第26話 答え合わせ


 ピカッと稲光が炸裂する。大雨のなか帰宅した湯村は、最初にシャワーを浴びた。教習所の宿舎に泊まっている水島から、すごい雨だなというメールを受信する。携帯電話を充電器につないでベッドに腰かける湯村は、知らない土地を歩きまわって疲れた足をのばした。


「……う~、足の裏が痛い。ふくらはぎもパンパンだ」


 ふだんから自転車やバス、電車などでの移動が多い湯村は、こんなに長い距離を歩いたのはひさしぶりだった。鷹尾との遠出を愉しいと思えるほど感情に余裕はなく、暑さのせいで、のんびり散策する気分でもなかった。もとより鷹尾は、「買いものにつきあえ」という当初の予定を変更している。いったいなにがほしかったのか、知らない町を歩きまわるより、鷹尾とのショッピングのほうが気になった。


 夜遅く、鷹尾から着信があった。電話をかけてくるほどの急用なのかと思い、すぐさま応答すると、受話器の向こうで笑い声が洩れた。三枚目の図面を渡すから、大学へこいと云う。「どうせ、ほかにやることもないだろ」と捨てぜりふを吐き、一方的に通話は終了する。たしかに、課題や自由研究といった提出物はないため、時間なら充分にあった。云われたとおり、指定された日時に大学へ行くことにした湯村は、歯を磨いて眠りについた。



「湯村は受け身ネコだとか、女子どもが云ってたぜ」「気づけなくて悪かったな」と、水島は云った。


「男が好きだって云えよ」「なぜ、かくす? おまえの気持ちを十秒以内にこたえろ」と、鷹尾が迫る。



 水島と鷹尾は、湯村の体質を悠然として語り、その後も態度を変えることなく、関係は深まってゆく。ほうっておかれたほうが楽だった過去と異なり、湯村の性的傾向を否定せず交流をつづける彼らは、いちばんの理解者であり、もはや、友人と呼べる存在だ。互いに信頼しているからこそ、本能のおもむくまま、向きあうことができる。すなおに吐きだした感情が一方通行だった場合、これまでの関係性に亀裂がはいり、やがて粉々に散ってしまう。もっとも、筋のとおる理屈をならべても、聞き入れてもらえない事例もあるため、他人の性格や行動を常識的に理解するのはむずかしい。何事も妥協点を見つけることが重要で、未知の領域へ踏みこむさいは、それなりの覚悟が必要だ。


 鷹尾の「泣かせる」という脅しに、反論や抗議といった手段では負けてしまう湯村は、設計図の解明にまじめに取り組んだ。専門外の分野に興味はなかったが、調べてゆくうちに、図面の読みかたもおぼえた。



 ──夏休みも後半となり、あいかわらず蒸し暑い日がつづいた。にわかに調子をくずした湯村は、だるからだを起こしてベッドから抜けだすと、ポータブルテレビの電源をONにした。


 ザザザッ、……雑音

 ザーッ、電気信号の乱れ

 

 若い男性アナウンサーの声。おはようございます。みなさん、きょうの〔ことわざコーナー〕の時間です。本日ご紹介するのは、こちらです!


 蜉蝣ふゆう一期いちご


 さあ、どうですか? テレビのまえのみなさん、ちょっと切ない気持ちになってしまった方、いらっしゃいますかね~。蜉蝣はかげろうのことで、一期とは一生という意味なんですよ。かげろうは朝生まれて夕方には死んでしまうほどの寿命しかない、つまり、ひとの一生も短くはかないもので………、


 ザザザッ、ノイズ……

 カチッ、電源をきる音


 きょうは大学へ行く日である。鷹尾から図面を受けとる必要があるため、パジャマを脱いで着がえると、軽い朝食をすませてバス停に向かった。



「おはよう、クロスケ。毎日暑いな」



 待合室のベンチで丸くなる黒猫は、ニャアと鳴いて、しっぽをゆらめかせ、キャットフードをねだる。「のら猫にむやみにご飯をやらないこと」「迷い猫を見かけたら追いはらうように」そんなふうに云うおとなたちは、動物の都合より、人間側の主張こそが正しいと信じてうたがわない。幼いころ、のら猫を連れて帰り、母に「捨ててきなさい!」と叱られた記憶は、時が過ぎても消えずに残されている。

 

 

 次は◯◯大学総合体育館まえ~

 次は◯◯大学総合体育館まえ~


 プシューッ、ガタンッ

 ピロリンッ、ブロローッ



 約束どおり、大学へ到着した湯村は、木立ちのかげに人影を発見し、「おはようございます」と声をかけた。図面ケースを肩がけにしてたたずむ鷹尾は、「早いな」といって、笑みを浮かべた。


「ぼくはバスの時間があるから……。鷹尾さんこそ、まだ約束の二十分まえですよ。いつから、待っていたんですか」


「べつに、おまえを待っていたわけじゃない」 


 真顔で云われても困る。湯村はムッとして、「呼びだしたのは、そっちでしょう」と、つい語尾を強めた。なにを云われても知らん顔をきめこむ鷹尾は、図面ケースから古びた青焼き(裏面は白い)を取りだした。


「これで最後だ。おまえにやる」


「紙が、まえのものとちがいますね。折り目の跡が劣化して、今にも破けそう……」


「現在は白焼き(白黒コピー)が一般的だからな。そいつは貴重品だぜ。家宝にしろ」


「家宝って云われても、そんな価値が高そうなもの、ウチではあずかれませんよ。もし破けてしまったら、ぼくには弁償できませんし……」


 途惑いながら図面に視線を落とす湯村は、青焼きに書きこまれた文字を見つけ、「あっ」と短く叫んだ。筆記体のように流れる細い文字で、左下の余白に「クリニック」と記されている。



「やっぱり、そうだ。まえの二枚も含めて、これらの図面は、小さな病院の設計図ではありませんか?」



 青焼きをながめる湯村は、一瞬見せた鷹尾の憂い顔に気づくことなく、家をでるまで重たく感じた手足の調子は、なぜか軽くなっていた。



✦つづく

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