ、おしい感じの描写不足が気になります。例えば交差点にもいろいろありますが、交差点と言われるとどうしても有名な渋谷の交差点のイメージを強く持つ人もいます。サラリーマンも、給料もらって生活してる人って意味ですが、たぶんここは会社員やスーツ姿の人ってニュアンスかな。積極的に「サラリーマン」という単語を使う必要もない気がします。この人物の語彙力だとしても。

    交差点→渋谷の交差点
    サラリーマン→給与生活者

    このように、どんな単語にも、どうしてもつきまとう既存イメージがあり、そのブレを調整する為に描写をするわけですが、描写で補正せず単語を単発で使っただけだと、作品の世界や意図が一部の読者にしか正しく伝わらないことがあります。

    原文だと交差点のタイプやスケールが謎のままです。

    あと「なぜだか顔がよく見えない。」もなぜ見えないのか、想像を煽る描写があるべきです。「霞んでよくみえない」だけでもいいんですよ。


    >不思議と車はなく、やけに静かだった。
    >カッコーカカコー、カッコーカカコー。
    >眼の前の歩行者用の信号が青に変わり、信号機の音がやけに大きく響き渡る。すると、後ろから一気に押された。


    「眼」は生物的なニュアンスを強調するので「目の前」が無難。

    >「ちょっと、待ってください」
    > そう言っても、後ろの人は何も聞こえてないのか、何も見えてないのか止まろうとしない。しかも、歩こうと思っても、足が動かない。

    人の流れに合わせて、自分も歩こうと思ったんだろうなとイメージしますが、さっきの「押された」という一文のせいで、ここで「足が動かない上で人混みに押されたのなら、つっかえることもなくそのまま倒れたのでは」というイメージができたので、場面の状況がイメージしにくいです。

    どうやって倒れず持ち堪えた?みたいにいじられそうw
    まぁ、押された時は動いてたんだろうけど。


    >「なんで?」
    >カッコーカカコー、カッコーカカコー。
    >前からも、斜めからも人が押し寄せてくるのに、足音が聞こえない。人の話し声も何もかも。ただ、信号機の音が鳴り響くだけだ。
    >カッコーカカコー、カッコーカカコー。
    >ようやく、足が動き出し、前に進むことができた。でも、まるで自分の足ではないかのように、私の意志とは関係無しに真っ直ぐ進んでいく。

    足が勝手に動く感覚。絵は浮かぶけど、どんな感じだろう。気になる。まるで自分の足ではないかのように、 っていうのが実は質感ではなく映像的で、身体的感覚の想像の助けにはならないです。自分の体ではないかのように体のどこかが動く体験って、普通はしませんからw

    >カッコーカカコー、カッコーカカコー。
    >首は自由に動かせたので、あたりを見回してみる。沢山の人がスクランブル交差点に集まっている。でも、どの人も顔に靄がかかっているようで、よく見えない。

    やっぱりスクランブル交差点か。後出しで伝える意図が謎です。こういうところで、「後で思いついたからでは?」と読者は疑うでしょう。

    あと描写が足りないです。
    集まっている→交差点に集まってそこで停滞する印象がありますね。
    霧→霧だけだとなんとも……。どんな霧? 霧ってそもそも薄いですし、見た目は普通なのか、怖い感じの霧なのか、そういうことが知りたいのです。

    >カッコー、カカコー、カッコーカカコー、カッコー⋯⋯ パリン。
    >「ん?」
    > 今、確かにパリン、という音が聞こえた。信号機の音以外に音が聞こえた。
    > カッコー、パリン、コー、カッ、パリン、カコー⋯⋯ パリンパリンパリンパリン⋯⋯
    >「もしかして上?」
    >音のする方、上を見てみると、灰色に染まった雲にヒビが入っていた。しかも、その先は青空でも、太陽でもなく、漆黒の世界。

    ヒビにもいろいろありますよね。ガラスの割れたようなとか、爪で引っ掻いたあとのような、とか。あと、これだけ特徴的なら主人公は何かを感じているはず。この地の文、主人公の一人称ですよね?質感や状態といった観測的な描写は書かれていますが、せっかくなので主人公の主観を入れるとGoodですね。「恐ろしげな漆黒の世界だった。」とか。

    >「え!?」
    > そして、その破片がどんどん落ちてくる。
    >パリン、パリンパリンパリンパリン……

    地の文は主人公視点でここまできているので、この割れる音の聞こえ方にちょっと違和感があります。空にあるはずで、割れたところで音は聞こえないと思いますし、もし聞こえるような大きな音ならこんな軽い音ではないと思います。雷鳴のような音が〜とかあるとイメージに馴染みますね。

    実際に軽い音なのであれば、それ相応の描写がほしいです。

    >それでも誰も気づいていないようだ。
    >「空が崩れてる…… いや、待って、ヤダ!」
    >急に、重力が逆さまになったような気がし、体が空に吸い込まれていく。

    重力が逆さまになった感じと、体が空に吸い込まれる感じはかなり違うと思うので、ここの描写が乏しいと作者が先を急いで雑に書いた印象を受けます。

    例えば周囲のものが先に浮き上がって、重力が逆さまになったと思えたとか。そのあと自分の髪の毛やスカートが吸引されるような感じになって、吸い込まれていると思えたとか。主人公の体験を丁寧に追ってあげないと小説の媒体で読ませる意味がないです。

    >咄嗟に、近くにいた人のバッグを掴んだが、私のことが気にならないのか、感じていないのか、微動だにしない。

    この後バッグどうなったんでしょうか。紐がちぎれた? それとも手が離れた? 握ってる?

    >私だけ何故か空に吸い込まれていく。いや、空にあいた穴に落ちてくという表現のほうがいいのか、

    ここ、地の文から作者が自分を切り離せていない感じがします。萎えますな。

    >「ヤダ、無理、なんなの! 助けて!」
    > どれだけ叫んでも、誰も見てくれもしない。
    >「きゃぁぁぁぁ……」
    > 力が抜けた私は空に落ちていった。

     力が抜けた=つまり力を込めていた、とイメージしますが、対応する描写がないのでもやもやします。

    恐らくこういうイメージで書いた気がするのですが、

    「ヤダ、無理、なんなの! 助けて!」
     どれだけ叫んでも、誰も見てくれもしない。
     私は必死に宙をかくように手足をばたつかせる。
    「きゃぁぁぁぁ……」
     それでも虚空を掴めるはずもなく——、やがて腕からも脚からも力が抜け、私は空へと沈んでいった。

    これなら原文は何も無駄になりませんし、テンポにも障らないかと。
    逆にこう書かなかった理由がわかりません。
    この主人公は空に吸い込まれてるんだから手足をじばたばさせているのでは?

    ◇◆◇

    >「はっ! はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。ここは……」
    > あたりを見回してみると、そこはいつもの自分の部屋だった。枕元には目覚まし時計。窓からは朝日。そして雀のさえずり。

    瞬間移動的な? それともお布団で目を覚ました的な? どっちかわかりません。

    雀の存在を気に留める程度ならわかりますが、「さえずり」って思える心境ではない気がします。恐怖の余韻がキャンセルされる感じ。

    >まだ心臓がバクバクしている。
    >「夢…… だったんだよね。はぁ⋯⋯よかった⋯⋯」
    >どうやらさっきのは夢だったらしい。それにしてもリアルすぎた。それに、今まであんな場所に行ったことなんてないのになんでだろう。

    汗とかかいてないのかな。パジャマとかベッドとか汗で湿ってる的なこと書けば場面もわかる。場面転換が雑ですね。

    >「待って、やばい! 遅刻する!」
    >おもむろに目覚まし時計を見てみると、時間は午前8時。あと30分で学校だ。
    >「急げ!」
    >ベットから飛び起き、一瞬でハンガーにかけておいた制服に着替え、髪をゴムで縛る。とりあえずいつも持っている教科書類と文房具をリュックに詰めて階段を駆け下りる。

    あ、ベッドだったのね。つまりさっきのは寝て起きた、と。
    詰めて、のところですが「ぎゅっと詰めて」にすると、主人公の人格や焦り、作品の音なんかが伝わってくると思いません?

    > 大丈夫、学校まで自転車で飛ばせば15分。なんとかなる。
    >「お母さん! 遅刻しちゃう!」
    > そう、叫んでもお母さんは居なかった。居間に行くと、机の上に食パンと紅茶と弁当箱と一枚のメモ。
    >『今日から修学旅行だから頑張ってね!あと、お父さんも部活の合宿だから一人で頑張ってね! しっかり食べるんだよ 母より』 
    >「忘れてた! 今日お母さん朝からいないじゃん」
    > 私のお母さんは小学校の先生。お父さんは中学校の先生をやっている。だからいつも朝早いんだけど⋯⋯ 修学旅行は朝早すぎるからもう終わりだ。
    > お父さんも中学校の部活の合宿となったら、もう家には一人だ。そう言えば昨日の夜そんな話ししてたな⋯⋯ ドラマに集中しすぎてて聞いてなかった。
    > とりあえず、机の上にあるぬるくなった紅茶を飲み干し、パンを咥えて家を出る。
    >「行ってきます!」
    > 鍵を締めて、車庫にある自転車を取り出し、一気に漕ぎ出す。あと16分、大丈夫。間に合う。
    > 5分くらい思いっきり、漕いで行くと下り坂がある。
    >「いっせーのーで!」
    > そして、私は減速しないで坂道へと入る。
    > シャー
    >「やっぱり気持ちいい!」
    > 前から空気の塊がやってくる。少し暑くなってきた夏の朝に、風を切っていくのが本当に楽しい。
    > ペダルに足を乗せたまま、ハンドルと慣性だけでどんどん進んでいく。そして、その勢いを使って、最大のギアを一生懸命漕いでいく。


     気持ち良さそうのは主人公だけですね。今主人公が気持ちよさそうにくだっているのは住宅街の中の坂なのか、住宅街が見渡せるような丘の下り道なのか、読者はなんにもわからないので、この主人公の気持ちに同期できません。


     主人公が心で思ったことは正確に書いたのかもしれませんが、その言葉にのせて、場面の情報も伝えてほしいです。





    *** 総評 ***

    前回の作品では、「小説になりきれていない」と感じました。今作では、ここまでの短い間でも、なんとかして質感や感情で読者に物語りを伝えようとしているのがわかります。前回の指摘も意識してもらえたのかなぁと、ふんわりとですが思えました。

    ですので、本作の設計思想は小説だと思えます。

    しかしまだ、脳内の映像に引っ張られすぎていて、描写があと五歩くらい足りない感じです。小説に求められる描写が射抜けていない感じを受けます。


    ◯ 質感や感情
    足が勝手に動いて進む感覚の描写は、この作品の特徴的なところなのでとても重要です。こういうところが、作者の腕の見せ所だと思いますし、読者が小説に期待するところなんです。私も考えてみたのですが、例えば、地面を踏む靴(足)の裏の感覚は残っている? とすれば、これをフックにすると想像しやすい描写ができないかなー、と思ったり。「まるで自分の足ではないかのように、私の意志とは関係無しに真っ直ぐ進んでいく。」状態においても、万人が想像できて、質感や感触としてイメージできる要素を見つけて、それを基準に描写を考えてみましょう。


    霧ですが、そもそも普通の霧は薄くて数メートル先まで余裕で見えます。顔がよく見えない、と書いてありますが、霧のイメージについては読者に投げてしまっていますよね。顔が見えないレベルならたぶん霧というか厚い雲レベル。「顔の輪郭だけがぼんやり浮かぶ」感じかな? 「表情は読み取れない」とあれば主人公の感情的な不安も描写できますね。

    ヒビの先の漆黒の世界も、そういうのみた時って感情的にも何か思ってるはずなんですよ。怖そう、とかおぞましい感じ、とか。原文はただ漆黒の世界と書いてあるだけです。そう思う間もなく次の展開へ進んだのなら、それ相応の描写が欲しいところです。

    このように作品の特徴=作者の文才の見せ所、といえる描写のところで、質感や感情部分のイメージを読者に投げちゃってるので、これでは小説として楽しませている、とは言えないと思います。

    誰でも知ってる記号化された情報や、詳細に書かなくてもわかる日常動作以外の、「この作品にしかないものだ!」と言えるところについては自分の腕を見せるつもりで文章を考えましょう。


    ◯ 語彙力
    全体的に作者の語彙力を超えていない感じがしますね。
    例えば冒頭の「一面灰色の不気味な場所」って「色がない街」でも通じますよね。
    頭の中で見えてるままを書くと、だいたい読者の感情を刺激させにくい、映像的な言葉ばかりうかびます。発想の転換をしていきましょう。

    あと、ふと気になってctrf+Fでみたんですが、「どんどん」が11箇所もあるのが気になりました……。


    ◯ 記号化されたイメージに対するフォローがない。
    脳内映像では交差点、だから交差点、と書いたのだと思いますが、交差点と聞いて人がイメージすることまで意識が回っていない。サラリーマン、もそう。劇中人物の語彙力としては正しいのかもしれないけど、サラリーマンのようなスーツ姿の〜と書くだけで主人公の語彙力とも噛み合って十分なのに、そういう、読者のイメージを調整する描写がない。「霧」や「雀のさえずり」、もそうですね。もしさえずりを聞いて幾分心が和んだのであれば、切り分けて描写したほうがいいでしょう。


    まとめると、セリフや映像的な描写があるので理解には困らないが、心情で伝えているといえる品質には届いていない、ということです。

    「俺の考えた主人公がさ、遊園地にいってジェットコースターに乗って「わー!」って言ったんだよ」と言われても何にも怖くないし、聞いた人も主人公に感情的同期はできないと思います。これと同じです。

    ポジティブな特徴として、小説の作り方は合っていると思うんです。
    ストーリーの展開は追えますし、流れもよくあるセオリーに沿っているのでわかりやすい。ですので、全執筆工程が1〜5まであるとしたら、今回の工程を4として、最後の5、質感について集中して叩くフェイズを設けてはいかがでしょうか。

    同様の品質になっていた作品の作者さんには共通して伝えていることですが、一度脚本の勉強をして、映像的描写と小説的描写の違いが嗅ぎ取れる感覚を身につけてみてください。そんなに難しくありません。

    そして脚本描写という小説とは真逆の媒体への理解を通して、小説に求められる描写を深掘りしてみてください。映像的描写、小説的描写の見分けもつくようになり、小説がとても書きやすくなりますし、スキルアップの方針も定めやすくなります。

    脚本と小説の違いについては、最近、始めた作品で解説していますので、よろしければ参考にしてください。他の方へつけた構成評価にも本作と被る指摘が多々見受けられますので、ぜひ参考にしてくださいね。

    無限の猿定理 ーウィリアム・モンキーをやっつけろ!ー
    https://kakuyomu.jp/works/16818792437698455343