50-武力ではなく、知恵の力
「ロパスティ男爵家を訪問する前に、そなたの力を見せてもらおう」
そう言われ、王立総合病院に来ていた。部屋には20組の親子が集まっている。私は衝立で仕切られた祭壇のような場所に座った。
体内視で診察を始める。
調律魔術を使う医師と組み、二重プリズム触手を通じて順番に診る。ジグムンドの実験以来、体内視はしておらず、一般患者を診るのは初めてだ。
先ほど慎重に枷の鋲を選び、調整した。
公爵が自ら、私に白いヴェールをかぶせた。
「体内視だから、多少視界が遮られても問題ないだろう?」
公爵は今までの報告書を読み込んでいるそうだ。
「そなたの身元はまだ、患者には明かせないからな」
繊細な刺繍が施されたヴェールは、朝露のように輝いていた。
――熟練の職人が丹精込めた逸品。
その清らかな美しさは、被るだけで私を「聖女」へと変えた。
二重プリズム触手もまた、公爵の手で美しく装飾されていた。シンプルながら品の良い意匠が施され、まるで神聖な儀式の道具のように見違える。
――公爵閣下……デコりの達人。
子どもの親と私は並んで座る。
触手を通じて、親たちの感情が流れ込んでくる。それぞれに個性があるが、共通していたのは「大切」という強い想いだった。
その愛情に満ちた気配が、私を穏やかにし、仕事へと集中させた。
しかし、14番目の親からは、どこか歪んだ「大切」が伝わってきた。
子どもの右脇の下に、小さな粒が2つ。後で聞けば、病院の診断はすでに出ていて、親もそれを知っていた。不安と恐れが、その愛情を歪めていたのだ。
私は予備知識なしでそれを視た。情報は「早期発見なので、慎重な除去手術で完治する」と見えた。
――それこそが、私の力だった。
診察を終えると、公爵が軽くうなずく。
聖女は喋っても構わないらしい。
私は慎重に言葉を選び、医師たちに簡潔に報告した。
「14番目のお子さんは、右脇の下に、小さな粒が2つあります」
調律魔術の医師がうなずいた。ジグムンドの診断のときにも組んだ顔見知りだ。
「その通りです。当院の鑑定魔法では確認済みですが、実際に視認できたのは大きな成果です。ありがとうございます」
私は思わず「どういたしまして」と言いそうになり、慌てて口を閉ざした。
その他にも、喉に炎症のある子や、小腸に奇形のある子の情報を伝えた。
いずれもすでに診断済みで、大きな問題ではなかった。適切な処置が施されていたことが情報に含まれていた。
医師が確認してくれたことで、私はほっと胸を撫で下ろした。
報告を終えたが、どうしても気になる親子がいた。私はためらいながらも、医師に頼んだ。
「2番目の親子さんを、もう一度診せていただけますか?」
医師は少し戸惑いながらも了承し、子どもを抱いて現れた母親は……私の知り合いだった。
――嫉妬女こと、ドナテンルロ子爵夫人エリゼイ=フリアンナ。
王立学校時代、私に嫌がらせをしていた先輩。
だが、そんなことはもうどうでもいい。私は、嫉妬女の息子が心配だった。
豊穣を通じて伝わる嫉妬女の感情は、驚くほど穏やかだった。かつての棘々しさは微塵もない。今の嫉妬女から流れるのは、ただ純粋な母の愛。
――嫉妬女は、母になったのだ。
夫に愛され、息子を慈しみ、家族を大切にしている。かつてのエリゼイを知る私には、衝撃だった。
それよりも大切なことがある。
私が集中して見て気づいた病に関する情報は……とてもささやかで、かつ、深刻だった。
漫然と見てはいけないらしい。豊穣の視覚の恩恵は「至れり尽くせり」という訳ではないのだ。
どう対処するかは、これからの課題だ。
私はメモを取り、医師に渡す。
“右膝、皿の骨の左脇下に、ごく小さな粒。皮膚のかさぶたで見づらい。まだ良性、でも危険”
――解剖学も勉強しなくては。骨や筋肉の正式名称が、うまく出てこない。いや、知らない。
情報が「コートードウミャク」以来、手加減しているようで……悔しい。
――結婚後、ジグムンドさんと働きたい理由がもうひとつ増えた。人体に関わる魔導具の達人に指導してもらいたい。
医師ははっとして、共有した視覚を確認する。
少し「明るく」なって、かさぶたと重なった粒が浮かび上がる。
部屋の隅に控えていた別の医師に何事か囁く。
その人物も知っていた。ミリーヴァの「先輩」だった。
先輩は2番目の親子を連れて別室へ行き、やがて戻ってきた。
「リチャード=モンテルイ・スキャデン、鑑定担当の医官です」
自己紹介のあと、先輩は申し訳なさそうに言う。
「場所を特定し再鑑定したところ、確かに見つかりました。こちらの不手際でした。申し訳ありません。鑑定の限界を痛感しました」
鑑定とは、決めた部位に魔力を流し込み、その反応を読み取る技術だ。
理屈は理解できるけれど……あんな細かい分析、私には絶対に無理そうだ。
私の豊穣は「気づいた中身がそのまま見えて、情報まで付いてくる」からこそ役に立つ。
――たぶん、向いている分野が違うのだ。
――余計な対応は不要。聖女らしく、ただ静かにうなずくのが神秘的だろう。
心の中では「ドヤ顔したいけど我慢」と思っていた。
その態度が公爵の意向に沿ったらしく、満足げに目配せを送ってきた。
――ほめられた気がする。
先輩は改めて謝意を表すと、他の医師たちと共に公爵と話を始めた。
その中で、エリゼイの子の治療計画が詳細に説明されている。
――ミリーヴァが尊敬する「先輩」と、私の力が繋がった。
そのことに、驚きと喜びを感じる。
病院の関係者たちは、口々に公爵へ報告する。
「今回、聖女様の存在を公にしないため、信頼できる職員の家族だけを対象としました」
「少人数ながら、判明した疾患情報は想像以上です。治療の成功率は大幅に向上し、多くの患者の命を救えるでしょう」
その言葉に、公爵は「ランスさん」の気さくな口調で応じた。
「報告ありがとうございました。この国を良くしていきましょう」
医師たちが力強く声をそろえる。
「はい!」
「全力で頑張ります!」
公爵はニヤリと笑みを浮かべ、今度は芝居がかった声で宣言した。
「我は武力ではなく、知恵の力をもってこの国を変える。病院の方々とも、今後も変わらず志をひとつにしてゆく所存だ」
その一言に、場の熱気は一層高まった。
その様子を見守るマイケルが、連絡用魔導具を確認している。一瞬、緊張が走ったが、ふいに笑みを浮かべる。
公爵に耳打ちして、部屋の隅へと引っ張っていった。私は、その背中をぼんやりと見送る。
――私は、大嫌いだった嫉妬女の息子の命を救った。
かつての私なら、見て見ぬふりをしていたかもしれない。
だが、聖女として働く今の私は違う。
迷いなく、自然と手を差し伸べていた。
かつて何の見返りもなく他科の生徒を助けた、あの日の公爵令嬢のように。
焦りをこじらせていたエリゼイは、家族への愛情によって変わった。
その家族を、私の力で救える。そう思えたことが、何より誇らしかった。
私が深く傷つき、今も引きずっている王立学校時代の事件。
嫉妬女にそそのかされて迫ってきた下級生男子は、派手で自惚れが強く、恩着せがましく欲望を押しつけてきた。
逃げられたし、
あの件を、私は一生許さないだろう。
「ざまぁ見ろ」と言う機会を逃した気もした。けれど……それでいいと思った。
――だって、これからの私の仕事は聖女だ。この仕事を、私情を交えずにやる。
まあ……たまには、悪態をつくけどね!
この気づきを、大切な仕事仲間に伝えたかった。
――ジグムンドさんに、いつ会えるかな。結婚も決まったし、来月くらいにはこの話ができるかもしれない。
解剖学を早く学びたい。他にも、いっぱい知りたい、教えてほしいことがある。
――医療魔導具に詳しいジグムンドさんと早く会わせてもらえるよう、
***
病院の食堂で昼食後、すぐ実家に行かず、休憩することになった。
公爵の誘いで、病院裏の庭園を歩く。
「さて、そなたの力を見せてもらった。次は、そなた自身の覚悟を見せてもらおう」
公爵の厳めしい言葉が胸に響く。春の日差しの中で、私はしっかりと前を向いて歩き出した。
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