第5話
おばあさんの事は何も知らない。どこで何をしている人なのか。お住まいや家族構成など知る由もない。
カフェのお客さんと店員には、こういう事は良くある。仕方のない事だ。
春先は特にそういう事が多くなる。寂しくて哀しくて、そして心配だったが、何もできない――。
せめて私は、おばあさんが読んでいた本をずっと順を追って読もうと思った。
姉が訝しむほどの努力の甲斐あってか、やがて朧げながらも理解が進み、おばあさんが見つめているものが、大切にしているであろうものが、少しずつわかってきた。それらの本は、私にたくさんの事を教えてくれた。
それは、弱者に寄り添う心や絶望に立ち向かう精神、そして歪な社会構造や権力が孕む危険性への洞察と批判精神だ。おばあさんが読んでいた本には、いつもそういう世界があった。
おそらくは、そういった高潔な精神がおばあさんの内部で長い時間をかけて深く醸成され、あの本物の「品格」を作り上げていたのだろう――今になってそう思う。
あのおばあさんと出会っていなければ、私は今より、もっと下品で無思慮な人間になっていただろう。
何一つとして私は、おばあさんに「こうしなさい」と言われたわけではない。
ただひたすら憧れ、自発的に真似ただけだ。
おばあさんは言葉ひとつ使わず、指一つ動かさず、一人の人間を導いた――。
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