十八頁「日出でざらまほし」
◇◆◇
夜、人影の消えたログハウスで
「……はぁ、さっさと出てきてもろてええ? 覗き見なんて趣味悪いで」
その声に応えるように、ふよふよとおばけポンチョが近づいてくる。
「ボクだって君と話したくないんだけど……拠点移動してるのに君がいないからって、
そう、面倒くさそうな声が返った。
「何もあんたが来なくてもええのになぁ」
「拠点を変えたとはいえ、旧拠点から新しい拠点が見つかるリスクもある。
案の定、薄笑いを浮かべて問い返す。
「……で、本音は?」
問いかけられて、思わず口角が上がる。
どうせ、こいつに隠しても意味がない。
「誰でもええからボッコボコにしたいからに決まっとるやん♪」
開き直ってそう
「はぁー、そんなことだろうと思ったよ。ほんっとうに馬鹿なんだね、君」
馬鹿呼ばわりされて、胸の奥がちりっと熱くなる。
(こいつにだけは言われたくないわ)
「うちのストレスの主な原因がよー言うわ。拷問相手を殺した時、あんただけ逃げてうちだけめっちゃ怒られたん、ちゃんと覚えとるからな。腹いせや、腹いせ」
そう過去の記憶を突きつけてやったのに、返ってきたのは拍子抜けするような反応だった。
「……そんなことあった?」
(くっそ、何もなかったみたいな顔しやがって)
あたかも記憶から消し去ったかのような態度に、余計に腹が立つ。
「まぁどうせ、君が逃げるの下手だっただけでしょ」
「はぁ?このぼんつくが!」
罵り合いながらも、
跡は真っ直ぐ、襲撃の場所へと導いていく。
「まぁでも? 拠点見つかるかもやしな? 殺しとくべきやろ?」
「まぁいいんじゃない? やるなら徹底的にでしょ♪」
この二人は犬猿の仲ではあるが、相性が悪いというか良すぎるというか。
その晩、野営していた三人の王国兵は、好戦的な二人の笑い声に包まれながらぐちゃぐちゃ殺された。
兵士の最後の一人が崩れ落ちた時、森は静まり返った。
血の匂いだけが残り、夜の月が白く照らす。
紅い空の
◇◆◇
「って感じやったな! いやぁ、いいストレス発散になったわー」
――
████年五月八日。
朝陽の気配はまだ地の奥に潜んでいる。
足音は靴底と枯れ草の擦れる音しか鳴らず、息を吐くにも
「はぁ……」
ひと息だけでも、肺が
仕事は山積みだ。
任務の再調整、兵の編成、新たな配備……。
ただ言われた通りに動くだけで、何かを考える余地などなかった。
けれど、それだけではない。
近頃、王国軍の空気がどうにも
……苦しいのは、
だが
王国の方針に逆らっている
他者から与えられたはずの光が、胸の奥で熱に変わり、内側を焼いてくる。
ここは、
だからといって、立ち寄ることで何かが変わるなどとは毛頭思っていなかった。
ただ、独りになりたかった。
――その時だった。
歩を進めた先、山道を遮る木々の間から、ふらつくような足取りで歩く姿。
身を覆う黒いマントが、常闇に溶けるように揺れている。
――
(なんでこんなところに……?)
離反者である以上、お尋ね者でもあるのだ。
危険を冒してまで、なぜこんな場所へ?
見つかれば即座に処分対象となるのに。
顔は見えない。
だが、あの歩き方は確かに
胸元を押さえており、肩も浅く上下している。
(……過呼吸!)
このままでは危ない。
ただの気まぐれだ。
だが、そこで聞こえてしまったのだ。
「誰にも傷ついてほしくねーだけなんだがなぁ゛……これ以上誰だって殺したくねぇなぁ……」
声が落ちた。
小さな水の
心の奥にあった何かが、急速に冷えていく。
その優しさは、
それは、まるで
……守れなかったから。
だから、こうして命令に従うことしかできないのに。
自身が何を守ってきたのか。
それが、
このまま
何も言わなかった。
何もできなかった。
ただ、歩を離した。
空が東の端で白み始めた。
焼け跡に、朝が降りてくる。
空気が膨らんでいく音がした。
居場所なんて、初めからなかったのだ。
たとえ朝が来ても。
たとえ太陽が昇っても。
この場所が過去でも、
その気配を受け取るように、鳩が一羽降り立った。
████年五月十一日。
とある洞窟の奥は、水気と薬液の匂いがこびり付いていた。
息を吸えば肺の奥まで染みるような、血と鉄の匂いが混ざった空間。
ここは生物資料の保管室であり、治療器具の管理室であり――ある種の人間にとっては、実験のための場所でもあった。
処置室は静かだった。
血の匂いも、泣き声も、今はもう消えていた。
白衣の男は湿らせた布を、少年の額にそっと当てる。
その手の温度は、人肌に近かった。
まるで看病する母親のような優しさだった。
「今日もよく頑張ったなぁ。偉いぞ」
男は微笑む。
声には
その直後──少年の腕に、メスが突き刺さる。
鋭く、無慈悲に。
少年は
涙を
男は少年の様子を眺めながら、処置台の脇に小さな飴玉を置く。
淡い桃色の包みに包まれた、見るからに甘そうな粒。
「食べていいぜ。甘いの好きだろ?」
少年は信じる。
信じてしまう。
傷の痛みより、飴の約束にすがる。
残虐のあとに落とされた優しさのかけら。
それは少年にとって微かな救いだった。
男はそれを、静かに記録する。
────
実験体147。
実験中に「救済」提示 → 混乱反応。
苦痛+信頼の交差により、自我崩壊が加速。
優しさは、破壊において最も有効な媒介である。
────
男は最後に、少年の髪を静かに撫でた。
「大丈夫だ。君は優秀だぜ」
そして泣き続ける少年の口元へ、飴をそっと運んだ。
その甘さは確かに現実だった。
けれどそれすら、男の掌の上にあった。
男は洞窟を隔てる戸に鍵をかけた。
「……飽和研究所から盗ってきただけあるな。耐久性が違う」
男は笑みを浮かべながら、古びた器具棚の鍵を緩めていると、聞き慣れない足音。
音としては男のひとつだけ。
それなのに何故か、もう一人誰かが後ろにいるような気配がして振り返る。
――そこに
静かな顔をして、立っている。
「何の用だ?小娘」
男は意地の悪い声で言った。
「小娘じゃないっすよ。
いつもの口調だ。
「はいはい、んで? そんな
その男の言い方に少しだけ
「
それを聞いて、灯詠の言葉の調子が変わった。
「今日は六本分くれ!」
「……二本っす」
即答だった。
交渉慣れしてるなと、
じっと無言で見つめる。
長く。
「……四本までっすよ。それ以上は無理っす」
「よっし」
そして二人は向かい合って椅子に座る。
医療処置だというのに、空気は妙に軽すぎる。
「はーい、力抜いてねー」
ふざけた声で
血管は細いのに、抵抗がなかった。
スッと吸い上げられた赤色が管の中を滑っていく。
正直、綺麗だと思った。
一本目。
器具の目盛りを見ながら、
「はい次ー」
針を抜き、二本目へ。
でも、四本目に入ろうとしたとき、目の奥に小さな揺れが走ったのを
「目眩が……」
一気に採取した血液量が多すぎたことによる貧血なのは分かっている。
なのに
「あはは、だろうなー。知ってた」
血液、100mlフラスコ四本。
今回の抽出量は、水分補給や休息なしの
だが、濃度も鮮度も申し分ない。
灯詠にとっては、ただの良質な標本でしかない。
そして、少し怒ったように言った。
「……いつも25mlっすよね? 何で100mlなんっすか」
その語尾には珍しく棘があった。
「四本とは言われたが、何mlかは言われてないしなぁ?」
こうやって押し引きするのは嫌いじゃない。
「クソ野郎……」
足元が沈むみたいに、ふらりと傾いた。
意識はある、が。
「普通に自分が悪いな、これ」
そう言って
シーツは冷たく、枕は固い。
だが、
血液や防腐液よりも濃い『人間の気配』が残っているのが分かった。
(……慣れないな)
「寝ときな。もし深硯が来たら起こしてやるからさ」
その名前を
目は閉じていたが、意識が完全には眠っていないのが分かる。
器具の整理を始めながら、
この洞窟の空気は、いつも無機質だ。
でも今は、たった1人の微かな血温が、この部屋を
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