第4話 街へ出て市場調査。見えてきた「機会」と「脅威」。

 翌朝、俺は生まれて初めて、着慣れないあさの服に袖を通した。大学生の神崎優樹ではなく、一介の市民ユウキとして街に溶け込むための変装だ。


「ユウキ様、本当にお一人で…?せめて、護衛を」


 リリアーナ姫が心配そうに眉を寄せる。その隣では、護衛騎士ごえいきしのエレンが「姫様のおっしゃる通りです」とばかりに、無言で俺にプレッシャーをかけてくる。


「大丈夫だって。俺みたいなのが一人でいたって、誰も気にしないよ。それに、護衛なんて連れてたら、街の人の本音は聞けないだろ?」


 俺がそう言うと、姫はまだ不安そうな顔をしながらも、しぶしぶ頷いてくれた。バルド宰相は、何も言わずに俺の好きにさせろ、という態度だ。試しているのだろう。


 城の裏門からこっそりと抜け出し、俺は初めてアステル王国の王都に足を踏み入れた。


 まず感じたのは、街全体を覆う、どんよりとした停滞の空気だった。

 石畳の道はところどころが陥没かんぼつし、建物の壁は剥がれ落ちたままだ。道行く人々の服装は薄汚れ、その表情は一様に暗い。すれ違う誰もが、希望なんて言葉はとうの昔に忘れてしまったかのような目をしていた。


(これが、国の中心…。財務諸表ざいむしょひょうに書かれていた数字の、本当の意味だ)


 俺はまず、王都で一番大きいとされる中央市場へ向かった。

 市場、という名前から想像するような活気は、そこにはなかった。店先の陳列棚ちんれつだなは隙間だらけで、並んでいるのは痩せた野菜や、見るからに質の悪い干し肉ばかり。値段も、庶民が気軽に買えるような額ではないのだろう。客の姿はまばらで、店主たちの覇気はきのない呼び込みの声が虚しく響いていた。


 俺は一人の客を装い、いくつかの店を冷やかして回った。


「お兄さん、何か探してるのかい?」


 声をかけてきたのは、パン屋の主人らしき男だった。年の頃は四十代だろうか。疲労の色が濃い顔で、無理に笑顔を作っている。


「いや、ちょっと見てるだけ。それにしても、品数が少ないんだな」


「へっ、笑わせるぜ。小麦の値段が高すぎて、パンを焼くだけ赤字なんだ。それでも、こうして店を開けてなきゃ、食いっぱぐれちまうからな」


 男はそう言って、ため息をついた。


「税金は待っちゃくれねえし、ギルドに払う上納金じょうのうきんも馬鹿にならねえ。おまけに最近じゃ、妙なチンピラどもが『用心棒代』だなんて言って、売上をかすめ取っていく始末だ」


「チンピラ…?」


「ああ。オルコット子爵様の紋章もんしょうを笠に着た連中さ。役人も騎士団も見て見ぬふりだ。俺たちみてえな貧乏人から、骨の髄までしゃぶり尽くす気らしい」


 財務大臣オルコット子爵。昨日会った、あの無気力な男の顔が脳裏に浮かんだ。腐敗は、俺が想像していたよりもずっと根深く、広く蔓延しているらしい。これが、この国の『脅威』の正体か。


 パン屋の主人に礼を言って市場を離れた俺は、あてもなく裏路地を歩いた。

 すると、ふと、甘酸っぱい香りが鼻をかすめた。香りの元をたどると、そこには、打ち捨てられた小さな果樹園があった。手入れもされず放置されているが、何本かの木には、鮮やかな赤い果実がたわわに実っている。


 俺は、そのうちの一つの枝を折り、果実を一つ口に含んでみた。


「…うまい」


 強い酸味と、それを追いかけてくるような濃厚な甘み。日本では食べたことのない味だ。こんなに美味しい果物が、誰にも見向きもされずに朽ちていこうとしている。


(なんで、誰もこれを売らないんだ?)


 パン屋の主人の話を思い出す。小麦がないなら、別のものを使えばいい。この果物をジャムにしてパンに塗ったり、乾燥させて保存食にしたり、やり方はいくらでもあるはずだ。


 これが、この国の『機会』かもしれない。

 誰も気づいていない、あるいは、気づいていても生かす方法を知らない、眠っている資産。


 俺は懐から、昨日もらった羊皮紙の決算書を取り出した。その余白に、今日見て、聞いて、感じたことを書き込んでいく。


【脅威】


 腐敗した貴族と役人による搾取構造さくしゅこうぞう(財務大臣の関与?)


 機能不全の騎士団(治安の悪化)


 原材料(小麦)の高騰こうとうと供給不足


【機会】


 未利用の資源(例:名もなき赤い果実)


 新しい商品開発の可能性


 城に戻る頃には、日はとっぷりと暮れていた。体は疲れているはずなのに、頭は妙に冴えている。


 絶望的な状況は変わらない。だが、財務諸表を眺めているだけでは見えなかった、具体的な問題点と、そして、ほんのわずかな希望の光を見つけた気がした。


「さて、と…」


 俺はペンを握り直し、羊皮紙の一番上に、大きくこう書き記した。


『アステル王国 SWOT分析』

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