第二十九話

 日中の森には暖かな陽気が差し込み、寒さに凍てついていた空気も少しずつ緩み始めている。

 木々の隙間からは柔らかな春の光が差し込み、森の中は、確かに少しずつ春へと歩みを進めていた。

 そんな森の中に、ユユと、親カラスの面影を残す雛カラス――今では“スツコ”と名付けられた小さな命の無邪気な声が響き渡る。

 「アハハハ! スツコはもうすぐとべるな!」

 ユユが楽しげに笑いかけると、スツコも「カー! カーー」と元気いっぱいに鳴き、彼女の期待に応えた。

 そんなふたりの様子を、保護者のようなまなざしで見守るのは、ドリュアだった。

 ちなみに、スツコという名前の意味は、「すごく、つよい、かーちゃんカラスのこ」の略で、ユユが愛情込めて名付けたらしい。

 そんな楽しげな光景の中心にいるユユとスツコだが、俺はその時、ある意味、彼らの“訓練機材”と化していた。

 具体的に言うと、スツコが安全に着地できるよう、俺が安全マットの代わりを務めていたのだ。

 ことの起こりは、俺が春の柔らかな陽光の下で、気持ちよく日向ぼっこをしていた時だった。

 突如、背後からユユの気合みなぎる「トリャー!」という掛け声が聞こえ、次の瞬間、視界の端で小さな黒い影が宙を舞った。

 スツコだ!

 ユユがまさかの“投げ飛ばし訓練”を始めたのだ。

 俺は反射的に跳ね起き、スツコの落下予想地点へと、慌てて体を滑り込ませた。

 トスンという衝撃と共に、スツコは俺の背中に落ちてきた。

 無事を確認して、俺はすぐにユユに詰め寄った。

 「ワンワオン(ユユ、何やってんの! 危ないだろ、今のは!)」

 ユユは、全く悪びれることなく、キラキラした瞳で答える。

 『スツコのとぶとっくん!』

 「カー!」と、スツコも得意げに鳴く。

 「ワオン(いや、いくらなんでも、いきなりぶん投げるのはハードル高すぎるだろ)」

 『だいじょうぶ! スツコつよい!』

 「カーカー!」と、スツコも自信満々に鳴き返す。

 「ワオォン(いやいや、今の着地、俺がいなかったら絶対背中から落ちてたからな?! 大丈夫なわけないだろ!)」

 ユユは俺の言葉を無視して、スツコに直接話しかける。

 『スツコがちゃんとちゃくりくできたいってるよ』

 「カー」と小さく鳴いたスツコは、確かにユユの言葉を肯定しているようだった。

 「ガウ(いや、無理があるだろ……)」

 俺は心の中で毒づきながら、とりあえずは雛カラスの成長をサポートするため、この安全マット役を続けるしかなさそうだった。

 「うりゃー!」

 ユユの力強い声が合図となり、スツコは小さな体を一気に宙に投じられる。

 「かー!」と喜びの声を上げながら、風を切り裂くように飛んでいくスツコ。

 俺は、その軌道を瞬時に読み取り、着地点へと一直線に駆けつけ、「とすん」という感触と共に背中で受け止める。

 スツコを背に乗せたままユユと口髭を整えているドリュアの元へ戻ると、間髪入れずに次の「ほんりゃー!」が飛んでくる。

 そうして、投げ飛ばされては「かーー!」と楽しげに鳴き、俺がそれを追いかけ、背中で受け止める。

 一見、無謀にも思えるスパルタな訓練だが、ユユもスツコも最高に楽しそうで、その様子を見ているうちに、俺の中に秘められていた仔犬特有の遊びたい衝動が抑えきれなくなっていた。

 ――やばい、予想外に楽しいぞ、これ! 俺、自分の興奮をもう止められない!

 理性とは裏腹に、俺の口からは自然と「わんわん!」という催促の声が漏れていた。

 もはや、義務感からではなく、純粋な遊び心で、俺もこの訓練に参加しているようだった。

 特訓と呼ぶにはあまりにも奔放で、遊びと呼ぶには少しばかり過酷な、そんな不思議な触れ合いが、いつの間にか俺たちの日常に深く溶け込んでいた。

 ユユとドリュアとスツコ、そして俺。

 一人と一精霊と一羽と一匹の奇妙な共同生活は、日々を賑やかに彩っていく。

 この無意識のうちに繰り返される交流の中で、俺の心にまるで氷の城のようにそびえ立っていた、スツコの親カラスへの後悔、そして自らを深く責め苛む贖罪の壁が、少しずつ、まるで春の雪解けのように、音もなく溶けていくのを感じていた。

 「俺に、雛カラスを可愛がる資格などあるのだろうか?」

 あの重い問いは、ユユとスツコが何の疑いもなく俺に寄せる、純粋な信頼の眼差しと、

その屈託のない笑顔の前では、いつしか意味を失っていた。

 俺はもう、過去の重荷に囚われることなく、ただ純粋に、目の前の小さな命と共に笑い、

森の中を駆け回る日々に、心からの安らぎを見出していた。

 彼らとの絆こそが、俺を縛り付けていた見えない壁を打ち破る、確かな力となっていたのだ。

 俺とスツコの関係が、まるで春の陽光が雪を溶かすように変化していったのと同じく、ユユとスツコの間にも、目に見える確かな変化が起こっていた。

 それは単なる仲の良さを超えた、深い繋がりと呼ぶべきものだ。

 気づけば、ユユが知らぬ間にスツコをテイムし、その小さな命を導くように行動していたのだ。

 この世界において、動物をテイムすること自体は決して珍しくない。

 だが、ユユもスツコもまだ幼い。

 その体や心に、何か負担がかかっているのではないかという不安がよぎり、俺はすぐにドリュアに問いかけた。

 ドリュアは、その子供らしからぬ口髭に指を当て、しばらく思案顔を見せたが、

結局はっきりとした答えを出すことはできないようだった。

 『私にも、詳しいことは分かりません。

 ですが、きっとユユとスツコの間に、お互いを深く信じ合う心が通じ合い、それが自然と、彼らを繋ぎ止めたのでしょう。』

 ドリュアは、少し困ったように首を傾げながらも、そう推測した。

 確かに、二人の間には、常に温かく、そして揺るぎない感情が流れているのが感じ取れる。

 無理に力を加えて従わせるテイムとは異なり、この繋がりは、ユユにもスツコにも何の負担も与えていないようだった。

 むしろ、以前にも増して二人の絆は、これまで以上に強固なものとなり、互いを支え合っているように見えた。

 この奇跡のような絆が、これから先も彼女らの未来を明るく照らし続けることを、

俺はただただ願うばかりだった。

 ユユとスツコとの温かい触れ合いの日々を紡ぎながら、俺の自己研鑽も怠ることなく続いていた。

 目の前にある小さな命を守るため、そして二度と同じ過ちを繰り返さないために、俺自身の力を高めることは絶対だった。

 まずは、“自家製シュールストレミング”を用いた悪臭耐性強化訓練だ。

 これは、正直言って未だ耐性が付いたとは言い難い。

 あの鼻を突き刺すような腐敗臭に、本能が拒絶反応を示すのは変わらない。

 だが、匂いの感知に強弱をつけることで、悪臭そのものをできるだけ意識の外に置く、という回避策は身につけられた。

 これは実戦においても、感覚の過負荷を防ぐ上で有効な手段となるだろう。

 次に、戦闘の要となる爪攻撃と、俺の個人的な課題である噛みつき攻撃の強化だ。

 爪攻撃に関しては、以前よりも明らかに切れ味と重みが増したように感じる。

 獲物の肉を容易く引き裂き、骨にまで達する感覚は、確実に俺の成長を物語っていた。

 だが、噛みつきはやはり一瞬の躊躇がつきまとう。

 本能的な嫌悪感が、どうしても完全に消え去らない。

 しかし、あの時の親カラスの犠牲を無駄にしないためにも、この噛みつきは克服すべき最重要課題だ。

 精神的な壁を打ち破るべく、修行は継続あるのみだ。

 その他、以前の戦いでその重要性を痛感した回避能力も、地味に鍛え続けている。

 現在は回避として発現しているこの能力にも、もしかしたら上位互換の能力が存在するかもしれない。

 現状に満足せず、より高みを目指す。

 地味な訓練の積み重ねが、いつか大きな飛躍に繋がることを信じて、俺はひたすらに己を鍛え続ける。

 そんなことを脳裏で巡らせながら、俺は「ワフワフ」と、まるで遊びをせがむかのように声を出し、

ユユとスツコの飛行訓練における安全マットとして、森の中を駆け巡っていた。

 「どっせーい!」

 ユユの、これまでで一番の気合が込められた声が炸裂し、スツコが空高くへと放物線を描いて飛び出した。

 「カァァーー!」

 スツコの、歓喜に満ちた叫びが、春の森に響き渡る。

 その小さな体は、明らかにこれまでの最高記録を更新する驚異的な飛距離を示していた。

 俺は即座にダッシュで追いかける。

 しかし、その瞬間、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 「ガウ?(いや、あれ? 落ちてこない?)」

 スツコが、風を捉え、わずかながらも自らの力で羽ばたき、高度を保っている。

 「ワンワンワウ?(いやいや! 本当に飛んでる?! これが、努力の成果……なのか?!)」

 「スツコやればできるコ!!」

 ユユの歓声が、まるで森全体を包み込むかのように響き渡る。

 確かに、それは感動的な瞬間だ。

 だが、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 「ワンガウガウ(おいおい、ヤバいだろ、あれ? あんなに遠くまで……)」

 俺は無我夢中でスツコを追い続けた。

 数分の出来事だったのか、数十秒の刹那だったのか、時間の感覚すら曖昧になるほど、

その飛行は俺にとって永遠に感じられた。

 「ワオンワフー!(頼むから、早く安全な場所に降りてきてくれ!)」

 そう強く念じた、その時だった。

 不意に、俺の嗅覚に恐ろしいほどの反応があった。

 それは、複数の魔獣が発する、紛れもない殺気を含んだ匂いだ。

 「ガウガウガー(ヤバい、俺、マジでヤバい!)」

 スツコの飛翔に心を奪われ、俺は無防備にも魔獣の群れの縄張りの奥深くへと、足を踏み入れてしまっていたのだ!

 すでに魔獣たちはこちらに気づき、獲物を見つけたかのように、ものすごい勢いで距離を詰めてくる。

 幸い、スツコはいつの間にか旋回し、ユユたちのいる大樹の方向へと帰っていくのが見えた。

 そちらはひとまず安心だ。

 だが、俺の眼前には、すでに4匹のホーンラビットが、その巨大な角を振り上げ、威嚇するように立ち塞がっていた。




 日中の森には暖かな陽気が差し込み、寒さに凍てついていた空気も少しずつ緩み始めている。

 木々の隙間からは柔らかな春の光が差し込み、森の中は、確かに少しずつ春へと歩みを進めていた。

 そんな森の中に、ユユと、親カラスの面影を残す雛カラス――今では“スツコ”と名付けられた小さな命の無邪気な声が響き渡る。

 「アハハハ! スツコはもうすぐとべるな!」

 ユユが楽しげに笑いかけると、スツコも「カー! カーー」と元気いっぱいに鳴き、彼女の期待に応えた。

 そんなふたりの様子を、保護者のようなまなざしで見守るのは、ドリュアだった。

 ちなみに、スツコという名前の意味は、「すごく、つよい、かーちゃんカラスのこ」の略で、ユユが愛情込めて名付けたらしい。

 そんな楽しげな光景の中心にいるユユとスツコだが、俺はその時、ある意味、彼らの“訓練機材”と化していた。

 具体的に言うと、スツコが安全に着地できるよう、俺が安全マットの代わりを務めていたのだ。

 ことの起こりは、俺が春の柔らかな陽光の下で、気持ちよく日向ぼっこをしていた時だった。

 突如、背後からユユの気合みなぎる「トリャー!」という掛け声が聞こえ、次の瞬間、視界の端で小さな黒い影が宙を舞った。

 スツコだ!

 ユユがまさかの“投げ飛ばし訓練”を始めたのだ。

 俺は反射的に跳ね起き、スツコの落下予想地点へと、慌てて体を滑り込ませた。

 トスンという衝撃と共に、スツコは俺の背中に落ちてきた。

 無事を確認して、俺はすぐにユユに詰め寄った。

 「ワンワオン(ユユ、何やってんの! 危ないだろ、今のは!)」

 ユユは、全く悪びれることなく、キラキラした瞳で答える。

 『スツコのとぶとっくん!』

 「カー!」と、スツコも得意げに鳴く。

 「ワオン(いや、いくらなんでも、いきなりぶん投げるのはハードル高すぎるだろ)」

 『だいじょうぶ! スツコつよい!』

 「カーカー!」と、スツコも自信満々に鳴き返す。

 「ワオォン(いやいや、今の着地、俺がいなかったら絶対背中から落ちてたからな?! 大丈夫なわけないだろ!)」

 ユユは俺の言葉を無視して、スツコに直接話しかける。

 『スツコがちゃんとちゃくりくできたいってるよ』

 「カー」と小さく鳴いたスツコは、確かにユユの言葉を肯定しているようだった。

 「ガウ(いや、無理があるだろ……)」

 俺は心の中で毒づきながら、とりあえずは雛カラスの成長をサポートするため、この安全マット役を続けるしかなさそうだった。

 「うりゃー!」

 ユユの力強い声が合図となり、スツコは小さな体を一気に宙に投じられる。

 「かー!」と喜びの声を上げながら、風を切り裂くように飛んでいくスツコ。

 俺は、その軌道を瞬時に読み取り、着地点へと一直線に駆けつけ、「とすん」という感触と共に背中で受け止める。

 スツコを背に乗せたままユユと口髭を整えているドリュアの元へ戻ると、間髪入れずに次の「ほんりゃー!」が飛んでくる。

 そうして、投げ飛ばされては「かーー!」と楽しげに鳴き、俺がそれを追いかけ、背中で受け止める。

 一見、無謀にも思えるスパルタな訓練だが、ユユもスツコも最高に楽しそうで、その様子を見ているうちに、俺の中に秘められていた仔犬特有の遊びたい衝動が抑えきれなくなっていた。

 ――やばい、予想外に楽しいぞ、これ! 俺、自分の興奮をもう止められない!

 理性とは裏腹に、俺の口からは自然と「わんわん!」という催促の声が漏れていた。

 もはや、義務感からではなく、純粋な遊び心で、俺もこの訓練に参加しているようだった。

 特訓と呼ぶにはあまりにも奔放で、遊びと呼ぶには少しばかり過酷な、そんな不思議な触れ合いが、いつの間にか俺たちの日常に深く溶け込んでいた。

 ユユとドリュアとスツコ、そして俺。

 一人と一精霊と一羽と一匹の奇妙な共同生活は、日々を賑やかに彩っていく。

 この無意識のうちに繰り返される交流の中で、俺の心にまるで氷の城のようにそびえ立っていた、スツコの親カラスへの後悔、そして自らを深く責め苛む贖罪の壁が、少しずつ、まるで春の雪解けのように、音もなく溶けていくのを感じていた。

 「俺に、雛カラスを可愛がる資格などあるのだろうか?」

 あの重い問いは、ユユとスツコが何の疑いもなく俺に寄せる、純粋な信頼の眼差しと、

その屈託のない笑顔の前では、いつしか意味を失っていた。

 俺はもう、過去の重荷に囚われることなく、ただ純粋に、目の前の小さな命と共に笑い、

森の中を駆け回る日々に、心からの安らぎを見出していた。

 彼らとの絆こそが、俺を縛り付けていた見えない壁を打ち破る、確かな力となっていたのだ。

 俺とスツコの関係が、まるで春の陽光が雪を溶かすように変化していったのと同じく、ユユとスツコの間にも、目に見える確かな変化が起こっていた。

 それは単なる仲の良さを超えた、深い繋がりと呼ぶべきものだ。

 気づけば、ユユが知らぬ間にスツコをテイムし、その小さな命を導くように行動していたのだ。

 この世界において、動物をテイムすること自体は決して珍しくない。

 だが、ユユもスツコもまだ幼い。

 その体や心に、何か負担がかかっているのではないかという不安がよぎり、俺はすぐにドリュアに問いかけた。

 ドリュアは、その子供らしからぬ口髭に指を当て、しばらく思案顔を見せたが、

結局はっきりとした答えを出すことはできないようだった。

 『私にも、詳しいことは分かりません。

 ですが、きっとユユとスツコの間に、お互いを深く信じ合う心が通じ合い、それが自然と、彼らを繋ぎ止めたのでしょう。』

 ドリュアは、少し困ったように首を傾げながらも、そう推測した。

 確かに、二人の間には、常に温かく、そして揺るぎない感情が流れているのが感じ取れる。

 無理に力を加えて従わせるテイムとは異なり、この繋がりは、ユユにもスツコにも何の負担も与えていないようだった。

 むしろ、以前にも増して二人の絆は、これまで以上に強固なものとなり、互いを支え合っているように見えた。

 この奇跡のような絆が、これから先も彼女らの未来を明るく照らし続けることを、

俺はただただ願うばかりだった。

 ユユとスツコとの温かい触れ合いの日々を紡ぎながら、俺の自己研鑽も怠ることなく続いていた。

 目の前にある小さな命を守るため、そして二度と同じ過ちを繰り返さないために、俺自身の力を高めることは絶対だった。

 まずは、“自家製シュールストレミング”を用いた悪臭耐性強化訓練だ。

 これは、正直言って未だ耐性が付いたとは言い難い。

 あの鼻を突き刺すような腐敗臭に、本能が拒絶反応を示すのは変わらない。

 だが、匂いの感知に強弱をつけることで、悪臭そのものをできるだけ意識の外に置く、という回避策は身につけられた。

 これは実戦においても、感覚の過負荷を防ぐ上で有効な手段となるだろう。

 次に、戦闘の要となる爪攻撃と、俺の個人的な課題である噛みつき攻撃の強化だ。

 爪攻撃に関しては、以前よりも明らかに切れ味と重みが増したように感じる。

 獲物の肉を容易く引き裂き、骨にまで達する感覚は、確実に俺の成長を物語っていた。

 だが、噛みつきはやはり一瞬の躊躇がつきまとう。

 本能的な嫌悪感が、どうしても完全に消え去らない。

 しかし、あの時の親カラスの犠牲を無駄にしないためにも、この噛みつきは克服すべき最重要課題だ。

 精神的な壁を打ち破るべく、修行は継続あるのみだ。

 その他、以前の戦いでその重要性を痛感した回避能力も、地味に鍛え続けている。

 現在は回避として発現しているこの能力にも、もしかしたら上位互換の能力が存在するかもしれない。

 現状に満足せず、より高みを目指す。

 地味な訓練の積み重ねが、いつか大きな飛躍に繋がることを信じて、俺はひたすらに己を鍛え続ける。

 そんなことを脳裏で巡らせながら、俺は「ワフワフ」と、まるで遊びをせがむかのように声を出し、

ユユとスツコの飛行訓練における安全マットとして、森の中を駆け巡っていた。

 「どっせーい!」

 ユユの、これまでで一番の気合が込められた声が炸裂し、スツコが空高くへと放物線を描いて飛び出した。

 「カァァーー!」

 スツコの、歓喜に満ちた叫びが、春の森に響き渡る。

 その小さな体は、明らかにこれまでの最高記録を更新する驚異的な飛距離を示していた。

 俺は即座にダッシュで追いかける。

 しかし、その瞬間、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 「ガウ?(いや、あれ? 落ちてこない?)」

 スツコが、風を捉え、わずかながらも自らの力で羽ばたき、高度を保っている。

 「ワンワンワウ?(いやいや! 本当に飛んでる?! これが、努力の成果……なのか?!)」

 「スツコやればできるコ!!」

 ユユの歓声が、まるで森全体を包み込むかのように響き渡る。

 確かに、それは感動的な瞬間だ。

 だが、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 「ワンガウガウ(おいおい、ヤバいだろ、あれ? あんなに遠くまで……)」

 俺は無我夢中でスツコを追い続けた。

 数分の出来事だったのか、数十秒の刹那だったのか、時間の感覚すら曖昧になるほど、

その飛行は俺にとって永遠に感じられた。

 「ワオンワフー!(頼むから、早く安全な場所に降りてきてくれ!)」

 そう強く念じた、その時だった。

 不意に、俺の嗅覚に恐ろしいほどの反応があった。

 それは、複数の魔獣が発する、紛れもない殺気を含んだ匂いだ。

 「ガウガウガー(ヤバい、俺、マジでヤバい!)」

 スツコの飛翔に心を奪われ、俺は無防備にも魔獣の群れの縄張りの奥深くへと、足を踏み入れてしまっていたのだ!

 すでに魔獣たちはこちらに気づき、獲物を見つけたかのように、ものすごい勢いで距離を詰めてくる。

 幸い、スツコはいつの間にか旋回し、ユユたちのいる大樹の方向へと帰っていくのが見えた。

 そちらはひとまず安心だ。

 だが、俺の眼前には、すでに4匹のホーンラビットが、その巨大な角を振り上げ、威嚇するように立ち塞がっていた。


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