第7話 詩織さんは突然『お姉さん』になる



 食事を終え、二人で食後の紅茶を飲んでいると、詩織さんが「はい、莉子ちゃん」と言って、私に何かを差し出してきた。


「これは……?」


 詩織さんの手には、数枚の紙幣が握られていた。


「今日のお礼。こんなに部屋が綺麗になったし、こんなに美味しい料理も食べたし。バイト代だと思って受け取って?」


「いや、お金とかいりませんよ」


 私は、詩織さんの差し出す手を静かに押し返した。しかし、詩織さんは引き下がろうとしない。


「ダメだよ莉子ちゃん。こういうのはしっかりしないと!」


 なぜ、こういうところだけ大人のような、お姉さんのような対応をするのだろうか。部屋は散らかし放題なのに、こんな時だけ真剣な表情を浮かべる詩織さんのギャップに、私の心はかき乱される。


 私は、どうやって詩織さんを納得させようかと考えた。そんな時、詩織さんのVtuber活動のことを思い出した。収益化もできていない無名の個人Vtuberであること。一人で活動する孤独と、活動資金がままならない苦労は大体想像がつく。


「あの……あれですよ詩織さん」


「なに、あれって?」


「えっと……Vtuberって知ってます?」


「ぶっ!ぶぶVtuber!?なっなな何それ!?私、知らないんだけど!?高校生とか若い子の中で流行ってるのかな!?いや~私もおばさんになったなぁ~、あはは」


 詩織さんは、顔を真っ赤にして、わざとらしく明るい声で笑う。


 ……ごめんなさい詩織さん。例えが思い付きませんでした。目の前で焦る詩織さんに心の中で謝罪しながら私は続ける。


「これは、推し活……いや、『しお活』です」


 私の言葉に、詩織さんの笑い声が止まった。きょとんとした顔で、私を見つめている。


「え?『しお活』?」


「はい。私の友達もVtuberが好きなんですけど、Vtuberやアイドルなどに推しがいる人が、その活動を応援するために、グッズを買ったり、ライブに行ったり、献身的に応援する活動のことが推し活です。推す側は、推しを応援することで日々の活力を得て、推される側は、ファンからの応援で活動を続けられる。それは、お互いにWin-Winな関係なんです」


 私は、詩織さんの目をしっかりと見つめて、言葉を紡いだ。


「だから、私は無償で詩織さんの世話をすることで、充実感や満足感を得る。そして詩織さんは、日曜日の大事な時間を私に使って、部屋も綺麗になり、まともな生活を送る。お互いにWin-Winですよね?」


「お互いにWin-Win……なのかな?」


「そういうことです。なので、お金はいりません」


「そっそう?莉子ちゃんがいいならいいけど……」


 詩織さんは、しぶしぶといった様子で、お札をポケットにしまった。それ大丈夫かな……そのままその服を脱ぎ散らかさないといいけど。


 その日の契約はそれで終わり。ゴミをまとめて、扉を閉める間際、詩織さんが私を呼ぶ。


「莉子ちゃん」


 私の名前を呼ぶその声は、いつもより少し甘くて、どこか安心できる、大人のお姉さんそのもの。そして笑顔で、私に語りかけた。


「ありがとう」


 たった一言。ただそれだけなのに、私の心臓が大きく跳ねた。顔が熱くなるのを感じながら、私は必死に平静を装う。


「……また来週来ますから」


「うん。また来週ね」


 私は、その笑顔を胸に自分の部屋に戻った。カチャリと鍵を閉めた瞬間、全身の力が抜けて、壁にもたれかかる。


(……なんで、あんなにドキドキするんだろう)


 鏡に映る自分の顔は、少し赤くなっている気がした。詩織さんの笑顔を思い出すたびに胸が高鳴る。


(もしかして……風邪なのかな?)


 私は、自分の体調を心配しながら、ベッドに倒れ込んだ。しかし、頭の中は、先ほどの詩織さんの笑顔でいっぱいだった。


 目を閉じると、詩織さんの顔が鮮明に浮かんでくる。泥酔して私に甘えてきた姿。ゴミ屋敷のような部屋で見た、無防備に眠る姿。そして、先ほどの大人びた優しい笑顔。どれもが、私の中に新しい感情を呼び起こしていく。


 私は、これまでずっと「しっかり者」でいなければと自分を律してきた。友達にも、家族にも、弱いところを見せないように。寂しさや甘えたい気持ちを隠して、完璧な私を演じてきた。


 でも、詩織さんの前では、そんな仮面を被らなくてもいい気がした。詩織さんの無防備なだらしなさが、私の心の防衛線を少しずつ溶かしていく。


(詩織さんのことを、もっと知りたい。詩織さんの孤独を、私の温かさで満たしてあげたい)


 そう思うと、胸の鼓動がまた一つ、高鳴った。これが、一体どういう感情なのか、私にはまだ分からない。ただ、今この瞬間、私の心は詩織さんで満たされている。


 来週の日曜日が、少しだけ待ち遠しい。バイトで会う時の詩織さんとは違う。私だけが知る詩織さんの笑顔に、また会えることが、今の私にとって何よりの活力になっていた。

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