第3話 夜の裏山で①

「——しかしその中で先輩は生き残ってしまったわけですね」

 そう言って彼女はスマートフォンのカメラレンズを俺に差し向けた。小柄な少女だ。見上げてもスマホの陰になってその相貌はよくわからない。金属の矩形と複眼のレンズ。それだけが闇の中に浮かび上がる。どうやら動画撮影機能がオンになっているようだ。細い指に支えられたスマホが不自然に大きく見えた。

 しかし、彼女はいったい誰なのだろう。

 俺のことを先輩と呼んでいるということは、同じ高校の一年生だろうか。

 しかし、いまの俺に後輩はいない。

 兄も両親も祖父母をも失い、親戚中を転々とした俺は最近ようやく父親の友人宅に落ち着きを得たばかりで、二年次から近くの高校に編入を果たしたのはつい十数日前のことである。当然、学校に馴染みの友人はいないしクラスメイトの顔と名前もまだほとんど一致していない。ましてや親しげに語りかけてくる後輩などいるわけがない。


 ならばいま、まじまじと俺を覗き込んでくるこいつは誰で何者なのだ。

 なぜ俺のことを知っている。

 なぜ俺の事情をすべて把握しているかのような口ぶりで接してくるのだろう。

 俺は彼女の姿を見定めようとした。が、彼女の持つスマホから照射される白い光線が眩しく、その先を直視する行為自体をさえぎられる。俺は思わず目を細め、顔をそらした。と、ふいに軽い眩暈に襲われ片手で額を押さえる。

 なんだろう。何か違和感がある。

 などと考えているあいだにも、彼女はスマホの動画撮影機能で俺を撮影し続けていた。無遠慮に俺を見下ろす彼女の視線をレンズ越しに浴びながら、俺は身じろぎする。

 瞬間、全身に鈍い痛みが走る。

 同時に感じたのは、背中一面を覆う湿った土の感触と石の硬さだった。手足を伸ばすと枯葉と雑草が絡みつくように当たって鬱陶しい。

 なんだ。これはどういう状態なんだ。そう思ってまわりに注意を向けると、そこには静かな暗がりが茫漠と広がっている。時折、虫や小動物が動いているような感じがするが、俺と彼女の他に人がいる様子はない。

 そういえばここはどこなんだ? どうして俺はこんなところで謎の少女と一対一で対峙しているんだ?


「どこだここは……?」

 俺は取り繕うのも忘れて思いつくままに疑問を口にした。

「ここは学校の裏手にある山です」彼女はすかさず答えた。「先輩はここで倒れていたんです」

「倒れていた?」まったく記憶にない。いったい何がどうなっているんだ、という疑念が固まるにつれて俺はようやく自分の置かれている状況を自覚し、そして困惑した。

 一言で言うと、そのとき俺は地べたに仰向けになっていた。

 体は冷えきっていた。十月半ばの夜の外気は寒さに震えるというほどではないが、着の身着のままで身を転がしておくには適切とは言えない。

 しかもここは恐らく森の中だ。首を動かして辺りを確認すると、周囲は暗闇で、視界の奥には雑木林が鬱蒼と続いている。見た限り近くに人家や建築物の類いはない。ただ大小の木々が茂っている光景——それだけが見える。

 しかし俺たちがいる場所はやや開けているようで、ここだけ木が途絶えぽっかりと狭い空き地のようになっていた。と言っても、見える範囲には一切の街灯も照明もなく、正確なところはわからない。光源は上空の月明かりと少女が持つスマホのライトのみ。半径数メートルの範囲を除いて視界はほぼ闇に閉ざされている。

 つまりは、夜の雑木林に俺はわけもわからず放り出されているのだった。

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