Episode.08:ふざけ合い

「ね、ねぇ。本当に戦うの?」


 呑気にパンを口に放り込んでいるネアスへ、シャルはおどおどと声を掛けた。

 今はちょうどお昼時。ネアス達三人は、寮の一階に繋がっている食堂へ訪れていた。


 レオとの話が終わってから、ルークとシャルの二人は黙り続けていた。

 見てみるとシャルもルークもお皿の上にある食べ物がほとんど減っていない。が、唐突にシャルは重い口を開いた。

 その問いかけへの答えならば、とうにネアスの中で決まっている。


「ん、もちろん」


 ネアスの考えは変わらない。

 本音を言えば、ネアスは戦いたいわけではない。当たり前だ。

 ルークに頼り過ぎたくもなかったし、それを除いてもこれが一番丸く収まる。そうネアスが判断したから戦うのだ。


「なあ、ネアス。なんか策があるんだよな?」


「ん?」


「まさか……。ネアス、オマエ……。作戦かなんか立ててないのか……?」


 策など存在するはずがない。ネアスが戦うと決めたのは、あの場での勢いも大きい。

 とっさの思い付きなのに、凄い策がある方がおかしいだろう。


 ネアスよりも頭の良いシャルなら兎も角、ここ数年までまともな勉学に触れていなかったネアスが、そこまで頭が回るはずがないのだ。


 ネアスも頭が悪い方ではない。それどころかマイナスの状態から、ツォルンヴール学園の入学試験を突破した結果から見て、地頭という観点においては学園に通っていない同年代より、断然良い方だと捉えることもできる。


 だがネアスには、その実感がほとんどない。

 ネアスが考えられることくらい、ほぼ全ての人が考えられると本心から思っている。

 それは彼が生まれ育った環境が育んできた、歪な認識だ。


「ネアスは頭、全然よくない。作戦があるはずがない」


「それは過小評価だろ。少なくてもオレよりはいいじゃねぇか」


「それはルークが本を読まないから。読めばいいのに。なんで読まないの?」


「不思議そうに言うなよ。苦手なんだよ字を読み続けるのは。頭が痛くなっちまう」


 ルークは一部を除いて、本を読むことを嫌っている。なんでもぎっしり詰まった字を見るのが嫌なのだとか。

 字を読めるのなら本は読める。読んだら絶対楽しいのに、ルークは毛嫌いしている。


「ん、まあそういうことだから。ネアスに大した考えはないけど、多分大丈夫。心配しすぎなくていい」


 堂々と宣言したネアスであったが、唖然としている二人の表情は一向に晴れなかった。


     ◇


 ネアスは大丈夫だ。心配するなと胸を張っているが、ルークの憂いは晴れなかった。

 いくらなんでも、楽観視し過ぎではないだろうか。レオがどんな人物か、ルークにはまだ詳しくわからない。

 だからこそ危険だと、ルークは思うのだ。


「あのな。さすがに緊張感を持てよ。戦うんだぞ? これから。アイツの体を見るに、きっと戦い方を身に付けているはずだ。試合という形式では、絶対アイツの方に軍配が上がる……」


 緊張で上手く体を動かせなくなるよりは、断然緊張していない方が良い。いつもの実力を発揮できない。というアクシデントが消えるからだ。

 恐怖で腕が震えることも、足が竦むこともない。


 ――しかし、緊張がプラスに働くことも一応ある。


 プラスに働くケースはあまり多くないが、たとえば力量がほぼ一緒の一切緊張しない人間と、緊張ばかりしている人間が戦っているとしよう。

 もちろん初めは緊張していない方の人間に軍配が上がる。理由は至って単純で、いつもの実力が出せる者と出せない者、どちらが強いかは明らかだ。

 戦いの結果もそのまま緊張していないものが勝つであろう。


 しかし、もし戦いが殺し合いにまで発展したら結果はわからない。

 あまりにも優位な状況が続けば、人間は慢心をする。そして、殺し合いにおいては、そういった慢心が命取り。人間、とどめを刺すときが一番油断する。

 本来勝てる相手でも、足元をすくわれるおそれがある。


 もちろん今回の場合は殺し合いなどではない。

 ネアスの調子に何故か危機感を覚えてつらつら考えていたが、これはルークの心配しすぎなのかもしれない。

 先までの考えは半ばこじつけ感も否めない。だってそうだろう、緊張していたお陰で功を奏した場面などぱっと想像はできないのだから。

 だが、ルークはなんとなく嫌な予感がするのだ。


「ん、大丈夫。無理はしない。死んだら元も子もない」


「そこまでは言ってねぇよ!?」


 一気に話が飛躍して、思わず大きな声で否定した。あまりにも物騒すぎる。

 ただの学園での喧嘩で命を賭けての対決など、恐ろしいし、学園の許可が降りているはずがない。


 一度でもそんな事例があれば、少なくとも生徒だけで訓練場を使用することはできなくなるだろう。


「あはは。ここまで普段と変わらない態度なのは、なんかネアスっぽいね」


 今の今まで会話に入ってこず静観していたシャルが、突然声を上げて笑い出した。

 シャルの言う通り、ネアスは普段と全く変わらない。

 ルークにもシャルの気持ちがわからなくない。少々おかしくなってしまうのだ、さっき起こったことを経ても、ネアスの調子が一切変わらないことに。


 もちろん。変わった方が良いと思っているわけではない。ただ、滑稽に思えてしまうのだ。

 勝手に怒りのままに乱入して、事態を収めるどころか悪化させた自分たち。そして、その事実で戦うこととなってしまったネアスが、全く気にした様子を見せず、自分達だけが平常心でいられていない現状。


「ん、大丈夫、心配しなくても。ネアスは死なない」


「だからそこまで物騒にするなよ……」


 相変わらずぶっ飛んでいて、物騒であるが、ネアスとしては気にしていない意思表示……なのかもしれない。

 それでルークとシャルが気にしなくなるというのは無理だが、少しばかり気持ちが楽になったのは感じた。


「ま。今回は関係ねぇけど。生死の判断においては、オマエは同年代でも頭一つ抜けているだろーな」


「ふふん。当たり前」


 誇らしげに胸を張り、「むふー」と声を漏らしているネアスをルークは横目で見て、隣に座るシャルへと視線を向ける。

 相変わらず不安そうな表情を浮かべて入るが、口元が確かに綻んでいた。


「よし! ならいっぱい食べて、うんと力をつけなきゃな!」


「愚問。言われなくても、ネアスはいっぱい食べる」


「も、もう! 落ち着いて食べなよ、二人とも。喉に詰まらせるよ?」


 食べ続けなくては死んでしまうのではないかと錯覚するほどに、二人は食べ物を次から次へと胃袋に納めていく。

 果たして体は大丈夫なのだろうか。と、見ているシャルは不安そうな表情を浮かべていた。

 暴飲暴食を続けるルークとネアスを余所に、シャルの腕をなにかがつつく。


「あれ? セネス居たんだね」


「ひどー! え? 酷くなーい!? 私、ちょっと前から居たよー? 昨日、明日は一緒にお昼を食べようって言ったのはシャルっちじゃん!」


 驚きの感情を体全身を使って表現しているセネスが、「抗議だ抗議!」と大きな声を上げながらシャルの隣で揺れていた。


「ごめんごめんセネス。たちの悪い冗談ってやつ」


「自分で言ったー! 自分でたちが悪いって言ったー」


「へへへ。せっかく起こしてあげたのに、堂々とお昼一つ前の授業になってからやってきた悪い子にはちょうどいいでしょ?」


「ぎくぅっ!?」


 セネスは昨日の夜遅くまで、小さなカラクリみたいなものをいじっていた。

 きっとそのせいなのだろう。今朝のセネスは全く起きる様子がなく、苦戦しながらもやっとのことでシャルが起こしたのだが、無事に二度寝を決めていた。


 本格的に学園生活がスタートした初日に寝坊してくるセネスは、朝一の授業で居眠りをしていたネアスと同様に大物である。


「悪かったよー。悪かったてー」


「ん、じゃあ許す。特別に」


「お。今のネアスの真似か? 凄く似てたぞ」


「正解! 何点? 何点くらいだった?」


「八十くらい」


 中々の高得点に、シャルは小さくガッツポーズ。

 ルーク的には言葉にあまり感情が浮き出てないところと、間の取り方がそっくりであった。


「なるほど、なるほど。逆にどこで私は点数を落としたの?」


「あ? あぁ、えーと。わからねぇや。直感で点数を決めたからな」


「おっと。思ったよりテキトーだったようだね」


「まずーい。なんか話についていけてないけど、許してもらえたと思っていいのー? シャルっち」


「へへへ」


「どっちー!?」


「ネアスから無理して変えようとしなくていいって言われたからって、寮に戻ったあとに数時間マシンガントークを聞くことになるとは思わなかったなー」


「あ、あー……。どうしよっ、なにも言い返せないやー」


 軽くシャルに遊ばれているセネスは、「あわわわわ」と呟きながらシャルとルークの顔をそれぞれ見るが、途中で助けを求めるように会話に混ざっていなかったネアスへ視線を向けた。

 しかし、ネアスにとって食事が第一優先であることには変わらない。セネスがいくら視線を向け続けたところで、気にした様子もなくパンを口に運んだ。


「まぁ、今日は早く寝るようにしようね。私も声かけくらいはしてあげるからさ」


「うぅ、わかったよー。ありがとうねシャルっち」


「いいよ。ルームメイトなんだからさ。まぁ、長話で夜眠れなくされちゃうのは少し嫌だけどね……」


 シャルの言葉に少し気まずさを覚えたセネスは目を逸らす。

 ルークはそんな二人の様子を眺め、


「今更だけど、二人とも一日も経ってねぇのに、凄く仲良くなってるよな」


 ふと疑問に思ったことを口にした。

 昨日の二人の様子から半日程度で、ここまで仲良くなっているとルークは予想すらしていなかった。


「そうだね。マシンガントークで私が寝るの遅くなったーとか言ったけど、実際は凄く楽しかったしね」


「だよね、だよねー。『エンレオナ』について語り尽くす。まさしく仲良くなる秘訣だよねー」


「本当にね」


「――それはシャルたちが特殊なだけだと思うが……。仲良くなったならなによりだ」


 別に『エンレオナ』に限定さえしなければ、共通して好きなものを語り合うことは仲良くなるための近道である。それが彼女たちにとっては『エンレオナ』だったというだけ。

 シャルが無事にルームメイトと仲良くできそうで、ルークは一安心。

 昨日の様子から少し、ほんの少しだけ不安があったルークだが、どうやら彼の杞憂に終わったようだ。


「あー! そろそろ行かなくちゃ!」


 食堂の壁にかけられていた時計をひと目見たセネスが、食べ終わった食器を持って勢いよく立ち上がった。


「あれ? なにか用事があるの?」


「そうなのー。昼食を食べたらできるだけ早く来てって言われてたんだよねー。先生から。早くしないと休み時間が終わっちゃうや」


「もしかしてだが? 授業を丸々サボったからか?」


「多分……。あーやだな。課題とか反省文とか書かせられるのかな? 行きたくないよー……」


「受け入れなね。それが起こされても二度寝して遅刻してきたことへの裁きだよ」


「根に持ってるー! 完全にシャルっちが根に持ってるよー!」


「へへへ。なんのことだい?」


「絶対にわかった上で言ってるよー! もう!」


 どうしてこうなったんだと言わんばかりに、セネスは声を上げながら天井を見上げる。

 しかし天井に救いはない。今こうして話している間にも休み時間は減っていく。来るのが遅いと怒られる可能性もまた増えていく。


「怖そうな先生だったんだよなぁ……」


「怖そうってことは⋯⋯二時間目の先生か。あの先生は多分怖いぞ。覚悟して行けよな」


「ああ、やだぁー!」


 コソコソと、ルークはセネスにとって聞きたくもない情報を付け加えた。

 セネスも「やっぱり顔も声も怖そうだったしなー」と中々に失礼な言葉を呟きながら、今度こそ動き出す。


「それじゃあお先にねー」


「うん」

「ああ」

「ん? あー。ん」


 一名、食事に集中するあまり返事が遅れた人間が居たが、セネスは気にした様子もなく食器を片付けに動いた。


「それにしてもシャル。オマエ滅茶苦茶楽しそうだったな。いじるのもほどほどにしてやれよ?」


 先程までのシャルを思い出し、ルークが一言添えた。


「あはは。セネスもルークに似て、いじりがいがあるってやつでねー」


「おいこら」


「痛っ」


 ケラケラ笑っていたシャルの頭を、ルークが軽くチョップする。

 チョップされた箇所を擦りながら「ぶーぶー」と文句のように呟き続けるシャルへと、ルークはデコピンの構えを取る。


「ぴゅーぴゅー」


「口笛、できてないぞ」


 デコピンの構えを取っているルークから離れるように深く椅子に座ったシャルは、お世辞にも上手とは言えない口笛擬きを声に出しながら明後日の方を向く。


「あれ? セネスが戻ってきた」


「誤魔化し方が下手かよ……。って、本当に戻ってきてたのか」


 シャルの誤魔化しだと思ったルークだが、彼女の言う通り小走りでこちらに近づいてきていた。

 忘れ物でもあったのかと、シャルはセネスが座っていた椅子を。ルークは机の下をそれぞれ探すが、忘れ物どころかもの一つすら落ちていなかった。


「どうしたのセネス。忘れ物? 残念だけどここにはなかったよ。最後に見た場所はどこ? 探すの手伝うよ」


「あ、違う違う。寝坊してきたせいで詳しくはわかってないんだけどさー。なんかあったんでしょ? 私がご飯食べている間に結構物騒な言葉も聞こえたしさー」


「物騒って……。ハハハ、それはネアスが大袈裟だっただけなんだが……。まぁ確かに、色々あったな」


 色々あった。まさしくそう評する他ない。

 ルーク自身の短慮のせいで、ネアスに危ないことをさせてしまう結果になったくらいには。


「詳しくないなりに言えることといえば、応援くらいだよねー。いや、喧嘩に応援は違うか……? まぁいいや、とりあえず頑張ってねーネアスくん」


「ん、ふぁふぃふぁふぉ」


「口に食べ物を入れたまま喋るなよ」


「聞き取りづらいけど、ありがとうって言ってるよ。私こそありがとう、セネス。途中までずっと話さなかったのは、私たちに気を使ってくれたからでしょ? 私から誘ってたのにごめんね」


 そう。彼女が最初、話に混ざってこなかったのはルークとシャルのせいだろう。

 二人は明らかに冷静さを欠いていた。そこをおもんばかっての沈黙。


「えへへー、そんなに感謝しなくたっていいよー。結局早く食べなきゃいけなかったのには変わりないしねー。でも、どういたしまして。私はもらえるものなら、もらっておく女。ありがたく、いただいておくねー」


「慎重に丁寧に、腫れ物を触るように扱って。そんでもって、安全な場所で保管してね」


「おおっとー。私が想像していたよりも、とっても壊れやすくて高価なものだったかー」


 両手で見えないものを抱えたようなポーズを取ると、誰かに見られていないか周囲を伺うように周りを挙動不審に見渡すセネス。

 そのあまりの珍妙さに、ルークとシャルは思わず吹き出した。


「じゃー私、そろそろ本当に行くねー。無事に戻って来ることを願っておいてよー」


「はいはい。願っとく、願っとく。いってらっしゃーい」


「いきなり凄く雑だー!? まぁいいや。バイバーイ」


 手を振って、スキップをしながら食堂をあとにしたセネス。

 出口ギリギリで思い出したかのように顔を青くして、一瞬立ち止まったのは御愛嬌。


「本当に、もの凄く気を使わせちまったな」


 セネスの姿が見えなくなって、振っていた右腕を下ろしたルークがボソリと呟く。


「ね。今度なにかお礼をしなくちゃ」


 シャルはルークの言葉に頷きながら、あまり手を付けれていなかった食事へと目を向ける。そろそろ食べなくては食事が冷めてしまう。

 シャルが改めてスプーンを手に取ったその時であった。


「――失礼。今良いか?」


 眼鏡のレンズに光を反射させた男子生徒が、堂々たる様子でシャルたち三人の前に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る