真之介、大いに怒る!

 谷沢藤兵衛の屍体かばねが、大通りから西へはずれた桶屋の路地裏で発見されたのは、半月ほど後のことであった。

 それを待ち構えていたかのごとく町奉行の手代たちがむしろ巻きにして城下南本町の中曽根屋敷に運び込まれた。屍体安置を中曽根家老が容認したのは、なにかと縁がある井上善右衛門が絡んでいたこと、藩公とのさま直属の御筆組おふでぐみの指示があったこと、正室側室の各派閥が微妙に絡んでおり、公けにすれば新たな内紛を誘発しかねないこと……などの理由があった。

 やがて谷沢藤兵衛は病死として届けられ、谷沢家もお咎めなしになるはずである……と、八杉八右衛門がわざわざ真之介に告げにきた。

「上の上の判断にとやかくいうことはしまいが、おれは、なんだか釈然としないな」

 率直に真之介はいった。

 物事をあきらかにすればするほどその余震を危惧することは理解できても、なにゆえ膿を一気に絞り出そうとはしないのか、そこに引っかかりを感じるのだ。

「やっぱりおれにはそういう世界は向いていないのかもなあ」

 独りごちるように真之介は喋り続ける。八右衛門はいまの真之介にとっては齢の離れた兄のごとき存在になりつつあった。だから忖度そんたくなくおもったことをそのまま口にできる。いわば、真之介には、八右衛門がはけ口を処理してくれる頼もしい存在になっていた。

 いまになって判明したことを八右衛門がざっと真之介に告げた。

 ……ふた月ほど前のことである。

 永沼家老の政敵ともくされていたある重臣の一人が、夜半、密かに丸目吉之助を招き入れた。

 その重臣は、親族の娘を側室に出すことを計画中であり、すでに息女が側室として懐妊していた永沼家老の存在は許せない。しかも、永沼は融和のため江戸の正室の信頼を得ようと画策していることを知り、大いに危機感を抱いたらしい。

 側室が産んだ子は、庶子とされる。

 江戸にいる嫡子が、かりに病死すれば、庶子でも|後嗣《こうしとなる可能性はなくもない。諸藩のお家騒動というものは、おおむねそういう事情を背景にし、男子が複数ある場合は、それぞれの外戚がいせきや重臣の派閥が競い合うように支援に回る。自分たちが推した御子が次期藩主になれば、立身栄達の起点となるからである。

 各藩……は、つねにそういった内憂と向かい合わせなのである。

 どうやらそのとき、江戸の正室派も強硬派と融和派に分かれており、強硬派が永沼家老やその組下と捉えられていた勘定奉行谷崎、谷崎家用人、寺田文右衛門らを刺殺せんと谷沢藤兵衛を帰国させた……ようであった。

 つまりは、谷沢藤兵衛は丸目吉之助を味方につけようと画策し、逆に当の丸目はその谷沢をいいように振り回していたというのが真相に近かったであったろうか。

「むしろ振り回されたのは、善右衛門さんとおれのほうだ」

 真之介の怒りはその一点にあった。

「それで丸目吉之助は……?」

「出奔したそうだ。いや、まだ近場に潜んでいるやもしれぬが……」

 八右衛門は警護を怠らぬように言い添えた。

 翌日の夕暮れ、真之介は稲荷社の参道をのぼっていた。

 秋の風がきのうまでの暑さを飛ばしている。

 そのなかに殺気がまぎれこんできた。

「や……!」

 足を停めた真之介は、うしろを振り返ることなく刀のつかを握った。

「や、やはり……お、おまえか! 丸目吉之助だな!」

 ひとは追い詰められると、本来ならば決してとらない行動にはしってしまうことがある。このときの丸目吉之助もそうであったにちがいない。領外へ出奔していればいいものの、わざわざ真之介を狙いに姿を現すとは思慮に欠けた行動であったろう。

 ゆっくりと半身を返しつつ、真之介が向きを変えると、すでに丸目は抜刀している。長刀ちょうとうである。の長さだけで三尺(約1m前後)はある。

 真之介は抜刀せず、そのまま中腰になり鯉口を切った。

「なんだぁ、噂の秘剣というやつをつかわぬのかっ!」

 丸目が叫ぶ。

「ふん、おまえに、朧舟おぼろぶねをみせてやる価値はない」

 真之介が応じる。

「なにおぉ!」

 丸目が長刀を中段から横なぐりに払ったその数瞬せつな、真之介は前屈まえかがみに地の上を転がった。

「あ」

 丸目が半身を退いたその隙を狙って立ち上がりざま真之介は抜刀していた。

「ぎゃ」

 脇腹をった真之介の刀は、丸目に致命傷は与えてはいない。

「む、む……」

 斬られた……とおもったそのとき、丸目の長刀はかれの手から離れ地に落ちた。

「や……!」

 声を発したのは、丸目であったか、真之介であったか……。

「な、なぜ斬らぬ」

 しわがれた声が丸目の口から出た。

「あ……善右衛門かっ……!」

 その叫び声に真之介が振り向くと、確かに井上善右衛門の姿があった。

「ぜ、善右衛門っ! まだ、遅くはないぞぉっ! そこなる浪人をたたっ斬れっ! それですべてがうまくいく。本当だ、善右衛門、約定はたがえぬぞぉ」 

 生死を賭ける場において、ひとが饒舌__じょうぜつになるのは、往々にしてある。喋り続けることで、次のおのれの行動を見定めようとするのである。

 ところが、湯呑遊山ゆのみゆさんの途中で通りがかったかのような口調で、ぼそりと善右衛門が言った。

「……わしは、この若者に説き伏せられてしもうたのよ」

「な、なにをほざく!」と、丸目が応じる。

 すると、善右衛門が叫び返した。

「あきらめよ、丸目! 同門のよしみだ、このまま人知れず藩を去れぃ」

「ちっ、善右衛門よ、これまでなにもかも他人ひとに譲り続けてきたおまえが、いまさら、どうして……」

「だから、男神おがみうじに説教されてしもうた、といま申したぞ。こののちは、譲りの善右衛門ではなく、の善右衛門として生きよ、とな。だから、丸目、おまえをゆすってやっているのよ。去らねば、丸目一族こぞってお仕置きを受けようぞ」

 そのことばが終わらぬうちに丸目吉之助はふらつきながら道を下っていった。

「急所をはずしたは、そなたの慈悲か?」

 善右衛門が刀を鞘におさめた真之介に微笑みかけながら訊ねた。

「いえ……恥ずかしながら、踏み込みが少々足らなかっただけなのですよ」

 短く答えた真之介に含羞がんしゅうの笑みが広がっていた。

 一緒に並んで歩き出した善右衛門は、

「たまに里に参れ。一羽流の真髄を教えてさしあげよう」

と、いった。

 やさしい口ぶりである。

「お、おれを弟子にしてくれると……?」

「なにもそう弟子などと肩苦しく考えることはあるまい。まなばねば、この先、そなたの腕ではいっぱしの剣客にもなれまいて」

 それからを善右衛門はクックッと呆けたように笑い出した。

(もしかすると、おれは……ゆすられているのだろうか……)

 そんなことを真之介はおもった。そしてつられるようにクックッと笑い返した。

 

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