第2話・これからの目標



 それで、今に至るという事である。


 思い出せば思い出すほどあのクソ女神の笑顔が脳裏にちらついて怒りが灼熱のマグマのように沸き上がってくる。

 今度会ったら、絶対最低でもぶん殴ってやる。


 そう心に誓いながら、僕はとりあえず現状の確認を始めた。


 所持品はポケットに入っていたスマホはなくなっている。

 本当に制服しかないようだ、そんな状態でキーとかガオーとか聞こえてくる森の中を生きていけるのだろうか。



 だが、万策尽きたわけではない。

 女神はこんなことを言っていた『ふーん、それならぴったりのスキルを上げる』とつまり、セオリー通りなら


「……ステータスオープン」




【異世界転移】




 セオリー通りの呪文を呟くと、ゲームのUIのようなウィンドウが目の前に出現し、そこには一言『異世界転移』と書かれていた。


「これだけ?」


 こういうのって、転生させてチート能力を得て無双していくのが普通じゃないのだろうか。

 それで、なんやかんやハーレムが出来て幸せに暮らしました――と言う感じじゃないだろうか。


 しかも、スキル『異世界転移』は押しても何も発動せず表示も黒色ではなくまるで使用不可を示す灰色になっていた。

 その上、RPGのお約束とも言えるステータスには攻撃力や防御力、素早さなどの記載は一切なくスキルだけが表示されていたのだ。




「これでどうやって戦えばいいんだ……」


 もし、森から猪でも出てくれば僕はすぐに太ももにでも大穴を開けられて出血死で今度こそ成仏コースだろう。

 だとしても、日本での死は本当に気づかないうちでの死亡だったので苦痛ある死はしたくない。




「ぜぇったいに無理だ、うんもう一回死んでワンチャン異世界転移なんてやめよう。でも、ここどこなんだろう」


 右、左、下、上は青空。どこを見ても森しかない人工物の類は見えないし、動くにしても適当に行けば待っているのは死だろう。

 もし、ここが日本なら今頃救助ヘリが空を飛んでくるのを信じてここでじっとしていたり狼煙でも上げたいところだが生憎ここは日本ではない。


「……でも、どうしたらお母さん、お父さん。帰りたいよ」


 返事は返ってこない、誘拐された人たちの気分ってこんな感じなんだねと自己完結しながら打開策を模索しようとするも帰ってくるのは野獣たちの泣き声と僕の腹の音だけだった。


「お腹空いたなぁ……今頃帰ったら心配してるだろうな……明日誕生日だったんだよ。あのクソ女神が……帰りたい、家に帰りたいよ」


 色々考えて冷静になった僕は思わずその場にうずくまり動けなくなっていた。

 生まれて初めての孤独、もちろん今までの人生で修学旅行とかで両親と離れることもあった。一人でカラオケに行ったりすることもあった。


 けど、自分は今間違いなくこの世界で一人なのだ。

 両親もいない、友達もいない、信用できる人もいない、俺を知っている人もいない。

 


 そんな孤独に、日本に残してきた未練に心が押しつぶされそうになっていた。


「……」


 そのまま、ひっどい顔のまま僕は当てもなく森の中に入って行った。


 別に死にたいわけでもないが、もうどうすればいいか僕のちっぽけな頭では見当もつかなかった。

 要するにヤケクソになっていたのだ、周囲の音にも耳を貸さずただ茫然と前に進んでいた。




 グルルルル


「……あ、ひっひゃあああ!?」


 だから、全く気が付かなかった。

 

 気づかないうちに僕が腹をすかせた熊の視界に入っていたことに、熊の反応は威嚇のそれで突然の出来事に僕は腰が抜けてその場に崩れ落ちてしまった。


 森の中で一番会いたくなかった相手と言っていいだろう。

 熊と縁遠い都会に住んでいる僕ですら被害報告はニュースで聞いている。



 怪我人は出るわ、死人は出るわ、到底警察では対処できる相手ではなく猟友会が銃を持って命がけで戦う、そんな相手に僕は完全丸腰でその上頼みのスキルも使い物にならないと来た。


(どうすればいいんだっけ?死んだふり……はダメだから、熊よけの鈴があるって聞いたことが……ってそんな物持ってるわけないし)

「グワァグアア!!!!」

「あ、はは……は」



 熊の咆哮を前に何かが切れる音がした。


 こんな絶望的な状況で、頼れるものもいない孤独な状況、ヤケクソになっても何とか自分自身を繋ぎとめていた糸が切れ、その場に倒れて気絶した。



 実質的に死んだふり状態になった阿歩炉を無抵抗=安全な獲物と認識した熊は接近し、久しぶりの食料を前に鼻息を荒くする。

 そして、完全に死んでいるか確認するため阿歩炉の二の腕にかみつこうとしたその時だった。


「グルゥ」


 熊の頬を風が撫でると同時に新しい脅威が現れたとその方向に警戒を向ける。


「まさか、こんなところにまでヒグマが来とるとはの……悪いが人を食わせるわけにはいかないのじゃ」


 白いひげが軽く整えられた初老の老人は刺すような鋭い視線を熊に向け、手に持った猟銃を構える。

 その立ち姿はとてつもない大きさをしたヒグマに比べれば一見頼りなさそうに見えるが、老人はとても冷静に引き金を引いた。



 パァンッ



「グルゥグオォ!!」


 確かに、老人の一撃はヒグマの弱点である目と目の間からやや上、鼻筋より少し上あたりを打ち抜き、即死させる。

 そこそこの近距離とはいえ一発外せば後がない状況で冷静に撃ちぬいたのはまさに達人の妙技と言えよう。


 しかし、一つ盲点だったのが熊のすぐ近くには気絶している阿歩炉が倒れていたという事とその倒れている場所と熊が倒れる方向が同じだったということだ。


「ふぅむ、世話の焼ける子供じゃの……【風の魔法】」


 【風の魔法】そう老人が唱えると阿歩炉とヒグマの間に風の層が生まれ倒れる前に老人が倒れる前に阿歩炉を回収した。


「こりゃ、見事に気絶しとるの……それにしても、高校生か?こんな森まで入ってくるとは訳ありかもしれんの」



 その後、老人は再び【風の魔法】を唱えヒグマを浮かせ、近くの川まで運びそこで血抜きをし、自身が住んでいる小屋まで阿歩炉ともども運んで行った。




 ***




「おかえりなさい、阿歩炉。今日のご飯はカレーよ」

「ただいま~カレーね、そうだ!福神漬けはある?」

「もちろん、阿歩炉はカレーを食べるとき必ず一緒に食べるものね」

「やったー!!」


 昨日の出来事のはずなのに記憶がもう随分昔のことのように感じる。

 そう、異世界転移なんて全部嘘で、目が覚めればきっとうっかり昼寝のしすぎてお母さんに起こされる――なんて景色が広がっているはずだから――


「そうそう、今日のカレーは特別なお肉を使ってるのよ」

「特別なお肉?」


 お母さんは特に隠し味とか好まずレシピ通りに作るタイプだった気がするのだが、こんな奇をてらったことをするのだろうか。

 違和感に思って聞き返すと、お母さんは厨房から鶏肉とも牛肉とも豚肉とも思えない肉を持ってきてこう言った。



「そう、これは阿歩炉を食べた熊の……」

「え?」


 次の瞬間、お母さんの口が裂け悪魔のような姿に変わる。



「熊肉よ」




 ***




「ぎゃああああああ!!!???」

「うぉ、ほほほ儂の心臓が止まりかけたぞ」


 過去の記憶と現実が混ざり合ったような夢を見た僕は寝ていたベッドからまな板の鯉のように勢いよく飛び跳ねた。

 それと同時に、知らない笑い声が響き振り向くとそこには白いひげと白髪のおじいさんがコップ片手に立っていた。


「あ、すみません。えっと……え?」

「ほっほっほっ、落ち着け若者よ。その程度で気絶していてはやっていけんぞ」

「気絶……そうだ、僕は熊に……」


 少し冷静になって来た僕は気絶する前のことを思い出していた。

 異世界に来て適当にヤケクソで歩いていたら目の前に熊が出て来て、頭が真っ白になって―――


「少しは思い出したようじゃの」

「は、はい。もしかして…おじいさんが僕を助けてくれたんですか?」


 最後の記憶は熊の前で視界がぐらついたのが最後だった。

 気絶している間に未知のスキルが覚醒したとかいうご都合主義的展開でもなければ助けてもらったと考えるのが妥当だ。


「そうじゃ、まさかこんなところにお主のような子供が気絶しているとは思わんかったぞ、それでこの森に何用じゃ?家出なら送ってやるぞ」

「ありがとうございます。で、でも僕は家出じゃなくて……その……実は…」



 危険じゃないかと少し迷ったが僕は全てを話すことにした。

 相手が悪い人じゃなさそうだと何となく思ったからと言うのもあるが、あのクソッたれ女神のことや今、自分が置かれている状態を誰かにでも話さないとやってやれない状態だった。


 自分を初対面の相手にさらけ出すなんて機会は一度もなかったので何回も唇が震え、涙を流したが。

 おじいさんは何も言わず僕がすべてを話し終わるまで聞いてくれていた。



「……そうか、とりあえず飯を食うかホラちょうどいい肉が手に入ってな。そいつが入ったカレーだ」

「ッ、ぐすっ…はい、ありがとうございます。その…」

「どうした?もしかして、なんかアレルギーでもあるのかい?」

「福神漬けありますか?」

「あるぞ、ほら持ってきてやるから座っとりなさい」


 ちょうどいい肉と呼ばれていた肉は何だか鶏肉とも牛肉とも豚肉ともまた違う触感に何だか見覚えがあったが聞くのが怖かったためとりあえず食べた。

 カレーは辛口で福神漬けとよく合ってここでも安心感で再び泣き出してしまった。


「本当によく泣く小僧じゃの、そうだ名前はなんて言うんじゃ?」

「影山、阿歩炉って言います」

「影山阿歩炉か、珍しい名前じゃな。アレか最近問題になってるキラキラネームってやつかの?」

「そうなんですかね?友達も誰も何も言わなかったので特に思わなかったですけど……」


 と言うか、異世界にもキラキラネームと言う文化が存在したことに驚いた。


「まあよい、お主が気にしていないならこれ以上聞くのも野暮と言うやつじゃしな。それで、儂も名乗ろう……儂の名はアインツ、ここで魔獣を駆っている猟師じゃ」

「魔獣!?と言うことは、僕がさっき会ったのは……」

「いや、あれはただの熊じゃ。ヒグマじゃな、魔獣クラスに厄介と言ってもいい熊じゃがな」


 ヒグマ、ニュースなどで見たことがあるが相当に狂暴に奴だと聞く。

 気絶はしたものの確かに威圧感はあのクソッたれ女神ほどではなかったが確かに死を連想させるほどの物だった。


 そもそも、異世界なのにヒグマがいることが驚きなのだが。


「ふむ、それでどうするんじゃ阿歩炉よ」

「どうするって?」

「今後のことじゃ、お前はどうしたい?お前が言う女神に復讐がしたいか?それとも、この世界に定住するのか?と言う話じゃ、安心しろ儂は無神論者じゃから女神に復讐すると言われても何も言わんよ」

「そ、そうですよね。この世界に……」


 僕は日本で死んだ。

 と言っても、死んだときの感覚もなかったわけだが、戻ったところで居場所は果たしてあるのだろうか。


 そんなことをするくらいだったらアインツさんが言った通り、女神への復讐の手がかりを探すか、この世界で定住するか



「ふーむ、これは長引きそうじゃの……今日は眠りなさい。それで明日改めて答えを聞くぞ」

「はい、それでお願いします」

「……年長者からのアドバイスじゃ、大切なのは自分が何をしたいかじゃぞ」

「はい……」



 答えが煮え切らない様子の僕を見て、アインツさんは気遣ってくれたのか答えを待ってくれた。

 正直、心に余裕がなかった僕はその言葉に甘え気絶していた時にも入っていたベッドに再び入った。




(僕は何をしたいんだろう)



 アイツが僕を殺さなかったら今頃、学校に行って授業を受けて部活をやってその帰りに少しだけ文化祭の準備に顔を出して、家に帰ってご飯を食べて寝て―――その次の日は僕の誕生日だった。


「…なんだ、わかってるじゃん」


 最初からうだうだ、うだうだ言い続けていた自分自身の本心。

 偽りもなく、プライドも何も関係ない僕自身から現れたたった一つの願い。








 夜が更け、朝が来る――答えを出した僕は朝食の準備をしていたアインツさんを呼んだ。

 彼は最初からそうなるとわかっていたようですんなりOKをしてくれて昨日、カレーライスを食べた食卓まで足を運んでくれた。



「それで、阿歩炉よ。もう決めたのじゃな」

「はい、僕はこことは別の異世界で死んで何もわからないままこの世界で蘇りました。そこで、初めて味わったのは孤独で、悲しくて寂しくて辛かったです」


 家族、友人、学校の先生、部活の顧問――多くはないけど、僕には確かにつながりがあった。

 それがこの異世界への転移で何もかもを失った、それによって訪れた今までにないほどの孤独感、とにかくあの居場所が恋しかった。



「これが、どれだけ大変なことで、難しい事なんだということも理解しています。それでも、僕は帰りたいんです!!」

「そうか、わかった。なら、朝食を食べたら軽くここの世界のことを説明してやる、それに自衛のために魔法も教えてやるのじゃ」


 そう言うと、キッチンから朝ごはんを持ってきて並べ始めた。


「え、ちょっ、えっと!?か、軽すぎません!?僕、結構無茶なことを言ったと思うんですけど」

「そうじゃな、お前は今神の御業を再現しようというのだ、大半の人間は鼻で笑うじゃろうよ」

「あ、はい……だけど、何にも手がかりがないわけじゃなくて……」

「わかっとる、だがな魔法でも科学でも人間が想像できることで実現が不可能なものはないのじゃ」

「‥‥はい!!ありがとうございます」


 案の定僕はまた滝のように涙を流しアインツさんに笑われることとなった。

 新しい新天地でも、人との繋がりは暖かい冷えた心がゆっくりと溶かされていくのを感じた。



 こうして、僕の家に帰るための異世界生活は始まったのだった。







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