最後の天使

森本 晃次

第1話 プロローグ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年6月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。


 趣味をたしなむ人というのは、最近多いのか少ないのか、正直分からない。しかし、そういう趣味に興じるというのは、それなりに、人生を楽しんでいる人が多いというのは、それなりに想像がつくことではないだろうか。

 もちろん、

「趣味でもなければ、世の中面白くなくて」

 ということで始めたのが、それが本当にやめられなくなったという人も決して少なくないだろう。

 ただ、きっかけなどというのは、どこにでも転がっているというもので、

「人から誘われた」

 あるいは、

「自分の友達がやっているで、自分も」

 という形で、気軽に足を踏み入れるという人も少なくないだろう。

 その趣味というもの、たくさんある。

「アウトドア系」

 であったり、

「インドア系」

 趣味の種類も様々で、世間では、いろいろな教室があり、自治体が主催するものであれば、

「自治体のコミュニティ」

 で行われたり、民間の有料のところでは、それぞれに会場を借りたり、実際に、事務所の横に、フロアを設けて、そこで教室が行われるというのも結構あったものだ。

 一番、顕著に多かったのは、相当前になるが、今から30年くらい前ではなかっただろうか?

 その時代背景には、

「バブル崩壊」

 というものがあった。

 バブル経済時期には、世の中は、

「イケイケどんどん」

 ということで、

「事業を拡大すればするほど、儲かる」

 という時代だった。

 だから、社員は、こき使われるというわけで、それこそ、

「企業戦士」

 などという言葉が流行り、

「スタミナドリンクが飛ぶように売れた時代だった」

 ということである。

 なんといっても、

「残業手当は、まるまるもらえた」

 ということで、

「残業代が、基本給よりも高かった」

 というのが当たり前というくらいで、しかも、

「金を使う時間がないくらいに忙しかった」

 というわけだから、お金はたまっていったのだ。

 そもそも、

「寝る時間を削る」

 というくらいに無理をしていたので、もらったお金を使う暇など、あるわけもないということだ。

 しかし、誰もが、

「バブルの崩壊」

 というのを予想もしなかったということで、まさか、皆が皆、

「バブル経済が永遠に続く」

 と思っていたわけではないだろうが、少なくとも、誰も、

「バブル崩壊後」

 ということを考えていた人がいなかったのは事実だろう。

 せめて、

「稼げるときに、いっぱい稼いで、そのたくわえがあれば、バブルが崩壊しても何とかなるだろう」

 というくらいに考えていたのかも知れない。

 何しろ、もうバブルの時代というと、昭和の頃のことなので、その頃にサラリーマンだった人は、ほとんど、定年退職を迎えているはずなので、今さら当時の世間の話を聞いたところで、ハッキリと理解できていた人は、もういないだろう。

 当時は、今の60歳代でも、まだ、新入社員か、平社員だった人たちで、経営側にいた人は、今では、

「後期高齢者」

 ということになっているのだ。

 つまり、

「バブル経済」

 というのは、

「歴史という学問の1ページにすぎない」

 ということである。

 だから、江戸時代や戦国時代、へたをすれば、原始時代と変わらない認識と言ってもいいだろう。

 ただ、一つ言えることは、

「時代に大きな爪痕を残した」

 ということで、

「バブル崩壊」

 と並んで、今の時代に、

「大きな教訓を残した」

 といってもいいだろう。

「バブル経済」

 というのは、

「実態のないものだ」

 ということで、当時言われていたこととして、

「土地を転がしただけで、儲かる」

 と言われ、

「土地ころがし」

 ということで、実際にその土地を見なくても、商売ができるというくらいだった。

 それだけ、ちょっとした狭い土地でも、巨万の富を築けたということであった。

 しかし、そんな、

「実態のないものが、そう長続きすることもなかった」

 数年間の、

「バブル景気」

 というものが続くと、崩壊した後は、それまで言われていた、

「神話」

 というものが、まったく壊れてしまい、

「誰がここまでの大混乱を想像しただろう」

 というほどの、

「未曽有の大不況が襲ってきた」

 ということであった。

 確かに、

「不況というものは、戦後の大混乱からあと、好景気と背中合わせの形で襲ってきた」

 一種の、

「反動」

 といってもいいかも知れない。

 戦後の混乱が収まってきて、

「もはや戦後ではない」

 と言われ、

「所得倍増計画」

 という、政府案が示され、時代は、建設ラッシュに沸いていて、その頂点に、

「東京オリンピック」

 であったり、

「大阪万博」

 というものがあったのだ。

 それが、いわゆる、

「戦後復興から立ち直った日本を見てもらう」

 ということで開催されたものだったが、そのために打ち出された対策ということで、

「インフラの整備」

 ということであった。

 なんといっても、

「交通網の整備」

 というのが中心で、

「東名高速道路の開通」

「同会同新幹線の開業」

 と、オリンピックに合わせての、大規模な公共事業ということで、

「未曽有の好景気」

 というものを迎えた。

 しかし、その反動というのは必ず襲ってくるというもので、

「オリンピックが終わってしまうと、それまでの好景気が嘘のように、不況が襲ってくる」

 ということであった。

 それを、政府は分かってはいただろう。

 しかし、それがどの程度の規模なのかは、分かりかねる。

 政府が思っていたよりも、大きかったのか、そうでもなかったのか。どちらにしても、その対策が、果たして功を奏したのかどうか、それも今となっては分からない。

 ただ、

「目に見えての弊害」

 というのは、社会問題ということで残ったものであり、それが、いまだに解決できていないというほどの、大きな問題だったということは、その時は、おもや、分かっていることではなかったことだろう。

 その一つとして、一番大きかったと思えることで、

「公害問題」

 というものであった。

 特に、

「四大公害問題」

 と言われる問題は、その訴訟は、いまだに行われていて、へたをすれば、保証をされないままに、この世を去ったという人もたくさんいたことだろう。

 そもそも、さらに前の戦争の時における、

「原爆被害訴訟」

 というものでさえ、

「そろそろ80年が経つ」

 と言われているのに、まだ解決していないではないか。

 問題が起こるのは一瞬に近いものだが、その解決までに、

「人の一生では足りないくらいの期間がかかる」

 というのは、どういうことだろうか。

 確かに、裁判なのだから、どちらの立場もしっかり調べ上げて、公平な判断を下すには、一定の期間がかかるということになるのだろうが、

「一生かかっても解決しない」

 というのは、結局は、

「裁く方としては、しょせんは他人事」

 と思っているということになるのであろう。

 それを考えると、

「政治家や、法に携わる人間に、ろくな人がいない」

 ということになるのだろう。

 少なくとも、被害者は、そう感じているに違いない。

 だから、

「バブル経済」

 というものの最中に、

「誰も、その崩壊というものを予知できた人はいなかったのか?」

 ということになるのだろうが、

「実際にはいたのではないか?」

 と思われる。

 もちろん、

「これをいきなり言えば、大パニックになり、もし、違う形で崩壊し、それが自分の提言によるものだ」

 ということになれば、

「取り返しがつかない」

 と思え、結局は、

「警鐘を鳴らすということをためらってしまい、何もいえなかった」

 という人がいてもおかしくはない。

 しかし、バブルの崩壊というものを予知していた人がいたとしても、

「本当にここまでひどい状態になる」

 ということを予想できた人はいただろうか?

「バブルが崩壊し、社会不安が高まる」

 ということは想像できても、

「まさか、銀行が破綻する」

 ということまで想像できた人はいなかっただろう。

 何しろ、

「銀行は絶対に潰れない」

 と言われてきた。神話だったのだ。

 それが、実際には、

「一番最初に破綻したのが銀行だった」

 ということで、今から考えれば、それも当たり前のことで、

「バブル経済とは実態のないもの」

 ということなのだから、それも当然だ。

 そもそも、当時、

「バブル経済というのが、実態のないものだ」

 ということが分かっていた人がどれだけいたのかということである。

 それが分かっていれば、

「銀行だって危ない」

 ということは想像がつくだろうが、どうしても、

「銀行は潰れない」

 という神話を信じているのだから、想像がつかないということも無理もないといってもいいだろう。

 だから、

「ここまでの大惨事になるとは」

 と、楽天的に見ていた人は多いだろう。

 そう、

「地域的な災害であれば、他からの援助で何とかなる」

 ということなのだろうが、

「日本全国で災害を起こした」

 ということであれば、

「他県からの援助も、物資もない」

 ということだ。

 つまりは、

「日本中どこにも逃げられない」

 ということと、インフラがめちゃくちゃなので、情報も入ってこないので、

「まさか、こんなにも大災害になっているとは」

 と思うのも無理もないことだろう。

 それが、

「バブル崩壊」

 というものだったのだ。

 インフラがめちゃくちゃにはなっていないが、

「景気が戻ってから、最高潮のピークを迎えたところではじけたものだから、誰も、その対先など分かるわけもない、何しろ、頂点に上り詰めたこともないわけだから、その頂点の高さも、足元が開いて、そこから落とされる奈落の底がどうなっているかなどということが分かるわけもない」

 ということになるのだ。

「即死」

 ということになるか、

「即死はしないが、二度と出られないということで、ただ死ぬのを待つしかない」

 という状態で、結局は、

「即死の方がよかった」

 という、

「究極の選択」

 というものが待っているだけだったのだ。

 それが、バブル崩壊というもので、そのための対策がたくさん出てきたが、その一つとして、

「リストラ」

 というのがあった。

 そのリストラは、結局は、

「収入に限りがある」

 あるいは、

「今までに比べて、ほとんど望めない」

 ということになれば、会社によっては。

「仕事をすればするほど、損をする」

 というところもあるだろう。

 かといって、何もしないと、支出だけということになるので、それくらいなら、

「倒産の方がましだ」

 ということになるのだ。

 そうなると一番の問題は、

「支出を減らす」

 ということで、

「経費の節減」

 ということになる、

 その最たるものが、一番経費として掛かっているのが、人件費だということで、人件費節減目的の、

「リストラ」

 というのが行われるのだ。

 そうなると、いくら仕事が減ったとはいえ、

「大量リストラ」

 を行ったところでは、仕事が今までの2割減ったとして、人件費節減のために、社員を半数にしてしまうと、残った社員一人の仕事量は、かなりのものになるということは、小学生にでもわかるというものだ。

 しかも、

「経費節減」

 ということで、

「残業代は出ない」

 ということになれば、

「サービス残業」

 ということになるのだ。

 つまりは、リストラというものによって、

「会社を辞めるも地獄、残るも地獄」

 ということになるのであって、

「どっちがいいか?」

 ということは、ハッキリとはいえないだろう。

 なんといっても、

「サービス残業をしていれば、安泰な会社で、定年まで仕事が保障されている」

 というわけではない。

 それこそ、

「いつ、次の大規模リストラが行われるか分からない」

 ということで、

「日々の業務をこなしている場合ではない」

 と、誰もが不安に感じることであろう。

 だから、大量リストラが行われる中で、とりあえずは、

「会社にしがみつくしかない」

 ということであったが、

「時代はそれを許さない方向に向かっていた」

 というのだ。

 それが、それまでは当たり前と言われてきた、

「終身雇用」

 というものと、

「年功序列」

 というものが、崩壊していくことであった。

 もっとも、この二つは、

「日本独自」

 というもので、アメリカなどの大国ではそんな発想はなかった。

 日本国内でも、優秀な人材が、本当に、その人にふさわしいところにいるかというと、この二つの足かせによって、そうもいかないというのが、それまでの日本だったのだ。

 つまりは、

「いくら優秀であっても、会社では、年功序列。よほどの成果がなければ、先輩を差し置いて、出世」

 というのはなかっただろう。

 しかし、それが起こったとすれば、その人はかなりのエリートで、優秀な人材ということで、他の会社からの、

「ヘッドハンティング」

 というものも行われ、

「終身雇用」

 と言われていても、

「うちは、今の会社の給料の3倍出しまって」

 などと言って誘われれば、相手から、

「望まれても転職」

 ということで、本人とすれば、

「給料が少し上がるというくらいでも、ありがたく移籍する」

 というものであろう。

 ただ、なんといっても、日本の体制として、

「途中で会社を変わるというのは、引き抜きであっても、今までの御恩を覆す裏切り行為だ」

 ということで、誹謗中傷を受ける可能性があるということになるだろう。

 要するに、

「封建的な考えだ」

 ということになるだろう。

 日本における

「方形制度」

 というのは、

「土地というものを中心として、それを所有する領民の生活の糧であるその土地を、領主が守るということで、領民は領主が戦を起こす時には、武器を持ってかけつける」

 というのが、本来の意味の封建制度であった。

 それを、

「御恩と奉公」

 という言葉で示されるのであった。

 つまり、

「会社での給料」

 というものを会社が保障してくれるので、その分、会社のために働くということである。

 だから、

「途中で辞める」

 というのは、

「不忠に当たる」

 という認識になるのだろう。

 だから、昔は、上司の命令には絶対という厳しさがあり、年功序列ということで、

「目上の人というのは、年長者」

 ということになるのであった。

 これも、

「家を継ぐのは長男」

 というような、

「家長制度」

 というものからきているのかも知れない。

 そんな社会情勢であったものが、

「バブルの崩壊」

 というもので、それがままならなくなり、それまでの、神話と言われたものがことごとく崩れていったのだ。

「終身雇用」

「年功序列」

「銀行不敗神話」

 というものが、すべて、バブル崩壊とともに、崩れていったといってもいいだろう。

 ここが、戦後最大の社会変革が行われたところであり、さらに、それ以降、社会が安定しないのか、それまで、

「当たり前とされたことが、ことごとく、間違いだった」

 と言われるようになる時代を迎えるのであった。


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