褒め殺し

 矢七やしちがやってきてから屋敷うちの人の配置がことのほか進んだことに真之介は舌を巻いている。

 文太ぶんたもやってきた。誰の承諾を得たのか具体的なことは真之介は知らない。興味はあったが、無知のままやりすごすのも一手だとそのまま棲んでもらうことにした。御筆組が養っている……と、かつて八杉八右衛門が口を滑らせたことがあった。かりにそうであるならば、事の詳細はから聴けばいいと真之介は、文太の遊び仲間に八右衛門の娘も呼び寄せようとおもった。

 かつての中間ちゅうげん仲間で引退した者、新たな家に召し抱えられない者を矢七が拾ってきた者を適所に配置していく。しかも、あろうことか矢七は真之介を“若さま”と呼ぶように徹底したのだ。

「おい、おい、いくらなんでも、若さまはないだろ?」

 真之介は矢七に喰ってかかった。屋敷うちの運営は任せても、自分に関わることであまり余計なまねはしてほしくはない。そのことを直截ちょくさいにいうと、

「いいえ、長序の列だけは、はっきりとしておかねばなりますまい」

と、矢七は済まし顔で答える。

 もともと口八丁手八丁なところがあり、それが矢七の強みともいえた。いまはすっかり男神おがみ家用人……といった地位に見合う働きをせねばという気負いもみられる。

「おれは藪坂藩に仕官したわけではないし、この屋敷もおれが領内にいる間だけ無償貸与してもらうだけのことだろ? ことさら家来や従者を増やす必要はあるまいよ。しかも、若さまなんて……なんだか小馬鹿にされているようで……」

と、真之介は一応抗弁してみた。どうやら矢七はこの先何年もこの屋敷に住まう心づもりでいるらしかった。身なりも中間ちゅうげんのそれではなく、古着の羽織袴をまとい、腰には脇差すら差している。本人はよほど武家風にこだわり、それをどこかで楽しんでいることは真之介には判る。

「ですから、若さま……いや、ふたりっきりのときは、これまで通り、真さんと呼ばさせてもらいやすがね、真さん……ある大藩たいはんの御落胤という噂……その真偽のほどは確かでなくとも、また、真さんが語っていたように誰かの悪意に満ちた謀略だっとしてもですぜ、それはそれで箔が付いた、ということではありませんかね! ここはそれを利用してやるんでございますよ」

 いつの間にか矢七の口調は、あの山本孫兵衛に似てきていた。自分の主張を整理してことばにする性向たちではなく、喋りながら辻褄を合わせつつ理屈づけていく。

(まるでまごさんが二人いるようだ……)

 そんなことを考えつつ、八杉八右衛門に鹿野藩までの路筋みちすじを描いておいてもらうべきだったとだなと悔やんでもいる。

「聴いておりんさるんかのぅ? ぼおぅとしてれいの許婚の件でお悩みなのでございますかね?」

「あ、それを忘れていた、身に覚えも心当たりもまったくない許婚など、こちらを動揺させる計略としか思えんぞ。美しゅうある人だが、あのという女人は、旗本の息女であろうはずもないぞ」

 急にのことを思い出したのは、根っから誤報偽報のたぐいだとおもい、ここ数日真之介の思念から追い払ってきたからである。けれどひとたびの顔が浮かぶと、

(なにを考えておれをおとしめようとしているんだ……!)

と、湿りを帯びたざわつきが真之介のからだにまとわりついて離れない。

 矢七との打ち合わせが終わって、外をぶらつこうとして着替えをすませたとき、文太が現れて、

(若さま、ご来訪です)

と、告げた。むろん声はきけない文太は、身ぶり手ぶりだけでそう伝えている。その文太も真新しい衣を着て髪を後ろに束ねていた。

「おお、見間違えたぞ、文太も豪商の息子のように見える」

(ひゃ、若さまのおかげでございます)と、文太は言いたかったはずである。

「で、誰だ? ただの挨拶ならしちさんに……」

 すると小さく切りただんだ紙と矢立やたてを取り出した文太は、

組頭様

と、筆で書いて真之介にみせた。

「は……? 組頭とは……」

 ……誰のことだろうと振り返ると、すぐ側で琴絵が佇んでいた。

「失礼とは存じまするが、勝手にあがらせていだだきました。表に立たされると人目がありますので……」

「や、それでいいぞ。いつも勝手に現れていたのだし、いまさら変えなくても……」 

「でも、に対し奉り……」

と、言いつつも途中でころころと笑い転げた琴絵は、真之介が置かれたいまの状況が可笑しくてたまらないのであろう。

「おい、御筆組の頭目ともあろうものが、そんなに軽くていいのか?」

 珍しく真之介が叱咤すると、

「頭目とは……?」

「文太が、組頭が来たと、書いていたぞ」

「それは各組隊のこと」

 琴絵がいうには、それぞれの組には役割が異なり、おもに密偵たちの配置と監視を担っているとそうであった。

「裏方のわたくしが表に出るのはほぼないのですが……」

「とはいえ、あのおりの闘いでは、女忍のかがみとも申すべき活躍ぶり……おれは琴絵さんが何物かに取り憑かれたようにみえたぞ」

「そんなひとを物ののごとくに……」

 この日の琴絵が口数が多かったのは、あの襲撃での事後処理が終わり、ようやく一息つける平穏が生まれたからであったろう。

「それで、長谷はせふさ惠……を名乗る女のことだが……」

「目付役宅にて申しぶんを聴取後、部屋を準備させたよしにございますが、深更、姿が見えなくなりました」

「消えたのか……? ま、まさか、消された……? あるいは消したのか?」

「ひゃ」と、琴絵が息を呑んだ。掠れた小声のあと、きっと鋭く真之介を睨んだ。さきほどまでの和やかさが嘘であったかのような冷たい空気がふたりを包んだ。気まずさがそれぞれの表情をかたくさせている。

「な、なんと申されます……わたくしどもは一切、手をおりませぬ」

「そ、そうなのか……では、自分で逃げたのだな」

「そんなことは、ご本人にお聴きくださいませ。許婚なのですから!」

 皮肉混じりの痛烈な琴絵の一言いちげんが、真之介をたじろかせた。琴絵の助力がなければ、許婚事件の真相に近づけない。ここはひたすら謝罪するしかあるまい。

「怒るな、睨むな、歯ぎしりするな……悪かった、おれのことばが足りなかった……」

 丸盆に湯呑を載せて運んできた文太が、

「ごめんなさい……遅くなりました」

と、身ぶりと表情で伝えてきた。

「お!」と、真之介が声をあげると、文太は驚いて転びそうになった。それをすかさず琴絵が抱きかかえた。


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