第八話

『さて、モコオ、日が傾き始める前に私たちの寝床へ移動しましょう。』


「ガゥ?」

 ……え!ドリュアもモコオって呼ぶの?

 ほんとにモコオで名前決定なの?

 ちょ、モコオはなんか狼感無いし、もう少し候補を挙げて選択の幅、多様性ってやつをさ、てか、俺の意見ぐらい聞いて名前決定しなきゃコンプライアンス的なものにうるさい関係各所から厳重注意を……


『ユユのねどこ!おしえてあげるよ!モコオ』


『モコオには分不相応な私たちの寝床へ招待するのです。

 それなのに感謝の気持ちを表明できないとは……本当に駄ワンコなのですね。』


『だいじょうぶ!ユユにはモコオのきもちちがわかるからね!

 ねーモコオ。』


 ……

 ……二人に俺の念話は届かないの?

 なんかずる過ぎないか?

 ………ねぇ、ほんとに俺だけその念話グループに入ってないの?


 一抹の、いや十抹も十一抹も不安を抱え二人について行きながら、名前の件はなき寝入ってやる……ガウガウ

 だが、俺を犬だと認識しているという事実だけは、この旅を通じて覆してやる、と固く心に誓った。


 ユユは機嫌よさげに鼻歌を歌い、ドリュアはユユの肩のあたりを漂うようにして、先導する。


 ──ん?

 歩き始めて間もなく、俺の鼻が微かな匂いを捉えた。

 それは、あの時の、激辛カレー腐った卵トッピング臭──魔獣の臭いだ。


「ワフ……(待て、この匂い……!)」


 警戒を促すように、俺はユユの前に躍り出た。

 鼻先に緊張が走る。

 ユユも、俺の異変に気づいたのか、不安げな表情で俺を見る。

『どうしました?』


 ドリュアが不機嫌そうに問いかけてくる。


「グルゥ!(ここからは俺が先導する!お前たちは俺の陰にいろ!)」


 俺は必死に念話で伝え、毅然とした態度でユユとドリュアの前に、もこもこ、ころころな小さな体で立ち塞がった。

 このままでは、また俺が犬呼ばわりされるだけだ。

 ここは誇り高き狼としての姿を見せつけ、この二人を守ってやる!

 そう決意して、低い唸り声を上げる。


 ──来た!


 木々の隙間から、赤い瞳が覗いた。

 警戒と同時に、血に飢えた獰猛な気配がする。

 あれはあの時のコブウサギとほぼ同じか、それよりわずかに大きい程度だ。


「ワフゥゥゥ!」


 身体に力を込め、飛び出す準備をする。

 爪を研ぎ澄ませ、噛みつくタイミングを計算する。

 獲物の急所を捉え、一撃で仕留めてみせる!

 出来れば噛みつきは封印したいが、今は二人を守り、そのうえで将来の森の王として君臨する狼として、ウサ公の喉笛を電光石火の一撃で…


 その瞬間だった。


「……フン」

 ドリュアの、何気ない鼻息が聞こえたかと思うと、俺の背後から眩いばかりの真っ赤な火の塊が迸った。


「ワフン!(あつっ!)」


 火の塊は、まっすぐコブウサギに向かって飛んでいく。


 ドオンッ!


 鈍い爆発音が雪の森に響き渡り、火花が散る。


 直後、コブウサギがいた場所に残ったのは、黒焦げになった小さな塊と、焦げ付いた肉の、ひどく不快な匂いだけだった。


 あっという間の一撃だった。


「ワフッ……(えっ……?)」


 俺は、呆然と目の前の光景を見つめた。

 あのコブウサギ、俺が命がけで戦った相手が、まるで消しゴムカスのように消し炭になった。

 しかも、なんの予備動作もなく、ただ指を向けただけで……。


『どうしましたモコオ。

 あなたは私たちについてくれば良いのです。』


 ドリュアは腕を組み、得意げに鼻を鳴らした。

 その表情は、どこか俺を見下している。


『ユユはしってるよ!

 モコオはもふもふころころ、さいきょうだよ!』


「ワフッ、ワフゥゥ(……あれ、魔法?)」


『ふん。

 魔法など、精霊族にとっては呼吸するも同然の初歩的な能力です。』


 唖然とする俺の視線を受け、ドリュアがなにやら咳払いをひとつし、


『……モコオには知識が足りないようですね。

 今後の同行に備えて、少し“この世界”の知識を授けて差し上げましょう。』


 まるで、子供に算数を教えている教師のようだ。


『良いですか、モコオ。

 この世界には“魔力”という概念が存在します。

 すべての生命体は、その身の内、あるいは周囲の環境から魔力を汲み上げて活動しています。

 ただし、その量は個体によって大きく異なります。

 呼吸や食事、そして睡眠によって回復し、修練を積むことで高めることも可能です。』


 ドリュアはユユの頭を優しく撫でながら説明する。

 ユユは、ドリュアの話を聞きながら、「うん、うん」と嘘くさい分かってます感を出し頷いている。


『しかし、魔力を持っていれば誰でも魔法が使えるわけではありません。

 魔法にはそれぞれ“適性”というものがあり、適性がなければ決して覚えることはできません。

 あなたの場合はどうか、現時点では不明ですがね。』


 チクリと刺すような言葉に、俺は思わず耳を伏せた。


『また、後天的に魔法を習得することも可能ですが、そのためには適切な“教育”が必要です。

 師匠について修行するか、魔法書を読み解くか。

 独学で習得することは、ほぼ不可能と言えるでしょう。』


 ふむ、とドリュアは満足げに頷く。

 まるで、完璧な授業を終えた教師のように。


『そして、魔法以外にも、この世界には“能力”という概念があります。

 能力には、先天的に目覚めている能力と、後天的に覚えることができる能力があります。』


 ドリュアは、空中に見えない図形を描くように指を動かす。


『ユユの感情共有能力などは、その者自身が元々持っている先天的な能力の類です。

 すべての者が目覚めるわけではなく、目覚めるタイミングも人それぞれ。

 何かをきっかけに、突然開花することもあります。』


 ──俺の嗅覚も、そういう特別なやつなのか。


『一方で、剣術、魔法、回避などは、努力や修行を積み重ねることで身につけることができる後天的な能力です。

 これらは攻撃的なものだけでなく、日常生活に役立つもの、料理や農業、鍛冶など多岐にわたります。』


 ドリュアは、まるで自分の知識をひけらかすように、得意げに語る。

 俺は、その一方的な講義にうんざりしつつも、興味を惹かれる。

 そうか、努力次第で料理とかも覚えられるのか……。

 それは、ちょっと魅力的だな。

 四足歩行だけど。


 講義はいつの間にか歩きながらの移動授業となり、夕暮れが迫り、森の影が長くなる。


 それでもドリュアの声は変わらず淡々として、講師モードは終わりそうになかった。


 夕暮れの森を歩きながら、言葉が滑るように紡がれる。


『……能力には、得手不得手があります。

 才能、適性、環境、そして制御の成熟度。

 だがそれだけではありません』


 振り返ることもなく、ドリュアは言葉を続けた。


『モコオが理解すべきことのひとつは――能力には“代償”がある、ということです』


 「ワフ?」と首をかしげる俺に、ドリュアは薄く鼻を鳴らす。


『例えば、ユユの“共有”の力です。

 感情、感覚、時には能力そのものを繋げるそれは、便利そうに見えるでしょう?』


 くるりと踵を返して、ドリュアの瞳がこちらを射抜いた。


『感情の共有は、刃の両面です。

 通じ合えば喜びですが、通じぬ者とは――毒になるのです。

 嫌悪、恐怖、不快、焦燥……他者の“澱”は簡単に心を濁らせる』


 そこまで聞いて、俺はハッとした。

 捨てられた、と聞いた過去。

 もし、能力のせいで周囲に嫌悪感を抱かれ、それが原因で……。

 俺の胸に、じんわりと痛みが広がる。


 しん、と森が静まりかえる。


『使えば疲弊します。

 心も、体も、精神も。

 制御できぬままに繋がれば、最悪、自我の崩壊すらあり得るかもしれないのです。』


 ドリュアの念話は、感情を排したかのように冷静だった。

 しかし、その言葉の裏には、ユユへの配慮が垣間見える。

 ドリュアは、ちらと少女を一瞥し、諭すように続けた。


『だからユユには制限を課しています。

 信頼できる者にだけ、“今のところは”能力を使うように教育中です。』


 そしてまた視線を戻し、じっと俺を見下ろした。


『……その未熟者が、初対面のモコオと繋がったのです。

 これは、本来あり得ない事象です。』


 「ワ、ワフ……」


『奇跡、と言ってもいいでしょう。

 だが、奇跡にすがる者は育ちません。

 過信はしてはいけません。

 ユユも、モコオも、です。』


 言い捨てるようにそう言って、ドリュアは空を見上げる。


 夕陽が沈みかけ、森の影がますます長くなっていく。


 ドリュアの声だけが、その中で凛と響いていた。


 ショタ執事がどこからか取り出した小型櫛で、立派なカイゼル髭を丁寧に整えながら。

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