第6話 夜の裏山で④

『……が、なのは——わかってるのか……! と……でも……——』

『だってそれは……あの、——も死ぬかもしれないんだぞ——』

『——……それは! いや、そうだが……俺が——ったかったのは——……』

 それは確かに俺の声だった。

 俺自身の声に間違いなかった。

 いや、自分の声に聞き馴染みがあるというのもおかしいが、このしゃべり方は自分のものに違いないと、そう思った。

 だけど何だこの会話?

 何やら焦っているような、追いつめられているような異様な雰囲気を感じるが、いったい何のやり取りをしているところなんだ? というか、これはいつどこで録音された音声なんだ?

 何もわからない。

 わからないまま、不穏で厭な感覚がじわじわと増大していくが、俺の困惑をよそに音声は続けて再生される。

『……俺はあれを見てしまった——。……うん、そうだ——それは……』

『——で……次に死ぬと……ら、きっと俺の番だ。……だから、……に俺のことを記録しておいてほしいと……頼みた——』

『ああ——、……って——……、俺のことを映像に撮って……いて——んだ……どうか……』

 ところどころ雑音が混じっているが、やはり俺の声だ。

 俺が必死に誰かに向かって話しかけている。そういう声だ。

 しかし。


「……何なんだよ、これ」俺が呟くと、彼女はスマホの再生画面をこちらに向けながら、「何って録音ですよ。過去に録音された先輩の声です。ちゃんと聞こえましたよね?」そう問いかけて小首を傾げたようだった。

「聞こえたけども」

「なら、何もおかしくないですよね」

 おかしくないことはないと思う。

「いや。……だからその、あー、つまりなんだ。ちょっと確認したいんだけどさ」

「なんでしょう?」

「俺が自分の行動を映像で記録してほしいって言ったっていうのはデタラメだって、そういう話だったよな?」

「そうですね」

「でも、俺が自分の行動を映像で記録してほしいって言った音声は残っている」

「その通りです」

「いや、おかしくない?」

「証言を覆す証拠が後から出てくる。よくあることですよ」

「そうかなあ」

 もしよくあることだとしても、自身の証言と食い違う証拠を直後に自ら堂々と出してくる奴はあんまりいないのではないだろうか。


「というよりも……もしいまの音声通りの経緯だったとしても、こんな記録係、頼まれても普通やらないと思うんだが」

「そうなんですか?」

「夜の山ん中で未成年の男女が二人きりだぞ。やらないだろ、普通は」

「普通? 普通はしないんですか? 先輩の普通ってなんなんですか?」佐橋は本当にわからないという口調で俺を問い詰める。そして再びスマホのレンズをこちらに差し向け、撮影を再開した。「だって私たちは、先輩と後輩の関係なんですよ?」

「それだよ」

「どれですか?」

「先輩と後輩っていうやつだ。佐橋さんは俺のことを部活の先輩だと言ったけど、いったい何の部活なんだ。こんな日が沈んだあとに——それも学校の外に出てきて、ただ動画を撮影する部活ってなんなんだよ」

 そもそも俺はこいつの先輩になった覚えはないんだが……。


 しかし俺の問いかけもむなしく、「でも、先輩——」佐橋は俺に詰め寄ってくる。

「だってねえ。先輩が言ったんですよ。先輩が私に頼んだ。こうして証拠もあるわけです。これ以上、何か正当な理由が必要ですか? ほら、先輩。ちゃんとこっちを見てくださいよ」

 佐橋はスマホを構えた姿勢のまま、一歩、また一歩と俺に歩み寄ってくる。

「いや……でも……」

 俺は後ずさるが、数歩と経ないうちに背中が木の幹にぶつかった。

「ほら、よく見てください」

 佐橋はなおもこちらに迫ってくる。俺は反射的にぎゅっと目を瞑ってしまった。しかしそうして目を閉じていたのはほんの一瞬のことで、次に頰に冷たく平板な感触がして目を開けると、彼女の手にしたスマホが俺の鼻先にあった。

 いつのまにか動画は自撮りモードになっていたらしく、画面には俺の顔が映り込んでいる。画面の中の俺はひどく憔悴した様子でオドオドとしていた。その目は虚ろで、しかし確かにこちらを見ていた。つまりそれはリアルタイムの俺の、俺自身の状態を映しているのだった。


「これがいまの先輩です」

 彼女が告げる。俺は言い返すこともできず、ただ画面の中の自分と見つめ合う。

「そして、これが少し前の先輩です」

 と、佐橋はスマホの画面をこちらに見せたまま器用にもスッと画面をスワイプしてみせた。画面に現れたのは、何もない草地に横たわる学生服の人物。それは紛うことなく、俺自身の姿だった。

「これは先輩がここに倒れていたときの写真です」

 地面に仰向けになる俺の姿。画面の中の俺はすっかり意識を失っているらしく、両目を閉じ、無防備に全身を晒している。

「これは……」

「先輩はここで倒れていたんですよ」

 同じ言葉が繰り返される。


「でも、どうして」俺は食い下がるが、佐橋は、「何か正当な理由が必要ですか?」などと言って——こいつは本当に同じ台詞しか言わないな——そして、「ここは学校のすぐ裏手ですが、昼間でもほとんど人が来ることはないんです」と続ける。

「だ、だからなんだよ」

「だから、先輩がいつからここで倒れていたのか、どうしてこんなところに倒れていたのか、その目撃者は私以外にいないんです。つまり、このことを知っているのは私と先輩の二人だけということになります」

 なんだか怖ろしいことを言われているような気がする。

 俺が戦慄していると、突然目の前のスマホが取り下げられ、代わりに佐橋がまた一歩距離を縮めてきた。すでに退路を失っていた俺を追い詰めるかのように、彼女はぐいと顔を近づいてくる。

 なんだ。次は何をする気なんだ。

 焦燥を感じつつも、だいぶ暗闇に目が順応してきたことも相まって、そのときようやく俺は彼女の姿を正視することになった。

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