十八頁「日出でざらまほし」

◇◆◇


 夜、人影の消えたログハウスでツヾルつづるが支度を整えていると、背後に気配。

「……はぁ、さっさと出てきてもろてええ? 覗き見なんて趣味悪いで」

 その声に応えるように、ふよふよとおばけポンチョが近づいてくる。

「ボクだって君と話したくないんだけど……拠点移動してるのに君がいないからって、茉代ましろさんに探せって言われたんだよ」

 そう、面倒くさそうな声が返った。

「何もあんたが来なくてもええのになぁ」

 茉代ましろに命じられた時点で避けようのない事実だが、嫌味のひとつも吐きたくなる。

「拠点を変えたとはいえ、旧拠点から新しい拠点が見つかるリスクもある。椿希つばきを攻撃した王国軍は帰すべきやないやろ?」

 ツヾルつづるが理屈を並べても、ロカノは納得してない。

 案の定、薄笑いを浮かべて問い返す。

「……で、本音は?」

 問いかけられて、思わず口角が上がる。

 どうせ、こいつに隠しても意味がない。

「誰でもええからボッコボコにしたいからに決まっとるやん♪」

 開き直ってそうツヾルつづるが言うと、案の定、呆れたような声が返ってきた。

「はぁー、そんなことだろうと思ったよ。ほんっとうに馬鹿なんだね、君」

 馬鹿呼ばわりされて、胸の奥がちりっと熱くなる。

(こいつにだけは言われたくないわ)

「うちのストレスの主な原因がよー言うわ。拷問相手を殺した時、あんただけ逃げてうちだけめっちゃ怒られたん、ちゃんと覚えとるからな。腹いせや、腹いせ」

 そう過去の記憶を突きつけてやったのに、返ってきたのは拍子抜けするような反応だった。

「……そんなことあった?」

(くっそ、何もなかったみたいな顔しやがって)

 あたかも記憶から消し去ったかのような態度に、余計に腹が立つ。

「まぁどうせ、君が逃げるの下手だっただけでしょ」

「はぁ?このぼんつくが!」

 罵り合いながらも、椿希つばきの血の跡を辿って森を進む。

 黛空まゆらはなぜか滴り落ちていた血に気づかなかったらしく、拭った跡等は見られなかった。

 跡は真っ直ぐ、襲撃の場所へと導いていく。

「まぁでも? 拠点見つかるかもやしな? 殺しとくべきやろ?」

「まぁいいんじゃない? やるなら徹底的にでしょ♪」

 この二人は犬猿の仲ではあるが、相性が悪いというか良すぎるというか。

  その晩、野営していた三人の王国兵は、好戦的な二人の笑い声に包まれながらぐちゃぐちゃ殺された。

 兵士の最後の一人が崩れ落ちた時、森は静まり返った。

 血の匂いだけが残り、夜の月が白く照らす。

 紅い空の残滓ざんしと白い月、その下で笑う二人は、まさしく異様な存在であった。


◇◆◇


「って感じやったな! いやぁ、いいストレス発散になったわー」

――六茗むめい葉束はつかは、その殺戮さつりくの話にただ顔を引きらせて沈黙する他なかった。


 ████年五月八日。

 泡谷村あわたにむら跡に降りる風は、まだ夜気やきの残り香を引きずっていた。

 朝陽の気配はまだ地の奥に潜んでいる。

 足音は靴底と枯れ草の擦れる音しか鳴らず、息を吐くにも躊躇ためらうほどの静けさだった。

 帆瑞ほずいはひとつ、息を漏らした。

「はぁ……」

 ひと息だけでも、肺がきしむようだった。

 せわしなさに追われ、呼吸すら忘れていた気がする。

 仕事は山積みだ。

 任務の再調整、兵の編成、新たな配備……。

 ただ言われた通りに動くだけで、何かを考える余地などなかった。

 けれど、それだけではない。

 近頃、王国軍の空気がどうにも帆瑞ほずいの肌に合わなくなっていた。

 ……苦しいのは、茉代ましろという毒が近くにあるせいだと思っていた。

 だが茉代ましろがいなくなってからも、胸の奥のざらつきは残ったまま、むしろ増しているように思う。

 王国の方針に逆らっている茉代ましろの言葉が、理に叶っているように思えてしまうのだ。

 他者から与えられたはずの光が、胸の奥で熱に変わり、内側を焼いてくる。

 茉代ましろの言葉に当てられた帆瑞ほずいは、王国の方針にすら窮屈さを覚えるようになっていたのだ。

 泡谷村あわたにむら跡に来たのは、ただの気まぐれだ。

 ここは、帆瑞ほずいの始まりでも終わりでもある。

 だからといって、立ち寄ることで何かが変わるなどとは毛頭思っていなかった。

 ただ、独りになりたかった。

 ――その時だった。

 歩を進めた先、山道を遮る木々の間から、ふらつくような足取りで歩く姿。

 身を覆う黒いマントが、常闇に溶けるように揺れている。

 ――茉代ましろだ。

(なんでこんなところに……?)

 離反者である以上、お尋ね者でもあるのだ。

 危険を冒してまで、なぜこんな場所へ?

 見つかれば即座に処分対象となるのに。

 顔は見えない。

 だが、あの歩き方は確かに茉代ましろのものだった。

 胸元を押さえており、肩も浅く上下している。

(……過呼吸!)

 帆瑞ほずいは一歩だけ踏み出した。

 このままでは危ない。

 ただの気まぐれだ。

 帆瑞ほずいだと気づかれなければ問題はないと思った。

 帆瑞ほずいは少し背を低くして、距離を詰める。

 だが、そこで聞こえてしまったのだ。

「誰にも傷ついてほしくねーだけなんだがなぁ゛……これ以上誰だって殺したくねぇなぁ……」

 声が落ちた。

 小さな水の飛沫しぶきのような。

 帆瑞ほずいの中で、何かが凍った。

 心の奥にあった何かが、急速に冷えていく。

 その優しさは、帆瑞ほずいの在り方と決して交わらない。

 それは、まるで帆瑞ほずい自身の在り方を否定されたように感じられた。

 ……守れなかったから。

 だから、こうして命令に従うことしかできないのに。

 自身が何を守ってきたのか。

 それが、今茉代ましろの言葉だけで打ち砕かれてしまった気がした。

 このまま此処ここにいると、全てが崩れてしまう気がした。

 帆瑞ほずいは、背を向けた。

 何も言わなかった。

 何もできなかった。

 ただ、歩を離した。

 空が東の端で白み始めた。

 泡谷村あわたにむら跡の草木を染めるように、一筋の光が差す。

 焼け跡に、朝が降りてくる。

 空気が膨らんでいく音がした。

 居場所なんて、初めからなかったのだ。

 たとえ朝が来ても。

 たとえ太陽が昇っても。

 この場所が過去でも、帆瑞ほずいの内側は今も尚燃え残ったままだ。

 帆瑞ほずいはその光を背にして、何も残さず立ち去っていった。

 その気配を受け取るように、鳩が一羽降り立った。

 

 ████年五月十一日。

 とある洞窟の奥は、水気と薬液の匂いがこびり付いていた。

 息を吸えば肺の奥まで染みるような、血と鉄の匂いが混ざった空間。

 ここは生物資料の保管室であり、治療器具の管理室であり――ある種の人間にとっては、実験のための場所でもあった。

 処置室は静かだった。

 血の匂いも、泣き声も、今はもう消えていた。

 白衣の男は湿らせた布を、少年の額にそっと当てる。

 その手の温度は、人肌に近かった。

 まるで看病する母親のような優しさだった。

「今日もよく頑張ったなぁ。偉いぞ」

 男は微笑む。

 声にはとげがない。

 その直後──少年の腕に、メスが突き刺さる。

 鋭く、無慈悲に。

 少年はうめき、顔を背ける。

 涙をこらえる。

 男は少年の様子を眺めながら、処置台の脇に小さな飴玉を置く。

 淡い桃色の包みに包まれた、見るからに甘そうな粒。

「食べていいぜ。甘いの好きだろ?」

 少年は信じる。

 信じてしまう。

 傷の痛みより、飴の約束にすがる。

 残虐のあとに落とされた優しさのかけら。

 それは少年にとって微かな救いだった。

 男はそれを、静かに記録する。


──── 

 実験体147。

 実験中に「救済」提示 → 混乱反応。

 苦痛+信頼の交差により、自我崩壊が加速。

 優しさは、破壊において最も有効な媒介である。

────


 男は最後に、少年の髪を静かに撫でた。

「大丈夫だ。君は優秀だぜ」

 そして泣き続ける少年の口元へ、飴をそっと運んだ。

 その甘さは確かに現実だった。

 けれどそれすら、男の掌の上にあった。


 男は洞窟を隔てる戸に鍵をかけた。

「……飽和研究所から盗ってきただけあるな。耐久性が違う」

 男は笑みを浮かべながら、古びた器具棚の鍵を緩めていると、聞き慣れない足音。

 音としては男のひとつだけ。

 それなのに何故か、もう一人誰かが後ろにいるような気配がして振り返る。

 ――そこにったのは、藤色の瞳だった。

 静かな顔をして、立っている。

「何の用だ?小娘」

 男は意地の悪い声で言った。

「小娘じゃないっすよ。雪枷ゆきかせっすよ、雪枷ゆきかせ

 いつもの口調だ。

「はいはい、んで? そんな雪枷ゆきかせちゃんは何用で?」

 その男の言い方に少しだけ雪枷ゆきかせの眉が動いた気がしたが、すぐに口を開いた。

灯影とうえいに血渡しに来たっす。そろそろなくなると思って」

 それを聞いて、灯詠の言葉の調子が変わった。

「今日は六本分くれ!」

 雪枷ゆきかせは、目を逸らさずに言った。

「……二本っす」

 即答だった。

 交渉慣れしてるなと、灯詠とうえいは内心で呟く。

 じっと無言で見つめる。

 長く。

「……四本までっすよ。それ以上は無理っす」

「よっし」

 灯詠とうえいは口の端で笑った。

 そして二人は向かい合って椅子に座る。

 医療処置だというのに、空気は妙に軽すぎる。

 雪枷ゆきかせは自分の袖をまくる手付きも躊躇ちゅうちょしなかった。

「はーい、力抜いてねー」

 ふざけた声で灯詠とうえいは針を刺す。

 血管は細いのに、抵抗がなかった。

 スッと吸い上げられた赤色が管の中を滑っていく。

 正直、綺麗だと思った。

 一本目。

 器具の目盛りを見ながら、灯詠とうえいは静かに笑った。

「はい次ー」

 針を抜き、二本目へ。

 雪枷ゆきかせは特に反応を示さない。

 でも、四本目に入ろうとしたとき、目の奥に小さな揺れが走ったのを灯詠とうえいは見逃さなかった。

「目眩が……」

 雪枷ゆきかせの顔色が少し白くなっていた。

 一気に採取した血液量が多すぎたことによる貧血なのは分かっている。

 なのに灯詠とうえいは、わざと量の説明をしなかった。

「あはは、だろうなー。知ってた」

 血液、100mlフラスコ四本。

 今回の抽出量は、水分補給や休息なしの雪枷ゆきかせの許容量を超えている。

 だが、濃度も鮮度も申し分ない。

 灯詠にとっては、ただの良質な標本でしかない。

 雪枷ゆきかせが用意されたフラスコの大きさを見て、眉を寄せた。

 そして、少し怒ったように言った。

「……いつも25mlっすよね? 何で100mlなんっすか」

 その語尾には珍しく棘があった。

「四本とは言われたが、何mlかは言われてないしなぁ?」

 灯詠とうえいはとぼけるように笑ってみせる。

 こうやって押し引きするのは嫌いじゃない。

「クソ野郎……」

 雪枷ゆきかせが呟いたあと、身体を揺らした。

 足元が沈むみたいに、ふらりと傾いた。

 灯詠とうえいは支えるつもりで腕を伸ばしたけど、雪枷ゆきかせはそのままもたれてきた。

 意識はある、が。

「普通に自分が悪いな、これ」

 そう言って灯詠とうえい雪枷ゆきかせを抱き上げて、ベッドに運ぶ。

 シーツは冷たく、枕は固い。

 だが、雪枷ゆきかせは受け入れるように呼吸を整えていた。

 灯詠とうえいが毛布をかけてやると、ようやく部屋が静かになった。

 血液や防腐液よりも濃い『人間の気配』が残っているのが分かった。

(……慣れないな)

「寝ときな。もし深硯が来たら起こしてやるからさ」

 その名前を灯影とうえいが口にしたとき、雪枷ゆきかせはほんの少しだけ眉を動かした。

 目は閉じていたが、意識が完全には眠っていないのが分かる。

 灯詠とうえいは椅子に戻る。

 器具の整理を始めながら、雪枷ゆきかせの呼吸音を聞いていた。

 この洞窟の空気は、いつも無機質だ。

 でも今は、たった1人の微かな血温が、この部屋をわずかに灯していた。

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