M町怪物化事件報告書 ~逃げ場のない山間の町で、人々は怪物になる~
よし ひろし
FILE.01:異変の兆候と現地入り
<202X年8月8日 午前9時30分 東京都内・編集部>
「おい、高橋、これ見てみろ。面白そうなネタがあるぞ」
編集長の声に振り返ると、彼はモニターを指差していた。画面には地方ニュースサイトの小さな記事が表示されている。
『埼玉・M町で住民数名が突然凶暴化 原因不明で警察が調査』
私、
「凶暴化って、具体的に何があったんですか?」
「それが分からんのよ。警察も県も口が重い。でも、SNSじゃもっと過激な話が出てる」
編集長は別のタブを開く。Xの投稿が複数表示された。
『M町やばい。人が化け物になってる』
『理性失って襲いかかってくるって聞いた』
『友達の親戚がM町にいるけど連絡取れない』
どれも又聞きばかりで信憑性は低い。しかし、これだけ同時に似たような話が上がるということは、何かしら異常事態が起きているのだろう。
「行ってみます」
「そうこなくっちゃ。でも気をつけろよ。本当にヤバい事態なら、すぐ引き返せ」
<午前11時45分 埼玉県西部・国道299号線>
都心から車で二時間。山間部に入ると、景色は一変した。深い緑に覆われた山々が連なり、清流が道路に沿って流れている。夏の陽射しは強いが、木陰は涼しく、窓を開けると蝉の声と共に爽やかな風が吹き込んできた。
こんな平和な場所で、一体何が起きているというのだろうか。
カーナビの指示に従い、M町方面へ続く県道に入る。道幅は狭くなり、対向車もほとんどない。時折、軽トラックや地元ナンバーの車とすれ違う程度だ。
運転しながら、私は片手でスマートフォンを操作し、M町の基本情報を調べていた。人口約三千二百人、主要産業は農業と林業、最寄り駅から車で四十分という典型的な山間の過疎地域。自然豊かな土地で、観光地としてはそれほど有名ではないが、夏場はキャンプや川遊びを楽しむ家族連れが訪れるという。
そんな場所で「住民が凶暴化」などという事件が起きるとは、にわかには信じがたい。
<午後12時20分 M町入口>
町の入口にさしかかったとき、私の疑念は一気に吹き飛んだ。
道路に設置されたパイロンとテープ。その向こうに停まっているのは埼玉県警のパトカーだった。制服警官が二名、通行車両をチェックしている。
「すみません、報道関係者なんですが」
私は車を停め、窓を開けて声をかけた。警官の表情は険しい。
「申し訳ございませんが、現在M町は緊急事態のため立ち入り制限をしております。関係者以外の立ち入りはご遠慮いただいて――」
「緊急事態というのは、住民が凶暴化しているという件ですか?」
警官の顔が強張った。
「詳細についてはお答えできません。引き返していただけますか」
だが、その時――
ウゥゥ……アアアアァァッ!
山の向こうから、風に乗って微かに聞こえてきたのは――人の叫び声? それとも、動物か? とにかく何か生き物の唸り声らしき叫びだった。
それを聞いた警官の一人が、無線機に何かを報告し始めた。
「あの~、これって、確実にニュースになる案件ですよね? 住民の安全に関わることなら、むしろ正確な情報を伝える必要があるんじゃないでしょうか」
私は言いながら、名刺を差し出した。警官はしばらく迷った後、上司らしき人物に電話をかけ始め、五分ほどの押し問答の末、結局「自己責任で」という条件付きで町内への立ち入りが許可された。
私はすぐに車を出し、検問を通り抜ける。その時、
チクリ……
首筋に小さな痛みを感じた。
「ん? ……蚊か」
反射的に手で払うと、小さな蚊の死骸が指についた。山間部だから当然だろう。この季節、虫除けスプレーを持参すべきだった。そう思いながら、刺された首筋をボリボリと掻く。
その時の私は、この小さな虫刺されが、やがて私の運命を決定づけることになるとは、まったく想像していなかった……
<午後12時35分 M町中心部>
町の中に入ると、異様な静寂に包まれていた。
平日の昼間とはいえ、人通りが全くないのは不自然だ。商店街のシャッターはほとんど下ろされ、道路脇には放置されたままの軽自動車が何台も停まっている。
私は車を停め、周囲の状況を観察した。遠くから時々聞こえる叫び声、家の中から漏れる話し声、そして――何か重いものが床を叩くような音……
車を降り、スマートフォンを取り出して、録画機能をオンにする。まずは現場の状況を記録することから始めよう。
「現在時刻、午後12時37分。M町中心部に到着しました。警察による立ち入り制限が敷かれており、住民の姿はほとんど見当たりません。しかし、建物の中からは人の気配が感じられ、時折、尋常ではない叫び声が――」
その時だった。私の右側、約五十メートル先の民家から、ガラスの割れる音が響いた。そして、玄関のドアが勢いよく開かれ、中年女性が転がるように飛び出してくる。
「助けて! 誰か――助けて!」
女性は私を見ると、必死の形相で走り寄ってきた。
「どうしたんですか? 何があったんです?」
「主人が、主人が変になっちゃって!」
女性は泣きながら説明した。夫が朝から様子がおかしく、突然理性を失って暴れ始めたという。家具を投げつけ、意味不明な言葉を叫び、今にも自分に襲いかかりそうだったと。
「ご主人に何か変わったことはありませんでしたか? 怪我をしたとか、何かを食べたとか?」
「分からない、分からないの! 昨日まではいつも通りだったのに……」
その時――
ウウゥゥ――ッ……
先ほど女性が出てきた家の方から、低い唸り声が聞こえてきた。そして、玄関から現れたのは――
「なっ――!?」
私は息を呑んだ。それは確かに人間の形をしている。しかし、その表情は理性を失った野獣のそれだった。口からは涎を垂らし、瞳は血走り、腕を振り回しながら獣のような声を上げている。
「あれが――あれがうちの主人です!」
女性の悲痛な叫び声が山間に響く。
これは――これまでに経験したことのない異常事態。スクープだ! 私の記者魂が燃え上がった。
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