第15話 再編されし旗の下に

 銀蒼の砦の朝。バルバトスの死という巨きな喪失を乗り越えた砦には、これまでにない熱気が満ちていた。それは、悲しみを力に変えた者たちの、決意の胎動だった。兵士たちの足音、訓練の号令、鍛冶場から聞こえる槌の音は、もはやひとつの「国家」の胎動と呼べるほどの熱量だった。

 

 カルアは砦の高台に立ち、再編成された軍の動きを見下ろしていた。冷たい風が頬を撫でる。その瞳には、もはや過去の悲しみは映っていなかった。炎のように強く、遥かな未来だけを見据えていた。

 

 訓練場にラフロイグの鋭い声が響く。

 

「ラフロイグ隊、整列! 馬の足並みが乱れているぞ! 師匠が見ているぞ、もっと気を張れ!」

 

 かつては臆病だった若き守衛の面影はすでになく、バルバトスから受け継いだ威厳と厳格さが、その背に宿っていた。彼の部隊は全員に槍を持たせ、騎馬に慣れさせた二百の機動槍騎兵。疾風のような速さで大地を駆け抜ける彼らは、戦場の鍵を握る存在だった。

 

 一方、剣を持ち騎馬に跨るタリスカー隊もその力を発揮していた。タリスカー自身が兵の先頭に立ち、軍の経験者たちを束ねた二百の精鋭騎兵隊。その鍛え抜かれた動きに、ヴェイルウッドの兵たちも舌を巻いた。

 

「ピーテッド隊、間合いを詰めろ! この動きは夜襲の基本だぞ!」

 

 砦の裏手、密林に囲まれた一角では、ピーテッドが特殊部隊の訓練を指導していた。その声は、野鳥の囀りのように高く、しかし鋭く響く。元は密偵や潜入兵、工兵など多様な出自を持つ者たちが二百。彼らは正面の戦よりも、陰の戦場で真価を発揮する者たちだった。夜陰に乗じ、敵の喉笛を掻き切ることを生業とする狼の群れ。

 

 そして、グレンリヴェットから加わった五十名の魔術師は、ヒューガルデルの指導の下に戦術魔法の連携と集中を鍛え上げていた。

 

「魔術とは力の発露ではない。“意志”の連携だ。貴様ら、心を一つにせよ!」

 

 厳しくも、どこか誇らしげなヒューガルデルの声に、魔術師たちの眼差しが燃え上がる。その瞳は、知識への渇望と、新たな力への期待に満ちていた。

 

 ボウモアの弓隊は相変わらず静かだった。百の弓兵は言葉少なに矢を番え、百射百中の練度を保っていた。その冷静さと沈黙は、もはや砦の風景の一部になりつつある。

 

 さらに、新たに参加したグレンリヴェットの貴族ディサローノが率いる歩兵二百。若いが野心に燃え、忠誠心を持つ彼らの統率が兵たちに浸透しつつあった。地の利と地元民との繋がりを生かし、グレンリヴェット遠征の切り札ともなる存在だった。

 

 そして、中央にはカルア率いる三百騎の本隊。その中には、騎馬に乗るカリラの凛とした姿と、銀のヴェールを纏い静かに祈るルアナの姿があった。

 

 これが新たなヴェイルウッド軍。カルア・ヴェイルウッドが率いる、希望の軍勢だった。

 

 その日の午後、砦の塔にタリスカーの使者が駆け込んできた。

 

「報告! グレンリヴェットにて、宰相デュワーズが帝国軍との接触を図り、その庇護下に入ったとの情報が確認されました!」

 

 報を受けた瞬間、広間にいたタリスカーの拳が机を叩き割った。木片が飛び散り、鋭い音が響く。

 

「……この裏切り者が!」

 

 タリスカーは怒りに身を震わせる。

 

「忠誠心というものは、しばしば金貨や保身の前に脆く崩れ去るものらしい」

 

 ボウモアは、静かに言葉を継いだ。

 

「これで大義は揃ったな。我々が討つべき敵は、アガベ帝国だけではない。内部から腐ったグレンリヴェットもまた――」

 

「奴らに我らの旗を見せる時だ」

 

 ラフロイグが槍を掲げる。その瞳には、師を失った悲しみと、それを乗り越えた者だけが持つ、鋼の意思が宿っていた。

 

「ならば、進軍だ」

 

 カルアは短く、それだけを言った。その目に、もはや迷いはなかった。

 

 砦に集った兵たちはすでに遠征の準備に入っていた。ラフロイグ隊は機動戦を想定し軽装化。タリスカー隊は先鋒を担い、旗印を高く掲げて士気を鼓舞。ピーテッド隊は街道沿いの伏兵を潰す役割に。ヒューガルデル隊は魔力を蓄え、地脈を読む。ディサローノ隊は地元の案内役を兼ね、グレンリヴェットの街道沿いの地図を再確認。ボウモアの弓隊は進軍の警戒と狙撃を。そしてカルア本隊は、すべての中央を預かる軍の心臓部として布陣される。

 

「この遠征の目的は、二つある」

 

 カルアは全軍の前に立ち、彼らの目に宿る熱量に応えるように、声を張り上げた。その声には、もはや少年の迷いはなかった。

 

「一つは、アガベ帝国に膝を屈したデュワーズを討ち、グレンリヴェットを解放すること」

 

「もう一つは、俺たちが“国”として立ち上がることを、世界に知らしめることだ」

 

 静寂の中に、誰かが槍を突き上げた。続いて、無数の剣と槍が、空に突き上げられていく。

 

「ヴェイルウッドに栄光を!」

 

「銀蒼の旗の下に!」

 

「カルア殿下、万歳!」

 

 その声は、ただの歓声ではなかった。それは亡国の記憶を超え、新たな旗の下に生まれた“覚悟”の叫びだった。

 

 その夜、銀蒼の砦からふたたび、長い進軍が始まった。灰の中から立ち上がったヴェイルウッドの亡霊たちが、いま再び、世界の舞台にその姿を現そうとしていた。そして、その進軍を待ち構えるのは、アガベ帝国の巧妙な罠と、新たな強敵だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る