六頁「溺れむとする前に吸ひし、今際の息」

 帆瑞ほずいは特殊部隊『八咫烏やたがらす』に所属したポーンとなり、軍警としての仕事をメインに活動し始めていた。

 とはいっても新人のため、今はまだ先輩たちに同伴という形だった。

 軍警として帆瑞ほずいが行ったことと言えば――。

 

 ████年四月四日。

 国境沿いの荒野こうやに、夜の帳が静かに降りた。

 空は群青の闇に沈み、遠くで獣の遠吠えがかすかに響く。

 ここは大正王国と他国との国境。

 とは言え大正王国は島国のため、国境の先は海なのだが。

 ロカノ率いる一般兵たちは、一時の休息をとっていた。

 気が立っているからと国民を平気で惨殺する兵士がこの場にも多くいるからか、全く気が休まらない。

 焚火が点々と並び、火の粉が舞い上がる。

 炎がなければ、ただ冷たい闇だけが広がる。

 仕事を覚えるためロカノに同行している帆瑞ほずいは、焚火のそばでロカノと並んで座り、手元の食糧をかじっていた。

 火の揺らめきが、二人の影を大きくしたり、小さくしたりしている。

「ロカノさんは王国軍でいること、どう思ってるんですか?」

 近くに一般兵がいないことを確認し、帆瑞ほずいは尋ねてみた。

 ロカノは焚火をじっと見つめながら、ポンチョの端をひらひらと揺らす。

「ん~?まあ、暇潰しにはちょうどいいかな~って思ってるかな」

「軍が……暇潰し?」

(この人は一体何を言っているのだろう)

「いやいやだってさ、戦場って意外と待機時間長いんだよ?敵が来るまで暇じゃん」

「そういう問題ではない気が……」

 ポンチョの『おばけ顔』の穴が笑顔のような形に変化し、ロカノはその穴を指でつついた。

「突然詩を朗読し始める人もいるし、退屈だって思ってるのはボクだけじゃないって」

「詩を朗読する人?そんな人いるんですか?」

「え?今日一般兵に、めっちゃ熱く語ってた人いたよ~。『この戦場に咲くは、血の華――』とか言ってた」

「それは詩じゃなくてポエムですよ!聞かないであげてくださいよ!」

 焚火が爆ぜる。

 帆瑞ほずいは焚火の向こう側にいるロカノの姿をじっと見つめた。

 気を取り直して再び尋ねる。

「もし王国軍を抜けないといけない事態になったら、どうしますか?」

 ロカノは肩をすくめる。

「ん~……まあ、流れに身を任せるかな~」

「え、そんな適当な……」

 ロカノはポンチョをひらひらと揺らしながら、焚火を見つめる。

「そうだ!先輩として、一つアドバイスをしてあげよう」

 ロカノの雰囲気が、ふっと変わった気がした。

「『抜き身な感情』は、人間関係を壊すよ。嘘は保身のための『包帯』だから。……まぁでも、君は大丈夫だと思うけどね」

 ――ロカノにとって嘘とは、世界を欺くための仮面ではなく、自分の無防備な瞬間をなかったことにする包帯なのだ。

 ポンチョの顔がかすかに歪んだ気がしたが、瞬きのちょっとした間で元に戻っていた。

 ――何処どこまでが本心なのだろうか。

「さぁて、新人くん」

 ロカノが焚火を最後に一瞥し、すっと立ち上がるように浮かぶ。

「話はここまで。もう夜も遅いし、君もそろそろ寝なよ~」

 そう言いながら、おばけ顔が楽しげにケラケラと表情を変えた。

 焚火の煙が夜空へと流れ、ロカノの背中は闇に溶けていった。


 ████年四月五日。

 物資調達のため、帆瑞ほずい黛空まゆらと共に、王都城下町の市場を歩いていた。

 石畳の広場には、木造の屋台がずらりと並び、暖簾のれんが風に揺れている。

 市場は活気に満ちており、商人たちの威勢のいい声が飛び交っている。

「新鮮な野菜はいかが~?」

「肉だよ肉!今日のは特別に柔らかいぞ!」

 ――ここは、かつ帆瑞ほずい茉代ましろと出会った場所だった。

 あれから一週間くらい経っただろうか。

 この市場の空気は変わらない。

 人々の活気、屋台の匂い、飛び交う声――短期間ではあったものの、全てが懐かしく感じられる。

 そんな喧騒の中、帆瑞ほずい黛空まゆらに問いかけた。

黛空まゆらさんは王国軍でいること、どう思ってるんですか?」

 黛空まゆらは一瞬、足を止めた。

「……は?」

「いや、だから王国軍にいることをどう思ってるのかって――」

「……あなた、お酒飲んでる?話が急すぎるわよ。未成年は飲んじゃだめじゃない」

「飲んでませんよ!」

 黛空まゆらはじっと帆瑞ほずいを見つめる。

 そしてカッと目を見開き、口を開いた。

「こんなクソみたいな政治の国で軍にいることをどう思うかって聞かれたら、そりゃ文句しか出てこないわよ!」

「えっ、そんなにですか?」

「『そんなにですか?』じゃないわよ!王の政策聞いた?税金上げるわ、軍の装備はケチるわ、挙句の果てに『国民の笑顔が最優先』とか言ってるけど、笑顔の前に毎日ご飯を食べられるだけの安定した収入が欲しいって話でしょ!」

「まあ、それは……」

 黛空まゆらは青果店の果物を手に取りながら、さらに続ける。

(……店の人が怯えているからやめてあげてほしい)

「しかも最近の王のポスター、『国民の幸せのために』とか書いておきながら、背景にめっちゃ豪華な城映ってるのよ!?あれ、絶対わざとでしょ!」

「いや、それはたまたま――」

「たまたまなわけある!?あれは『俺はこんなに贅沢してるけど、お前らは頑張れよ』っていう無言の圧力よ!」

「いや、そこまで深読みします?」

「するわよ!」

 罵詈雑言ばりぞうごんが止まらない。

 もうお店の人の顔が真っ青だ。

 周囲の人たちからの視線もグサグサ刺さる。

 帆瑞ほずい黛空まゆらの勢いに圧倒されながら、ふと疑問を抱いた。

「……黛空まゆらさん、もしかして酒飲んでますか?」

「飲んでないわよ!……さっきの仕返し?」

「いやだって、すごい悪口多いんですもん!」

「これは素面しらふでも言えるレベルの文句よ!」

 黛空まゆらは果物を勢いよくかごに放り込みながら、ふうっと息をついた。

「まあ、そんなわけでどう思うかなんて、考えるだけ無駄ね。どうせこの国もわたくしたちもは王の気分次第で動くんだから」

 黛空まゆらの瞳には、もう何も映っていなかった。

「……悲しくないんですか?」

「悲しい?いえ、もう諦めの境地ね。むしろこの国の政治を見てると、逆に笑えてくるわ」

「いや、笑えませんよ……」

「もうここまでくるともうお笑いよ」

「やめてくださいよ!」

 黛空まゆらかごを持ち上げ、ふっと笑う。

「まあ、そんなわけでこれが終わったら酒でも飲む?」

「いや、私まだ未成年なんですって!さっき黛空まゆらさんが言ってたじゃないですか!」

 黛空まゆらは相当な酒好きだという新事実が発覚した一日であった。

 市場の喧騒の中、帆瑞ほずい黛空まゆらの毒舌に振り回されながらも、物資調達を続けるのだった。


 ████年四月六日。

 王都の夜は静かだ。

 舗装ほそうされた石畳が月の光を反射し、夜風がわずかに帆瑞ほずいの頬を撫でる。

 遠くの市場にはまだ灯りがちらほらと残り、石畳を踏みしめる足音だけが静寂の中に響いていた。

 帆瑞ほずいツヾルつづるは巡回任務をこなしながら、緩やかに夜の道を進んでいた。

 ツヾルつづるは軽い足取りで歩きながら、ふと夜空を見上げる。

「そういえば、ツヾルつづるさんはロカノさんのこと『火種』、ロカノさんは逆に『墓場』って呼んでますけど、あれってどういう意味なんですか?」

 ツヾルつづる帆瑞ほずいの言葉にピタッと一瞬だけ動きを止め、すぐに歩を進める。

 軽く口角を引きながら、「あー……」と息をついた。

「うち、能力の関係で不運やん?やけん、計画とか……まぁ、よく潰してまうんよ……」

 言いながら、申し訳なさげに再び夜空を見上げる。

「だから、計画が破綻して使えなくなってまうから、『墓場』って……」

 その表情には、ほんの少しの後ろめたさが滲んでいた。

「逆にあいつはほんまに悪戯いたずら好きで、そっから騒動に発展するから『火種』やで」

 ぽつりと呟いたツヾルつづるは、わずかに肩をすくめた。

 どうやら、ロカノの悪戯いたずらについては自分以上に諦めがあるらしい。

 ――悪戯が騒動に発展する。

 それは確かに火種と呼ばれる由縁ゆえんだろう。

 問題は、それがロカノ自身の手で火消しされることは決してないという事実だった。

 少し歩いてから、帆瑞ほずいは慎重に話題を変える。

「王国軍のこと、どう思ってます?」

 唐突な問いに、ツヾルつづる帆瑞ほずいの横顔をちらりと見た。

「なんや、恋バナみたいやな」

「えっ、軍に恋してるんですか?それはそれで重症ですね」

「ちゃうわ!」

 ツヾルつづるは歩みを緩め、夜空を仰ぐ。

「んー、まあ、普通?悪くないんやない?まあ王の政策は納得できんけどな」

 予想通りの答えに、帆瑞ほずいは苦笑する。

 ツヾルつづるは最初から軍人らしくないと思っていたのだ。

「もし抜けないといけなくなったら、どうしますか?」

 ツヾルつづるは石畳を蹴るように歩を進める。

「んー……せやなぁ。誰かに誘われたら、あっさり抜けてまうかもしれへん」

「軽っ!」

「ほら、真面目な人もおれば適当にやってる人もおるし、飯目当ての人も……」

 ツヾルつづるの口の端からよだれがじゅるりと垂れる。

「ちなみに、ツヾルつづるさんはどれなんです?」

「え?もちろん飯目当て!」

「なんかそんな気がしましたよ!」

 帆瑞ほずいは思わずツヾルつづるを見た。

 夜風に髪を揺らしながら、ツヾルつづるはちらりと帆瑞ほずいの方へ目を向ける。

「まあ、流れに身を任せるのも悪くないと思ってんで」

ツヾルつづるさん……人生の決断がラーメンのスープの濃さ決めるくらいの軽さですね」

「え?スープの濃さは大事やろ?人生より悩むで、うち」

「せめてスープの濃さには勝ってくださいよ!」

 王都の微かな灯りが揺らめく。

 ツヾルつづるの影が石畳に伸び、まるでどこかへ消えていきそうな気さえした。

「まあまあ、んな細かいこと気にせんといて、ラーメン食べに行くで!」

「頭の中、全部食べ物じゃないですか!それにまだ巡回終わってませんよ!」

 月の光が巡回路を照らし、二人は再び歩き始めた。


 ████年四月七日。

 茉代ましろ帆瑞ほずいを自室へと招き、「王国軍に入ってからどうだ?」と尋ねていた。

 しばらく帆瑞ほずいの話に耳を傾けていたが――どうやら、ツッコミばかりだったらしい。

(……同情するぜ、こればっかりは)

 軍とは、厳格な規律のもと鍛え上げられる場所である。

 多少個性はあるにしても、ここまで新人にツッコミを丸投げしてボケる先輩とは、これ如何いかに。

(これはもはや戦術の一部なのか……?)

 そんな現実逃避の思考が頭をよぎるが、帆瑞ほずいの言葉の端々に、皮肉はあれど親しみも交差していることが感じ取れた。

 半強制的に軍に引き入れた身として、心の内でほっと息を漏らす。

 茉代ましろは、溜息ためいきとも笑いともつかない声を漏らしながら遠くに目をやり、しばし空を眺める。

 そして、帆瑞ほずいが静かに口を開いた。

「……あの三名は、どうやら『こちら側』のようですね」

 先ほどまでの軽妙なやり取りから一変し、帆瑞ほずいの表情が引き締まっている。

 帆瑞ほずいの鋭い眼差しが茉代を捉え、淡々と告げる。

「正式には、茉代ましろさんからお願いしますよ」

 風が一瞬止まったかのようだった。

 運命の歯車はひっそりと噛み合いはじめていた。

 

***


 茉代ましろが思考の海へと沈みかけたその時、 茉代ましろの部屋の扉が勢いよく開かれた。

茉代ましろ!紅い霧が……王都を飲み込んでいってる!」

 夜尋やひろの声が響く。

 茉代ましろ帆瑞ほずいの二人は目を合わせると、迷うことなく窓のある場所へと駆け出した夜尋やひろを追った。

 窓の外――そこには、異様な光景が広がっていた。

 王都の街並みは腐った柘榴ざくろの果実のように紅く染まっており、かすみに包まれたようだ。

 だが、それはただの霧ではなかった。

 うねり、絡み合い、まるで意思を持つかのように街を侵食してゆく――。

「早く全ての窓と戸を閉めろ!霧状のウイルスだ!」

 茉代ましろの叫びに、城にいる者たちは慌てて動き出した。

 茉代ましろは窓を閉めた後に、霧の動きをじっと見つめた。

(――これは、ただの自然現象じゃねぇ)

 茉代ましろの脳裏に、過去読んだ国家機密の記録が蘇る。

 かつて政府が開発した生物兵器――空気中に拡散する霧状のウイルス。

 何でも、そのウイルスが広がった地域では、空が柘榴ざくろの花弁のような鮮やかな紅に染まっていたらしい。

「これは……」

 帆瑞ほずいはこの異様な光景に、思わず息を呑む。

 いつの間にか合流したロカノは、茉代ましろにだけ聞こえる声で呟く。

「『厄災』ってこのことですか……」

 茉代ましろは静かに呟いた。

「ああ……疫病の襲来だ」

 ウイルスそのものであるこの霧は、今まさに王都を飲み込もうとしていた。

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