第8話

長谷くんはクロの耳のすぐ下を撫でながら、私の方を向いた。



「クロのこと、お願いしてもいいですか?」


「それは、うん」


「いろいろありがとうございます。僕は他所へ行きますので」


「え?」


「さっきは動揺してて図々しいことを言ってしまいましたが、お隣だったとはいえ、女性の家に泊めてもらおうなんて、そんな非常識なことは流石に思ってません。お風呂、ありがとうございました」



長谷くんは、クロの胸に自分の頭をぐりぐりすると、ソファの上にそっと置いた。

クロはそのまま隅の方で丸くなった。


ついさっきまでここへ泊めることに抵抗があったのに、今度は追い出すみたいで罪悪感のようなものを感じてしまう。



「ねぇ、よく知りもしない相手に大事なクロを預けることに抵抗はないの?」


「ありますよ。でも水無月さんは、汚れてるクロを気にすることもなく抱っこしてくれていました。それにソファにも寝かせてくれた。クロが外に飛び出さ倍ように配慮もされていた。クロを見る目も優しい。クロも抱かれている時、からだを預けてましたから」



長谷くんは話しながら、スポーツバックから、餌皿と水入れ、そしてキャットフードの類を床へ並べていく。



「給餌量は、パッケージの4kgの体重の所なんですけど、缶詰を足すので――」



長々とした説明の後、口頭で言ったことをメモしたものを渡してくれた。

手帳を破った紙に裏表びっしりと書き込んである。

私がメモを受け取ると、長谷くんはぺこりと頭を下げ、玄関へ向かった。

無意識にクロの方を向くと、寝ていたはずのクロが耳をピクリと動かして、顔を起こすのが見えた。



「あの、お別れの言葉くらい言ってあげたらいいのに。『またね』って」


「だめです。最後のお別れだと勘違いさせてしま――」



その言葉を言い終わらぬうちに、クロはすごいスピードで走ってくると2本足で立って、長谷くんによじ登ろうと試みた。

それで、長谷くんはクロを抱き上げると、「少しの間だけだから」とクロに頬ずりをしてから、わたしに預けた。



「お願いします」



もう一度、わたしに頭を下げると長谷くんはリビングのドアに手をかけた。

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