第1章 王立学校の可愛いバカ

03-教科書(初級)

「あーーー、できない」


 私は地団駄を踏んだ。初級魔法の教科書は、今朝拾った古本だ。


 ――王立学校の一年生、10歳の子でもできるのに。どうして四年生の私には無理なの?


 歯を食いしばり、課題に取りかかる。教科書を頼りに、魔力を指先へ流そうと繰り返した。


 やっぱり……ダメだった。ベンチの上の小枝は、ぴくりとも動かない。

 喉がきゅっと縮み、息が詰まりそうになる。


 ――どうして私だけ、できないの?


 親たちは「キャビは可愛いバカのままでいい」とよく言った。けれど私は、バカから抜け出したい。


 同い年のジェレミーは王立学校の魔法科に合格し、入学した。

 飛び級で修了した現在は、魔術大学の研究者として働いている。

 私も魔法科を目指したが、不合格だった。領地経営科に入学し、いまも在学中だ。

 

 親たちは私たちを婚約させると決め、王立学校入学まではふたりはいつも一緒だった。

 小さい頃の私は、ジェレミーの隣にいられる幸せがずっと続くと思っていた。だからこそ、道が分かれた日から、私も再び並び立つことを目指してきた。


 ――いつか私も、魔法を使いこなす。ずっとジェレミーの隣にいる。


 そう願っていた。

 けれど、遠くにいるジェレミーが笑っているのかすら、いまの私には分からない。


 幼いころのジェレミーの声がよみがえる。


「キャビ、大丈夫、できるよ」


 ――可愛いバカを脱して、ジェレミーの妻になる。その未来をつかむために、私は諦めない。


 何度も失敗した。それでも、教科書を読み返すうちに、少しずつ魔力の流しかたが分かってきた。

 魔力が、指先にぼんやり集まる。


 けれど、そこからが難しい。うまく扱えなくて、魔力はするりと逃げていく。


 ――このままでは、ジェレミーとますます離れてしまう。絶対に嫌だ……!


 深く息を吸い、頭の中で手順をなぞり、指先に意識を集中させる。

 ――魔力を……指先に……集中して……。


 じんわりと熱が流れ、指先にぬくもりが押し寄せる。


 ――これが、魔力!?

 胸に喜びが広がる。


「やった……できた、で……」


 突き刺すような痛みが、指の中を貫いた。


「痛っ……!」


 熱い針が暴れ回る。魔力は、触れたと思ったのに、すぐ消えた。

 指先がじんじんと脈打つ。残ったのは、痛みだけ。


「もう、嫌……なんで……」


 私は教科書を地面に投げつけた。開いたページが、枯れた芝生の上でぱたぱたと揺れる。


 白い息が空気に吸い込まれて消えていく。自分の冷え切った心を温めるように、私は腕で身体をそっと抱いた。

 深く息をしながら、指先の痛みに耐える。


 ――違う。イライラの原因は、魔法を失敗するからじゃない。


 どうすれば、変われる? 私には、まだ分からなかった。でも、挑戦した自分を少しだけ誇りに思えた。


 たぶん明日も、また失敗するだろう。

 それでも私は、やめない。やめても、楽にはならないから。


 爪を噛みたくなるのをこらえる。


 ――どれだけ勉強しても、ジェレミーの背中は遠い。

 今日ほど、その距離に打ちのめされた日はなかった。

 ――次は、どうしよう。

 それでもなお、距離を埋めようとする気持ちは、私を支え続ける。


 風が吹いた。草木が揺れ、制服の裾がはためく。


 気づけば、誰かが校庭を横切り、こちらへ向かってくる。黒のローブを着ている。生徒ではないみたい。

 ――魔法科の……教師せんせい


 教師に叱られるようなことはしていない……はずだ。不安が胸を打つ。


 ***

 

 ――この出会いが、波瀾万丈の道を経て、私を奇妙な幸福へと導く第一歩になるとは、そのとき知らなかった――

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