似人

 お昼ご飯の後、半分眠っているような頭で旦那が洗い物をしている音を聞く。

 なんか今日はなんもやる気起きないから、旦那がなんでもやってくれるのが楽でいいなって気分になってる。ていうか眠い。なんもしたくない。

 食べて、寝て、丹桜におにおっぱい上げて、それだけでいい。ん? これ、あれじゃん。旦那が全部やってくれるから実行されてるなうじゃん。やった、私ってば勝ち組。

 なんだろう。いつもこの気分なら旦那に甘やかされるのにイライラしないのかな。でもなんもしないで自堕落に生きてると、その内家事しなくなりそうだな。ゴミの中で生活はやだな。いくら完璧超人の旦那って言っても、仕事始まったら休み以外は家事してくれないだろうしな。

 仕事始まっても家事を完璧にこなしたら、どうしよう。こわい。やりそうでこわい。

「丹桜も寝てるし、君も眠いなら昼寝したら?」

「んぁ、でも、この時間、あなたが寝ないと、眠い……でしょ、眠いぃ」

 うつらうつらして、返事も舟を漕いでしまう。

 こら、バカ旦那、くすくす笑うんじゃない。かっこよくて絵になるからムカつくのよ。

「別に毎日寝なくたって平気だけど。出張したら、三時間睡眠で動くこともざらにあるし、慣れてる」

「……ちゃんと、寝なさい、よぉ」

 三時間しか寝ないことがあるなんて聞いてないわよ。

 あ、こら、毛布を巻きつけてくるんじゃない。私を寝かしつけるな。丹桜じゃないのよ。

 髪を指でくなぁ。眠くなるでしょうがぁ。

 くそ、こんな誘惑に負けないんだから。私にだってなけなしのプライドくらいあるのよ。

「家事やって、丹桜の世話して、私を寝かせて自分は寝れなくて、疲れるとか……めんどくさくなるとか、ない、わけ?」

 あなたってば、私の代わりに夜中起きたりしてるんでしょ? 私は四時間に一回しか起きてなくても眠いわよ。

 てか、よくよく思い出すと私が起きてる時はいつも起きてるよね、こいつ? 寝惚けてたのもあって、ごく自然に起きて手を貸してくれるのを受け入れてたけど、むしろ私より先に起きて丹桜を抱いてるよね?

 やだ、私ってば、母親なのに父親の半分しか起きてないじゃん。つらい。

「それが、やってみたら、愛するお嫁さんと娘の世話が出来るって幸せでさ。大変だけど、それがなんか実感として確かに君達のために自分がやってるんだって思えて、大変なのが心地好いんだよ」

「やだ……うちの旦那が世の女性の理想を実現してて、私の立つ瀬がない……」

 なに、この人、本当に現実に存在してるの? 私の妄想だったりしない? いきなり消える?

 こんな男、この世に実在する訳ないじゃない。

「私が夫だと思ってた人は幻想だった……」

「あ、ちょっと待て。このまま寝たら、本気で俺の存在をなかったことにするだろ。ちゃんと実在するってば」

 旦那の指が私の指を絡め取る。皿洗いで水に触れていた指が、ひやりと私から眠気で温まった体温を奪った。

 なんとなく指を擦り合わせる。ちょっとごつごつとした旦那の指の形をなぞる。

 割りと指長いのよね、この旦那……羨ましい。

「そうそう、さぐって、俺の存在をしっかり確かめるんだ」

「さし、さぐ……」

 さぐっ?

 あ、私の脳内で昨日見たちっこいのが首を傾げてる。

 今、さぐって、って発音したよね。

 思いがけず昨日の未言未子の正体に近づいて、私はばちりと眠気を弾けさせた。

「さしさぐる? 合ってる? 未言みこと?」

「ん? ああ、そう、指し探る。合ってるよ。未言。指先で触れたものの、本質とか存在とかを探ること。神経が指先から外に露出するような感じで」

「それって、さぐって鳴く?」

「鳴く? もしかして、未言未子みことみこのこと言ってる?」

 旦那の問い返しに私は頷く。

 指し探る。そうだ、あの時、私は確かに丹桜の手のひらに触れて、丹桜がこの世にいるっていうのを指し探って実感してた。

「たぶん、鳴くんじゃないかな。子姫こひめの中でも、頭に指しってつくのは、その後の動詞部分の頭二音で鳴く描写が多いから。すさむも、すさって鳴いてるシーンあったし」

 やっぱりね! 昨日見たのは、指し探るで間違いなさそうだ。間違いないよね。一応訊いておこう。

「他にさ、さぐって鳴きそうな未言っている?」

「んー、パッとは思い付かないな。さく、なら、櫻童子さくらわらしとかいるけど」

 よし、確認も完了。あやつは指し探るね。

 指しってことは、におうの仲間なのかな。てか、なんか、さしこひめ、とか言ったな。むとか指し凄むとかに関係あるやつ?

「さしこひめってなに?」

「指し子姫は、未言の姉妹の一つ。漢字は、指の指すに、子供の子に、お姫様の姫」

 指し子姫、ね。刺し子姫だったら、なんか針仕事する童話のお姫様っぽいけど。

「それって、指し染むとか指し匂うとかの姉妹?」

「そうだよ」

 ふーん。そっか、共通する指しを取って、指し子姫なのね。

 あれ? でも、指し染むの姉妹って言ったら、火食ほばむもそうよね?

 だって、前に旦那のワイシャツに一緒に刺したもの。あの時、指し染むのとこで姉妹って本に書いてあったら選んだのよ。

「火食むは? 火食むも指し染むの姉妹でしょ?」

「うん、火食むも指し子姫だね」

「いや、指しって入ってないじゃん」

 姉妹の基準、なによ。未言のことをちょっとしか知らない私は大混乱よ。お陰で眠気も吹っ飛んだわ。

 今、ちょっと欠伸出たけど、これはあれよ。起きるためのやつだから。

「指し子姫って名前は、指しが入ってるのが多いから付けられた名前だから。ちょっと待ってて」

 旦那が私から体を離して、リビングを出て行った。

 うわ、今、つい寂しくてやだなって思った自分が悔しい。

 いや、いいのか? いいのかも。そうね、私、曲がりなりにもあの人愛してるっぽいし。それで丹桜生んだんだし。

 あの旦那が自分の恋愛対象だっていうの、意識してないと忘れるんだよな。うーん、ごめん。戻ってきたらキスでもしてやるか……あ、むり。恥ずかしい。

「お待たせ」

 私が一人思い悩んでいる時間はすぐに旦那が帰ってきて打ち切られた。

 ありがとう、すぐ戻ってきてくれて。あのまま思考の迷路に嵌ってたら恥ずかしいの我慢してキスしてたかも。

 ん? 旦那的には残念でしたってなるんかな。

 そんな私の心の騒動も知らずに旦那は持ってきた本を開いた。

「これ、指し子姫がどうして姉妹なのかって書いてある。そもそも、未言の姉妹っていうのは、言葉の語源を一つにしてるのを、姉妹って表現しているんだけど」

 ちょっと待て。わからん。わからんぞ。

 あんた、頭いいからするする話してるけど、なんか言葉の使い方が普通と違い過ぎてこっちは混乱してるんですけど。

 こんなところでもスペックの差を見せつけてくるの止めてくれない?

 あー、口を挟めないでいたら説明続けるし……どうせもっと細かく説明させても理解出来る気がしないし、気が済むまで喋らた方が楽かな。

「で、指し子姫の語源というのが、大きく三つの要素に分かれるんだ。逆を言えば、この三つを満たせば、その未言は指し子姫の姉妹の一つってなるわけ」

 旦那が本の項目に指差しながら教えてくれたのが、次の三つ。

 動詞であること。なるほど、そうね。キャラ名なのに動詞じゃん、って思ったのも今は懐かしいわ。もう一年以上経つのね。ほぼ妊娠期間じゃん、そりゃあっという間に過ぎ去るわ。

 次に、指などの末端部が環境や触れ合ったものから影響を受けて状態が変化すること。いや、なんて? 文字で見ても全く理解出来ないんだけど。

 それから、その変化した末端部が触れたものや自身に二次的影響を与えること。にじてき、えいきょぅ……これ、わかんなくてもおかしくないよね。特別私が頭悪い訳じゃないよね。何人に一人がこの文章を一目で理解出来るの?

「だから、火食むは皮膚という体の表面、つまり末端に熱が籠っているという変化を、外気温や自分の体温からの影響で起こしていて、しかもその熱は触れたものにも伝わるから指し子姫の姉妹になるんだ」

 そんな純粋な目で私に理解を求めて来るな。全く分からんわ。そうであるものとそうじゃないものの区別も出来んわ。

 だから、そんな分かりやすいでしょって目で訴えてくるな! 出来るだけ分かりやすく書いてあるのかもしれないけど、説明してる対象が未言とかいう未知のものだから噛み砕いてもらっても消化出来ないのよ!

 でもここで、ごめん、わからんかった、とか言おうものなら、さらに説明してくるだろうな、こやつ。分かるまでなんとか頑張ろうとか、そういう諦めを知らなくて苦労も厭わない系のイケメンだからなぁ。顔が好みだからってだけでほいほいとナンパに釣られるんじゃなかったな。中身も完璧だから別れるとかいう発想は付き合ってる時は起きなかったしな。

 過ぎたるは及ばざるがごとしって言葉を私は今すごく噛みしめてるよ。あ、今のちょっと賢い感じじゃない? よし、未言が分かんなくても、悲観することはないわ。

 そんな風に現実逃避して時間を稼いでいたら、丹桜が元気よく泣きだしてくれた。

 ありがとう、丹桜! お母さんを助けてくれるのね、いい子よ!

「あ、丹桜が泣いちゃった! おっぱいかな、おしめかな、今行くよ、丹桜ー」

 私は毛布を剥いで旦那に押し付け、いそいそと丹桜の元へと逃げる。

 頭のいいやつに難しいことを訊いてもダメね! 結局、正しいんだろうけど訳の分かんない説明されるだけだったわ!

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