褒め殺し
かつての
「おい、おい、いくらなんでも、若さまはないだろ?」
真之介は矢七に喰ってかかった。屋敷
「いいえ、長序の列だけは、はっきりとしておかねばなりますまい」
と、矢七は済まし顔で答える。
もともと口八丁手八丁なところがあり、それが矢七の強みともいえた。いまはすっかり
「おれは藪坂藩に仕官したわけではないし、この屋敷もおれが領内にいる間だけ無償貸与してもらうだけのことだろ? ことさら家来や従者を増やす必要はあるまいよ。しかも、若さまなんて……なんだか小馬鹿にされているようで……」
と、真之介は一応抗弁してみた。どうやら矢七はこの先何年もこの屋敷に住まう心づもりでいるらしかった。身なりも
「ですから、若さま……いや、ふたりっきりのときは、これまで通り、真さんと呼ばさせてもらいやすがね、真さん……ある
いつの間にか矢七の口調は、あの山本孫兵衛に似てきていた。自分の主張を整理してことばにする
(まるで
そんなことを考えつつ、八杉八右衛門に鹿野藩までの
「聴いておりんさるんかのぅ? ぼおぅとしてれいの許婚の件でお悩みなのでございますかね?」
「あ、それを忘れていた、身に覚えも心当たりもまったくない許婚など、こちらを動揺させる計略としか思えんぞ。美しゅうある人だが、あのふさ惠という女人は、旗本の息女であろうはずもないぞ」
急にふさ惠のことを思い出したのは、根っから誤報偽報の
(なにを考えておれを
と、湿りを帯びたざわつきが真之介のからだにまとわりついて離れない。
矢七との打ち合わせが終わって、外をぶらつこうとして着替えをすませたとき、文太が現れて、
(若さま、ご来訪です)
と、告げた。むろん声はきけない文太は、身ぶり手ぶりだけでそう伝えている。その文太も真新しい衣を着て髪を後ろに束ねていた。
「おお、見間違えたぞ、文太も豪商の息子のように見える」
(ひゃ、若さまのおかげでございます)と、文太は言いたかったはずである。
「で、誰だ? ただの挨拶なら
すると小さく切りただんだ紙と
組頭様
と、筆で書いて真之介にみせた。
「は……? 組頭とは……」
……誰のことだろうと振り返ると、すぐ側で琴絵が佇んでいた。
「失礼とは存じまするが、勝手にあがらせていだだきました。表に立たされると人目がありますので……」
「や、それでいいぞ。いつも勝手に現れていたのだし、いまさら変えなくても……」
「でも、若様に対し奉り……」
と、言いつつも途中でころころと笑い転げた琴絵は、真之介が置かれたいまの状況が可笑しくてたまらないのであろう。
「おい、御筆組の頭目ともあろうものが、そんなに軽くていいのか?」
珍しく真之介が叱咤すると、
「頭目とは……?」
「文太が、組頭が来たと、書いていたぞ」
「それは各組隊のこと」
琴絵がいうには、それぞれの組には役割が異なり、おもに密偵たちの配置と監視を担っているとそうであった。
「裏方のわたくしが表に出るのはほぼないのですが……」
「とはいえ、あのおりの闘いでは、女忍の
「そんなひとを物の
この日の琴絵が口数が多かったのは、あの襲撃での事後処理が終わり、ようやく一息つける平穏が生まれたからであったろう。
「それで、
「目付役宅にて申しぶんを聴取後、部屋を準備させたよしにございますが、深更、姿が見えなくなりました」
「消えたのか……? ま、まさか、消された……? あるいは消したのか?」
「ひゃ」と、琴絵が息を呑んだ。掠れた小声のあと、きっと鋭く真之介を睨んだ。さきほどまでの和やかさが嘘であったかのような冷たい空気がふたりを包んだ。気まずさがそれぞれの表情をかたくさせている。
「な、なんと申されます……わたくしどもは一切、手を下してはおりませぬ」
「そ、そうなのか……では、自分で逃げたのだな」
「そんなことは、ご本人にお聴きくださいませ。許婚なのですから!」
皮肉混じりの痛烈な琴絵の
「怒るな、睨むな、歯ぎしりするな……悪かった、おれのことばが足りなかった……」
丸盆に湯呑を載せて運んできた文太が、
「ごめんなさい……遅くなりました」
と、身ぶりと表情で伝えてきた。
「お!」と、真之介が声をあげると、文太は驚いて転びそうになった。それをすかさず琴絵が抱きかかえた。
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