第5話 やめてほしいのに、やめられない
「おつかれさまでしたー!」
控え室でどっと座り込む《Alice*Doll》のメンバーたち。汗を拭き、水をがぶがぶ飲んでいる。
「チェキ会、ほんとに人増えたよね〜」
「あたしらの時代くるんじゃね?」
「新曲の振り付け動画投稿して、万バズ狙おうよ」
あちこちからそんな声が飛び交う。
鏡の前に座る「水瀬ルナ」は、淡く青い髪のウィッグを外し、静かにクレンジングシートを取り出した。
アイライン、マスカラ、チーク――彩られた「ルナ」の色をそっと拭い取り、「しずく」の素顔に戻っていく。
化粧が落ちるたび、声のない静けさが顔を出す。
それはまるで、スポットライトの消えた舞台で仮面を外す役者のよう。
しずくはマスクをつけ、キャップをかぶる。
すっぴんを見せたくない、というより、誰の視線も受け取りたくなかった。
***
「ねぇ、これからごはん行かない?うち、焼肉の気分〜」
「いやいやここは映え狙いで渋谷駅前のカフェでしょ〜」
わちゃわちゃと盛り上がる数人。
メンバーがしずくの肩に触れて、「しずも行くでしょ?」と聞いてくる。
「……ううん。今日は帰る」
「そっかー、了解。」
「マイカは?行かないの?」
他のメンバーが問いかける。
「んー、用事あるから、あたしもパスで〜」
手をひらひら振り、マイカは適当に返す。
「え〜二人とも残念〜!ま、じゃあまた明日ねっ」
他のメンバーたちは、SNS用の写真を撮りながらにぎやかに控え室を出て行った。
***
控え室に残ったのは、しずくとマイカ、ふたりだけ。
静けさが落ちる。
鏡の前に座ったままのしずくが、ぽつりとつぶやいた。
「……ほんとは、用事なんかないでしょ」
「まあね。しずが行かないって言うから、ちょっと残ってみただけ」
マイカはリップを塗り直しながら、悪びれもせず笑った。
「なにそれ」
「べつに。……しずと二人きり、久しぶりだから」
目だけでしずくを見てくる。
しずくは視線をそらした。
「……疲れた」
ぽつりと漏らすと、ソファの端で化粧ポーチを片付けていたマイカが、ちらりと視線だけ向けてきた。
「おつかれ、だね」
なんとなく、しずくはその隣のスペースに腰を下ろす。
少し間をおいて、マイカがバッグから細長いタバコの箱とジッポを取り出す。
「……また吸ってんの」
「一本だけ。これでアイドルのスイッチ切るの」
カチリと火を点ける音。
すぐ横から、香水と混ざった甘い煙がふわりと流れてきた。
「……服ににおい、つくじゃん」
「じゃあ、近づいてこなきゃいいのに」
唇の端だけで笑い、マイカは煙をわざとゆっくり吐く。
わかっているのに、距離を取れない自分が悔しい。
「しず、今日はMC中ちょっとよそよそしかったね」
「……別に」
「ルナマイの百合営業ちゃんとやんなきゃだよ〜。」
「わかってるよ」
「……もしかして、ちょっと意識してる?」
「……うるさい」
「ふふっ、かわい」
マイカの指が、しずくの髪を優しくとぐ。
ふいに頬に触れる指先の温度が伝わってくる。
ふとマイカが言った。
「ねえ、キス、したい?」
「……したくないって言ったら?」
「するけど?」
マイカはくすっと笑い、しずくのマスクを顎の下にそっとずらす。
指先が顎のラインをなぞるように触れ、そのまま下から支えるように持ち上げる。
顎を引き寄せられたしずくの顔が、ためらいなくマイカの唇へと近づいていく。
触れた瞬間、微かなタバコの苦みと甘い吐息が混ざり合った。
「……っ」
マイカの舌がゆっくりと唇の隙間を探り、触れるだけで終わらせずに、絡め取るように入り込んでくる。
舌先が擦れ合うたび、喉の奥から息がもれる。
「ん……っ……」
さらに深く、長く、熱を分け合うような口づけ。
唇が離れたとき、しずくは赤く染まった頬で、わずかに眉を寄せた。
「……にが……」
マイカは吹き出すように笑った。
「だよねー。さっき煙草吸ったばっかだもん」
「……ほんとに、やだ」
「でも、しずってさ……」
マイカは再び唇に指をあてる。
「ほんとにうまくなったよね、キス」
「……」
「最初、唇ガチガチだったのに。今じゃ、ちゃんと気持ちよくしてくれるもん」
「……ねえ、いつまで続けんの、この関係」
しずくが独り言のようにぽつりと言い放つ。
マイカは小さく笑って、髪を耳にかけた。
「やめてほしいなら、そう言えばいいのに」
――言えなかった。
恋人ごっこだと、最初から知っていた。
自分はただの年下で、多分マイカには別の相手がいて。彼女の気まぐれに付き合わされているだけ――
頭ではそう分かっているのに。
触れられるたび、笑いかけられるたび、胸の奥でマイカに深く沈んでいく。
「……マイカって、勝手だよね」
吐き出すように言うと、マイカは何も答えず、ふっと笑い頬にそっと口づけを落とした。
やさしいのに、逃げ場をなくしていくその仕草。それがいちばん残酷で、今いちばん自分が欲しているものだった。
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