十頁「いつしか晴れむとならば」
████年四月十六日。
崖の上に立つ大軍の影が、夕陽に長く伸びている。
草花が
「見えてきたでー、あれが王国軍本拠地や!」
原稿用紙模様の紫ワンピースが静かに揺れる。
少女が城を指差し、一般兵たちが
万年筆を模した艶やかな靴を履く弓使いは目を細め、慎重に城を見据えた。
「話には聞いていたけど、すごく大きいね」
興奮した様子の少女のワンピースには、ハート・スペード・ダイヤ・クラブの模様が踊る。
「ふっふっふ!腕がなるのです!」
その言葉に、弓使いは肩をすくめつつも、口元には微笑を浮かべる。
「油断しないでよ?」
「もちろんなのです、お師匠!」
師弟の軽妙なやり取りに笑みを漏らす者もいたが、ある男は不満げに身を
その深紅の衣には金糸で龍が舞い、袖口には
「おい、お前はそろそろ下ろせ。子ども扱いも大概にするんだな」
同じく中華風の黄服の男が苦笑しながら地面へ降ろす。
その胸元には太極の文様が静かに輝く。
下ろされた団長らしき男は軽く息を吐き、大軍を見渡して声を張る。
「お前ら、目的を履き違えンなよ!」
「
全員の声が崖の岩肌に反響した。
████年四月十七日。
白く細い息が、朝の冷たい空気に静かに溶けていく。
東の空は橙に染まり、瓦屋根の上にはまだ霧が薄く漂っていた。
石畳は淡い光を反射し、ぼんやりと輝いている。
今回の戦い、王国軍の戦力はたったの五人。
相性の良いこちら側の戦力をぶつけることで、最小限の犠牲に抑えようとしているらしい。
今回の戦いには一般兵すら一人もいない。
それほどの特殊な戦だ。
(王は
王はまるで、全てを見通しているかのようだった。
予言書の存在を知らぬはずの王が、何故ここまで正確な判断ができるのか――疑念は残る。
しかし、その思考は角笛の音に掻きれた。
――戦いが今、始まる。
***
緑の着物をはためかせる
目の前には水色の民族衣装の少女。
少女が地面へ手をついた瞬間――足元が
石畳が次々と浮き上がり、猛獣のように襲いかかる。
しかし、男の目は冷静だった。
(狙うは一点――)
矢は脆い部分を正確に捉え、石畳を砕く。
しかし対応しきれなかった一般兵たちは、その猛攻によって皆、地に伏していた。
「流石です。射撃の天才、幻惑使いの
(僕のことを知っている?)
一瞬疑問が脳裏をよぎるが、今はそれを気にしている場合ではない。
「『ファントム・ヲロール』」
次の瞬間――弓が三倍に増えた。
少女は即座に後方へ跳び、矢を避ける。
地面に突き刺さる矢。
「やるじゃん」
しかし次に
「ぼやけて見えた?」
少女は顎に手を当て、静かに呟く。
「……このままでは徐々に追い詰められてしまいますね」
「考える暇、君にあるのかな?」
少女は石畳を操りながら防ぎ、そして避け続ける。
しかし、
(――消耗戦だ)
だが、少女の体力は確実に削られていく。
こめかみを汗が流れ、動きが鈍る。
「あ、全部覆ってしまえばいいですね、これ」
轟音。
(まずいっ!)
石畳が天地を覆うほどに舞い上がる。
飛んでくる無数の
「目を欺いても、力は嘘をつきません」
「なっ……!」
気づいた時には、少女は背後にいた。
衝撃が
「幻想も全て本物だと思えばいいだけです」
***
紫ワンピースの少女が、
背後には、無惨に倒れた
「……これまたすごいな、シヲリ」
シヲリと呼ばれた少女は
「
「どうやったん?」
何が起こったのか、一体どういう手口なのかはさっぱりだ。
「簡単やよ?」
シヲリは得意げに鼻を鳴らす。
「昨日の夕飯の鍋にちょちょっと、『ゑんつなぎ』店主お手製の毒を垂らしただけー」
「……それやと、一般兵以外の主要メンバーも倒れるんやないの? ってかあの店主何やっとんねん……」
「このシヲリ様やで?打ち合わせってことで、主要メンバーは早めに食べ終えたに決まっとるやん」
こういうときのシヲリは抜け目がない。
「流石……」
だが一つだけ気がかりな点があった。
「シヲリが人間を殺さないってとこが、ちと違和感あるな」
すると、シヲリは
「そしたら、
「それは困るわ。
(別に、殺すこと自体は何とも思わん。……そういう世界に生きているんやから)
「こっちの団長とは大違いやなぁ」
シヲリが呟く。
「そうなん?」
「今回、一般兵は捨て置くつもりや。……生きてる奴らはそっちで保護してくれんか?」
「無責任な……。まあいいわ、そう進言しとく」
「時間は?」
「あと十分くらい」
その言葉を聞いた
「そういや、今んとこ何人?」
「四人」
「ってことは、三人か」
「何で?」
「新人ちゃん」
「……なるほどな」
『
それがシヲリの能力なのだ。
「明日頑張れよ」
シヲリは
その手の感触が妙に温かく、
だからこそ――。
「……あんたは、いつもうちよりも先を見てるんやな」
その寂しそうな
ただ、
「一日ずらしてええか?」
「ええよ」
シヲリは変わらぬ様子で頷いた。
***
朝焼けに染まる戦場。
血の匂いは消えず、湿った風がそれを運ぶ。
ノイムは大鎌をゆっくりと振るい、最後の兵士が崩れ落ちるのを見届けた。
百を超える命が、ノイムの手で
ノイムは大鎌を静かに構え、
視界には何も映らない。
だが、気配がある。
(――来る)
突如、背後から地を裂くような重い音。
黄色の着物を着た男の大斧が容赦なく振り下ろされ、
だが、その一撃は空を切った。
ノイムは後方へ飛んだ後、男の背後に回り込み、大鎌を振るう。
しかし――。
「……今のが分身ですか、
大鎌は空振りし、男の姿は霧のように消え去った。
「何故俺の名を知っている」
消えた分身の後ろから現れた
「まぁいい、
分身が
同じ姿が残り五体。
だが、ノイムの目は鋭く光り、
(――気配を偽ることはできない)
「まずは
大鎌が静かに回転する。
空気を切り裂く音が響き、ノイムの手から放たれた刃は朝焼けを背に敵へと向かう。
ノイムは
――鋼が
本体を含め、残るは二体。
……一瞬の違和感。
それと同時に、大斧がノイムの頭上を薙ぎ払った。
後一瞬遅れていれば、首を刈られていただろう。
大気を揺らす衝撃音。
しかし――ノイムは既に次の手を打っていた。
最後の分身に向かって
刃がぶつかると、衝撃が走り、本体の手から武器が弾かれる。
そのまま回転し続ける鎌は、円を描くように舞い戻り、ノイムの手元へと収まる。
ノイムは静かに大鎌を構え直し、冷たく言葉を落とす。
「頭上にご注意ください」
先ほど弾かれた大斧が最後の分身を切り裂く。
「……武器もなし、これで終わりですね」
分身と本体の違いを見破られた時点で、
ノイムは地面を蹴り、本体に最後の一撃を振るおうとする。
だが――。
ニヤリ。
(――なぜ笑う?)
ノイムの脳裏に警鐘が鳴る。
気配が変わった。
刃は確かに捉えたはずだった。
だが、その身体は霧のように消え去る。
ノイムの目が鋭く光る。
「……本体が、分身になった?」
***
シヲリは軽やかに立ち上がり、「
それに
お別れだ。
「今度は打ち合わせにない襲撃は勘弁してくれ。おかげでひどい目に遭った」
(あんときの
しかし、シヲリはきょとんとした様子で首を傾げた。
「へ?襲撃なんてしてないで、うちら」
「……え?」
まさかの答えに、混乱が走る。
言葉を続けようとした瞬間、シヲリの姿がふっと霧のように消えた。
(――シヲリの言葉がほんまなら、補給庫を襲撃した兵たちが身につけとった
胸の奥に嫌な予感がよぎった。
そして戦場の各地で戦っていた敵の主要メンバーも、次々に霧のように消えていったそうだ。
***
『解除』——その一言とともに、張り詰めていた気配がふっと抜ける。
「おっと」
シヲリがすかさず手を伸ばし、崩れかけた
(当然か。何体もの分身たち維持し続けてたンだ、耐えきれなくなるのも無理はないね)
今回の
そして、
唯一主要メンバーを殺しかねない王国軍のメイドの相手を
小柄な団長は息を整え、戦場の余韻がまだ残る空気の中で口を開く。
「よし、じゃあ一応点呼すンぞ。怪我の具合はちゃんと報告するように!」
最初に自身の傷を確認する。
脇腹の鋭い痛みがじんじんと響く。
「俺、
膝をついたまま、
あんなに耐久力のある
「次、
「僕は頭部を殴打されて軽傷、
「
「わたしは血をたくさん吸われて貧血なだけなのです!」
「最後にシヲリ!」
「うち無傷ー!」
シヲリは片手を上げてにっこり笑う。
(いや、あいつら相手にそれはそれでおかしいだろ)
突っ込みを入れたくなるが、まあ無事なのは何よりだ。
「ふう、これで一旦終了だな」
涼しい風が吹き抜ける。
戦の余韻がじわりと肌に残りつつも、仲間の無事を確認できたことで、どこか安堵の気配が漂う。
「みんなお疲れ様やな!」
シヲリは満面の笑みでそう言う。
その一方で、
「ぐぬぬ……、あっけなく負けてしまったのです……」
「でも目的は果たせたんだから、大健闘だよ」
「お師匠ー!」
「それより
その言葉に、
「あぁ……俺も相手に名前を知られていた」
「まあ名前で呼び合ってるし、能力も別に隠してないから、どこかで聞かれてたんじゃない?」
シヲリは軽く肩をすくめる。
「いやでも、本当、みんな無事でよかったよ」
「まあ、これも『予言書』の成果だな」
——初めの嵐を凌ぐことに、心の臓を捧げよ。
その一文に目を落とした。
***
玉座の間には静寂が満ちている。
「それにしても、流石俺の駒たちだな。全員無傷で迎撃するとは」
王の声が低く響く。
その言葉に応じ、
「ありがたきお言葉」
声に感情を乗せることなく、ただ儀礼的に返す。
「それと明日の十時、会議室に集合するよう
王が玉座の背もたれへと身を預ける。
「
王のもとを離れる足取りは、ほんの少しだけ重いような気がした。
それとは裏腹に、鳩の軽やかな声が、静けさの中にさざ波のような余韻を残していった。
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