7.凍り付くのは、失敗の代償

 茶色い瞳を輝かせる彼女。眼球に映りこんだその画面は、焼き付けられてしまったようだ。


「あちゃあ……」


 古月さんと会話をしようと思ったら、なんて失態を起こしてしまったんだ。


「姉ちゃん。このことは、他の人には黙ってて!」

「そんな頼み。陽君のためなら何でも聞いちゃう! いいよお! ……あれ? この写真は」

「え?」


 東堂さんから送られてきた画像に姉は少しだけ顔色を変えた。ぼくは勇気を出して彼女に勢いよく尋ねてみた。


「お姉ちゃん! どうしたの!?」

「うわあ……いやね。この人。空いている電車の最後尾でよく見かけるからさ。話したことはないけど。あっ! けど、前にその人と話してた人に聞いたことがあるんだよね……」


 彼女と話している最中、東堂さんから突然メッセージが来た。


『明後日、決行が良いと思う!』


 ここからが情報集めの執念場か!

 そんな決意と共に夜風がそっと、ぼくたちの背中に触れる……。


「じゃあ、情報をあげるからさあ、お姉ちゃんに話してよ。全部……」


 本当に怖い。よだれを垂らしながら、近寄ってくるマッドな姉さんがここにいた。逃げようとしたが、服を引っ掴まれてしまう。迫りくる好奇心という名の恐怖にぼくは、泣き叫んでいた。


「よーうーくーん!」

「うわああああああ!」


「へえ。つまり、こんなことやってるんだあ。部活でー」

「は、はい」


 陽芽姉さんに「完全犯罪計画部」のことを洗いざらい話してしまった。なんてことを……勿論、後悔はしている。

 彼女の口車に乗り、依頼内容まで漏らしたのは、迂闊だった。

 これでは、真面目に部活を設立した東堂さんにとっては大迷惑である。ぼくは裏切ってしまったのだ。怒られるだろうな……いや。待てよ。

 彼女は情報をくれると言った。それならばFBIとCIAも似たようなことをやっている。機密情報を信用できる情報提供者に話し、捜査を進めることだ。ぼくの取った行動は叱られるべき行動ではない。褒めたたえられるべき行動のはずだ。彼女と取引が成功すれば……の話だが。

 このようにテレビの特番で手に入れた知識をフル活用し、考え込んでいた。


「そうだ……姉ちゃん。その彼を知っている人の話というのは?」


 部屋には誰もいない。しかも、あったはずのスマートフォンが消えている。それが示すのはただ一つ。


「御影陽芽! 見つけ次第、お前を射殺する!」


 家に轟く声。返答や文句は来ない。どうやら親は外出中。彼女は息を潜めて、隠れているようだ。

 取り敢えず、殺虫剤を手に持って向かいにある姉さんの部屋へ飛び込む。


「きゃあ! 陽ちゃん!」


 彼女は、ぼくのものとは別に彼女自身のスマートフォンを操作して悲鳴を上げながら笑っていた。


「はーい! ワタシもグループに入っちゃいましたあ! 残念でしたー!」


 迷わず殺虫剤を噴霧する。密閉した部屋のせいで、スプレーのガスが溜まって周りが視界が分からなくなってしまった。それが状況を悪化させる……どうしよう。


「な、何やってんのー!?」

「いいから早く、スマートフォンを返せぇえええええええ!」


 姉さんから反撃を喰らう覚悟もできている。特攻して彼女の手からスマートフォンを奪おうとしていた。

 手の中に入ったのは、自分のスマートフォン。確か、これでも退会させられるはずだが……。こうなると古月さんたちに悪い印象を与えてしまうかもしれない。

 殺虫剤の霧が晴れてきた。

 彼女自身で退出してもらい、全責任を彼女に押しつけよう。そう思って、彼女のスマートフォンに手を伸ばそうとした時だった。


「メッセージ送ったよ!」


 そう言われ、手を引っ込めながらスマートフォンの画面を見た。


『こんばんは! 陽介の姉です! この度、彼の紹介でこの部活に入ることになりましたあ! よろしくね!』


 その後に熊の可愛いスタンプが押されている。もう動くこともできず、喋ることもできなかった。できることとしたら、固まって画面を見つめていることだけだった。


「コンビニでデザートのプリン買ってきたわよ!」


 母の声。そこに元気よく娘が返事をしていた。


「はああい! すぐ行くから食べないでねえ!」


 陽芽姉さんが肩に手を当てて、情報をくれる……。

 今は絶望と混乱でその情報の価値を見極めることはできなかった。


「聞いた話によると……その彼って言うのが滅茶苦茶、大人しい好青年みたい。まだ彼女とかはいないみたいだけど……これでいいかしらあ。そうそうこれで、ワタシに敵対しそうな女の子はいなくなったし、また後でお姉ちゃんと一緒に遊びましょうね」


 いつもなら何故そこまで聞き出したのだと厳しく追及するところなのだが今回に限って、そんな活力は枯渇しきっていた。

 彼女は猫のように飛び跳ねながら、一階のリビングへと降りて行く。

 ぼくの元には「プリン食べないのー!? 好きでしょ?」との母の声とメッセージの連打、だ。


『ねえ!』

『何があったの? というか陽介君ってお姉ちゃんいたんだ。アイコンってみるに無修正だよね? 凄い美人なんだけど本当に?』

『これ、どういうことなの? ってかそれが本当なら御影って本当に弟なの? 違いすぎじゃない?』

『さあ? 反応がないけど、陽介君はもう寝ちゃったのかしら』

『まぁ、いいわ。明日、じっくり話を聞かせてもらうから』


 頭を真っ白にして自室に戻り、扉を閉める。


「なんてことしたんだろう……あははは……なんてことしてくれたんだぁ……あはあはははははははは……」


 夏のほんの少しの夜風で凍死するかと思った。

 それから時間は真夜中。時計は二時を指している。


「で、気を取り直してえ」

「何で、ぼくの体の上に乗っかってるの……? 姉ちゃんに言われた通り、遊びきったんだから眠らしてくれ」

「ごめんねえ。やだよ! ってか、明日学校に行くのもやだし、陽君も学校行かないで遊ぼうよ」

「やだよ、不良娘!」


 姉さんはベッド上でスマートフォンをいじりながら、布団の中に潜っているぼくの安眠を邪魔しようとしてくる。


「で、で、で! ワタシさあ。やっぱり本気で『完全犯罪計画部』に入ろうかな」


 姉さんの提案で「完全犯罪計画部」の名から「ボランティア支部」に変更されたグループ画面が映し出されていた。古月さんが令嬢であること。そして、親や友人に見られることを配慮したうえでの提案らしい(あれから、東堂さんと古月さんの返信が怖くて、ぼくの方は全くスマートフォンを触っていない)。

 勝手にどんどん色を濃くしていく姉の存在。僕の立場を奪っていきかねないことも加えて、怖いとしか思えなかったのである。

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