第9話 片思い


 図書館で逢えた。まず、湯村はそう思った。二度目のキス以降、早朝の木立ちのかげに、鷹尾はあらわれなかったのだ。数日ぶりに見た顔は、少し疲れているように感じた。はじめのうちこそ、もてあそばれたのだと不愉快になったが、湯村は、鷹尾の思うさまにあしらわれたことで、暗示されたものを考えるようになった。暇つぶしで男にキスをする人物など、ほんとうに存在するのかうたがわしい。湯村は、思いきってたずねた。



「鷹尾さんは、同性が好きなんですか?」


「自意識過剰じゃないのか。あいにく、湯村にフってもらわなくても不足はない」


「……不足って、なんの」


「たしかめてみるか?」


 鷹尾は薄手のコートの内ポケットから、携帯電話を取りだして云う。電話帳の画面を見せられた湯村は、ぎょっとした。スクロールするごとに、かわるがわる女の名前が表示されてゆく。


「求めがあるのに、肉体からだがひとつなのが残念だ」


「……信じられない。ほんとうに女たらしだったんですね」


「悪いか?」


 あっさり聞き返すため、湯村は絶句した。これで、鷹尾の素性すじょうが遊び人だと、はっきりした。かなわぬ恋から身を退くのは、湯村のほうである。


「湯村」


「近づかないでください」


「軽蔑したか?」


「そういうわけでは……」


 本棚と本棚のあいだはせまい。なにを云っても口争いにしかならない状況を察した湯村は、鷹尾にジーンズのまえを指でさぐられ、ビクッと腰が慄えた。


「どこを……さわって……」


「世話が焼けるな。おまえも、早くすなおになれよ。おれがほしいと云え」


「こ、こんなところで告白なんて、ひとに知られたら、たちなおれない……」


「湯村を泣かせることくらい、なんでもないぜ」


 かくされた欲望をあばこうとする鷹尾の手をふりはらい、本棚のあいだから抜けだした。泣き顔を見られるのは恥ずかしい。図書館をあとにすると、バス停に向かった。次の便を待つ湯村は、思ったことを遠慮もなしに云う不躾な男を、まぎれもなく慕っていた。涙をぬぐっているうちに、バスが到着した。


 鷹尾に、これ以上の迷惑はかけたくない。窓ぎわの座席に腰かけた湯村は、よけいな感情をどうにか整理して、しかたがないとあきらめた。



「こんなの、いつまでつづくんだ」



 全部じぶんが悪い。後悔するとわかっていても、必要以上に相手のことが気になってしまう。湯村は、意気地なしで口下手だ。幼いときは性格を呪って泣くだけですんだが、成長した躰は正直で、欲望の在処を主張してくる。──鷹尾にふれられて、よろこびを感じるほどに。



「ぼくは……ばかだ……」



 こんなときにフルーツ牛乳がのみなくなった湯村は、ため息を吐いた。大学構内の渡り廊下のさきにある自動販売機は、昔ながらのパッケージの紙パック飲料をあつかっている。変わらない味に憩いを求める心境は複雑だった。



 話しかけてきても、聞き流す。まっとうな男である鷹尾と、親しくなるつもりはない。



 朝、ベッドのうえで目ざめた湯村は、ポータブルテレビのスイッチをいれた。地域のニュースと〔ことわざコーナー〕が流れてくる。一階の台所で焼いたパンとオレンジジュースを部屋まで運び、パジャマのまま食べてから、ぼうっとした頭のまま着がえた。トートバッグに教科書とノート、筆記用具と携帯電話などを詰めこんで家をでる。自転車に乗ってバス停へ向かうと、待合室の外にクロスケがいた。



「なんだ、おまえ。めずらしいな」



 いつもはベンチのうえで丸くなっている迷い猫だが、まるで湯村を待っていたかのように、待合室の扉のまえに行儀よく前脚をそろえてすわっていた。駐輪場に停めた自転車に鍵をかけ、トートバッグのなかからキャットフードを取りだすと、ニャアと、ひと声鳴いた。


「よしよし、今あげるよ」


 低カロリーで小粒のキャットフードを少量あたえると、ためしに頭をなでてみた。ふわふわして、やわらかい感触だ。はじめてクロスケの一部にふれた湯村は、ほんの少し感動をおぼえた。これまで、さわろうとして手をかざすと威嚇されたので、動物の信用をえた気になって調子づくと、シャーッと、牙を剝かれた。


 気心をかよわせたと思ったのは、湯村だけの一方的な解釈なのだろうか。おなかがいっぱいになったらしいクロスケは、ベンチに飛び乗って丸くなった。そのフォルムは、もこもこした球体が置いてあるようにしか見えない。帰る家をもたないクロスケは、いつも一匹で寂しくないのか。湯村は、クロスケの飼い主になれない家庭環境を恨めしく思った。



 次は◯◯大学総合体育館まえ~

 次は◯◯大学総合体育館まえ~


 プシューッ、ガタンッ

 ピロリンッ、ブロローッ



 バスの定期カードをかばんにしまい、正面玄関へ向かう途中、木立ちのかげに鷹尾がたたずんでいた。あいかわらず、筒型ホルダーの図面ケースを肩がけにしている。もしやカムフラージュではないかとうたがって眉をひそめたが、水島いわく「建築科の鷹尾」は「三年前のセンター試験の受験生のなかで、史上最高点をたたきだした男」……らしい。


 湯村は駆けだしたくなったが、「おはよう」という挨拶を無視して、ニ、三歩ほど進んでから立ちどまった。


「……ぼくに、なにか用ですか」


「用がなけりゃ、話しかけちゃだめなのか」


「当然です。ぼくとあなたは、ただの顔見知りであって、他人と変わらない関係です」


「キスした仲で他人かよ。昼間から下半身をまさぐりあう連中は、ただのセフレってか」


「そんな下品な話、ききたくありません」


 湯村は顔をしかめて云った。ファーストキスを捧げた男との会話は、やけにむなしい。鷹尾は、頭の切れる俊才で女たらしで、受け身の湯村を途惑わせるクセ者だ。



✦つづく

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