Heart's Bullet~aiへの聖戦

夜夜月

Chapter.01:ツォルンヴール学園

No.01:勇気の根源

Episode.01:不滅の火を継ぐ者

 一人の人間の生涯を、一つの物語だとしよう。だとすれば、命が尽きたときがその物語の完結である。

 その結末がいわゆるハッピーエンドというものなのか、それともバッドエンドなのか。それはなってみないとわからない。


 辛い運命を前にして全てを諦めようと、小さなことにでも希望を見出し抗おうと、終わりは必ず、どんな優れた者であれ平等にやってくる。

 人とは面白く、百の人がハッピーエンドと思っても、中にはバッドエンドだと思う者もいる。ならば、逆にバッドエンドだと多くの人に思われても、ハッピーエンドと捉える人もいることであろう。


 たとえばだ。どれだけ惨めに、無様に朽ちようと、ある一人が亡骸となることで他の誰か⋯⋯たった一人だとしても助けられたのならばだ。その人生はハッピーエンドといえるのか、個としては息絶えたためバッドエンドといえるのか⋯⋯。果たしてどちらなのだろうか――


     ◇


 黒く、厚い煙が陽の光を遮る街の一角。ボイラーの音が響き、歯車を回す建物。近未来的な、光が走る建物など、多種多様な街並み。


 周りに広がる建物一つ一つが、体が弱い者であれば、数日で体を壊すのではと思えてしまうほどの、煙を吹き出し続けている。

 そんな何処かチグハグで、過去と未来が混ざり合った、まさに混沌とも言える世界に、彼は居た。


「――――」


 男児の中では一際小さく、女児に見紛うほどに整っている顔立ちの少年が一人、校門の前で佇んでいた。


 黒髪黒眼。髪は乱雑に伸びていて、視界の確保のため、四つのヘアピンで目元だけ髪が分けられている。

 ヘアピンのデザインがこれまた特殊で、二つはシンプルな造形であるが、もう二つはパンと、デフォルメされた笑顔の絵文字のようなものを形どったものである。


 体は痩せ型で、人によっては不健康と映る肉体は、生きていく上で必要最低限の肉を骨に乗せただけ。


 そんな体に対し、大き過ぎるようにも見える服に身を包んでいる。

 服はグレーを基調とし、赤の刺繍が入ったスーツのような造りの服だ。そして、少年の体には長過ぎるネクタイを首に絞めていた。


 背中には顔をスッポリと覆える、大きなフードが垂れている。

 巨大な襟のように見える布地は、完全にチャックを上げると口元まで隠し切れるほどの大きさを誇っている。


 首元には近未来的な光のラインが走り、側面にはわかりやすく主張している歯車とネジが付いたマスクをぶら下げている。

 煙が充満するこの街を出歩くのには欠かせない、汚れた空気を吸い込まないようにする装置で、装置を通った外の空気は、人体に害がない程度に浄化されるらしい。


 そんな少年が佇むは、とある門の前。周囲には彼と同じくらいの年齢である少年、少女の姿が見受けられる。


 少年と違うのは、誰一人として立ち止まることがない点。

 両親だろうか。大人と手をつなぎ、嬉しげに歩く者。

 顔を真っ青にして、励まされながら歩く者。

 実に多種多様である。


 人々が向かう先には、小さな少年にとって、山の如く巨大に映る建物が一つ。


 他の建造物同様、多くの煙を吹き出し、巨大な歯車が見え隠れするスチームパンク風なデザイン。

 そして近未来的な装飾や施設が混ざり合う、まさにこの街の混沌を集めて象徴しているような建物。歪と言う他ない。


 だが少なくても、この国の住人にとってはありきたりで、最先端と口を揃えて言うであろうものでもあった。


 その建物の名は、『ツォルンヴール学園』。

 “不滅の火”を意味なす言葉を由来に持ち、それの語の形を僅かに崩して名付けられた国家『アーディヴール帝国』に建つ、由緒正しき学園である。

 そう、彼が着ていた服は、この学院の制服である。


 帝国内でも一、二を争うほどに、人気の高い制服で、デザイン性と機能性が高い……らしい。少年は服に無頓着で、お洒落などわからない。

 しかし確かに身動きは取りやすいように感じる。腕や脚を大きく動かしても、動きを阻害しない。


 少年がこれから向かうであろう学園を眺めていると、背後から慌ただしい足音が近づいてくる。

 その足音に少年が振り返ろうとすると、大きな衝撃が彼を襲う。


「よおっ! ネアス、昨日はよく眠れたか?」


「っ……痛い」


「あ、わりぃ」


 ネアスと呼ばれた少年は背を、さすりながら、衝撃を受けた場所の痛みを訴える。

 慌ただしい足音の主は、勢いそのままにネアスの背中を叩いたのだ。


 全くの遠慮もなく、勢いよくネアスの背中を叩いたのは、赤味がかった茶髪の男児。

 瞳にも髪と同じ色を宿し、体格も良く、同年代と比べても差は一目瞭然。

 ネアスと並んだら、頭一つほど差があった。


 彼の肉体を覆う筋肉は、完全に年齢離れしている強靭さを誇る。

 彼もネアスと同様の制服に身を包んでいるが、首元のボタンとネクタイが緩められていた。


 背中を擦りながら、ネアスは後ろの少年を睨む。

 もちろん体の大きさが違うのもあるが、彼はとても力が強い。体が特段強くないネアスにとっては、彼の何気ないスキンシップが怪我の原因になりえる。

 ちょっとしたじゃれ合いで、とてもではないが大怪我など負いたくない。


「ま、まて……速、いって……」


 背後から二人にとって、聞き馴染みのある声が聞こえ、ネアスたち二人は振り返る。

 息を激しく切らし、今にも倒れそうな走り方で、近づいてくる少女が二人の瞳に映った。


 被っていたフードと、マスクのような装置を口元から外し、一番上まで上げられていた服のチャックを鎖骨辺りまで下げながら、内に籠もった熱気を逃そうと手で仰ぎ始めた。


「おお、遅いぞシャル」


 シャル――それが走ってきた少女の名前だ。

 青く艶の良い髪を、サイドテールで纏め、頭にはゴーグル付きの帽子を被っている。

 前髪の隙間から覗く瞳は、紫紺の色を輝かせており、身長はネアスと同じか、僅かに高い程度。


 彼女も制服に身を包んでいたが、男子のものとは違い、ネクタイはリボンに。スラックスはスカートに変化していた。


 シャルは息を整えると、ジト目でルークを睨む。

 彼女は態度の節々から、不満と怒りを感じさせる動きを、少々大袈裟に取っていた。


「あのねー! 私を置いて走っていかないでよ! そんなんだと女の子にモテないんだよー? ルークぅ」


 あからさまに挑発している態度、声色。

 自分を置いて行った少年――ルークを非難する発言。それでいて、彼の精神を逆撫でするような、小馬鹿にした発言。


「はあー!? べ、べ、別にどーでもいいし! 女子にモテたくもねぇしっ!」


 ルークは食い気味に、シャルの言葉を否定する。


「――分かりやすい」


「おまっ! ネアス、オマエ! なんだよ分かりやすいってよ!? なにが分かりやすいってんだよ!? ホントにモテたくねぇし!」


「へっ!」

「へっ!」


 ボソリと呟いたネアスの言葉に、過剰すぎるくらいに反応を示すルーク。彼の返答は、嘘であるとバレバレ。

 ネアスとシャルは同時に小馬鹿にした声を出した。


 彼らの年齢は十二。ルークの反応も、ネアスとシャルの態度も、実に年相応。

 すると、ネアスはトテトテと効果音を鳴らしそうな歩み方で、ルークとシャルの二人を軸に、周り始めた。

 シャルと一緒に、ルークを小馬鹿にしたことで忘れかけていたが、ネアスにはどうしてもやっておきたいことがあったのだ。


 その様子を不思議に思ったルークが、ネアスにどうかしたのかと尋ねる。

 すると、ネアスはこれまた先程のシャルにも劣らないくらいに、不機嫌そうな表情をしていた。


 と言っても、ネアスは生まれつきから表情の変化がほとんどなく、今も知らない他人が見れば真顔そのもの。

 真顔は真顔で機嫌が悪そうには見えなくもないが、かれこれ人生の半分を共にしている二人には正確に、端的に、ネアスの表情を読み取ることができる。


「二人、遅かった。ネアスはここで、ずっと待ってた。だからネアスは機嫌が少し悪い」


 ネアスは不満を溢す。何故ネアスの機嫌が悪いのかと言うと、実に二十分程度、ただ一人門の前にて待ちぼうけをくらったのだ。不満の一つや二つは出る。


 そもそも、朝早く集合と言ったのはシャルとルークである。

 本音を言ってしまえば、ネアスはもっと寝ていたかったのだ。大好きな二度寝を諦めてまで、集合時間ギリギリではあるがこの場に来ていた。

 それなのに二人が遅刻するなど、ネアスの二度寝の時間をどうしてくれるのだ。


「わ、悪かったネアス。少し、そう少しだけトラブルがあってだな……」


「そうそう、少しだけ事件に巻き込まれたといいますか。ちょっとしたトラブルを解決してきたと言うべきか……。でもそんな感じ。待たせちゃったのは本当にごめんね、ネアス」


「――ん」


 ネアスは不承不承そうに頷いた。

 何故ネアスが文句を言ったのかというと、これが特段、意味も理由もない。

 ネアスと同じ立場に立った者によっては、遅れてきた理由が聞きたいなどの考えが浮かびそうだが、ネアスにとって全く興味がないこと。

 彼らが遅れた理由、言い訳など、心底どうでもいい。


 強いて言うのであれば単純に、遅刻常習犯の自分が間に合い、いつも約束の五分前には集合場所に着いている二人に対して、優越感に浸りたかった。たぶんそれだけ。

 謝ってくれるのであれば、それで良い。


「むふー」


「どうしたんだよネアス。無表情も相まって、すげぇシュールだぞ?」


 腕を組み、胸を張っているネアスだが、ルークの言う通り顔は無表情そのもの。間違っていなければ、言ってはいけない言葉でもない。

 だが、わざわざ本人の前で言う必要もないだろう。

 ネアスはルークの肩をポカポカと叩く。


「悪かった、悪かったって。今度美味しいもの奢ってやるから、機嫌直してくれ」


「……わかった。ん、それで手打ちにする」


 ネアスは振り上げていた腕を降ろし、半歩後ろに下がった。美味しい食べ物を食べさせてくれるなら、文句は一切ない。

 待たされたことを含めても、ネアスにとっては多くのお釣りがもらえるほどにはプラス。


「いいじゃん! ルーク、私にも奢ってくれない?」


 ルークが叩かれている様子を、ニヤニヤしながら見ていたシャルが、ネアスに便乗するようにルークへせがむ。

 シャルは「いいでしょ?」と、瞳を輝かせながらルークを見つめる。


「ちょっ、ちょっと待て待て! おかしいだろ? シャル、オマエはどちらかといえば、ネアスに奢る側だろ? なんでオレがオマエに奢るんだよ!?」


 確かに遅れてきたのはシャルも同じ。なんだったら、シャルが一番遅くもあった。

 ルークの的を得た言葉に「うっ!?」と声を漏らしたシャルは、助けを求めるようにネアスを見てきた。


 しかし、ネアスは顔を逸らし、完全にスルーの構え。

 ネアスは奢ってもらえることが確定している。シャルに協力する必要も、意味も全くないのだ。


「ネアスの裏切り者ぉー」


「ん、元々協力してない。だから、裏切ってもない」


 シャルの悲痛な叫びを、ネアスはバッサリと切り捨てる。ネアスに協力を求めるのであれば、それ相当のものを差し出さねばならないのだ。


 具体的に言えば、とにかく美味しいものだ。美味しいものをくれるのであれば、ネアスは喜んで協力するだろう。


「もう諦めろよシャル。諦めて、自分の金で食べるんだな。連れて行くのは別に構わないからよ」


「ぐぬぬ……っ! 仕方がないか、今回は諦めるよ。今回は!」


「めっちゃ強調するなよ……」


「ん、次の機会があったら、ルークに奢ってもらう気満々」


「っ! ば、バレた!」


 口元を両手で抑え、あからさまに驚いているシャル。

 そのわざとらしい姿に、ルークの口から笑い声が漏れた。ネアスの口角も僅かではあるが、確実に上がっている。


「仕方ねぇな。機会があったら、そう! 機会があったら、だ!」


「やたっ! ネアス、私は勝ち取ったよ! 無料のお昼ご飯権を!」


 ガッツポーズを取ったシャルは、力強くグッドマークをネアスへ向けた。ネアスもシャルへとグッドマークを示して見せた。

 昔から二人には、なにか上手く言ったときや、嬉しかったときなどに、グッドマークを向け合う流れがある。

 今も変わらず続けている、ある種ネアスとシャルとの間でのお決まり。


 二人を一歩離れた場所で見ていたルークは、ふと校舎の方向へ顔を向け、体が硬直した。


「や、やばいぞ二人共……」


「ん? なにがやばいの?」


「どうかしたの……って! 本当だ、大変!」


 つい少し前までは人で溢れていた昇降口前の広場には、ほとんど人が残っていない。

 ネアス達三人がくだらない会話を繰り広げている中で、着実に時は進み、式の時間が刻一刻と迫ってきていた。


 何を隠そう三人は、この学園――ツォルンヴール学園の新一年生として、入学式に出席するために朝早く起きてまで、ここへやって来たのだ。

 初日から遅刻など、流石に問題がありすぎる。

 三人は全速力で、昇降口を目指して駆け出した。


     ◇


「ああ、疲れた……。話、長すぎるだろ」


 まるでゾンビのようなうめき声を上げるルーク。式中は締めていたネクタイを緩め、制服の第一ボタンを外した。

 あの後、どうにか三人とも入学式の開始時間までには間に合い、無事に入学式を迎えることができた。


 これで一先ずは一安心であるのだが、いかんせんまだ十二の子供である身では、色々と苦痛でしかない時間であった。

 ルークは体全体を脱力させ、ネアスに至っては教室内の机に突っ伏して、今にも寝てしまいそうである。


 式が終了したのと同時に、ルークとネアスは駆け足気味で教室へと戻って来て、着いたと同時に、自分の席に座り込んでしまった。

 このような式に参加したことなどもちろんなく、始めはどれも新鮮で楽しめていたのだが、あまりにもつまらない話が長すぎた。とっくに二人の体力は尽きている。


「もう! ルークとネアスったら。そんなに辛かったの? 入学式」


 遅れて戻って来たシャルが、今にも消えて無くなりそうな二人に対して疑問を投げかけた。

 シャルはネアス達とは違い、入学式を苦痛とは思っていなかったようだ。

 感じ方は人それぞれと言うが、果たしてこれほど違いが出るものなのだろうか。


「辛かった。まじで辛かった……。なあ? ネアス」


「ん、シャルが隣に居なかったら、絶対に寝てた」


 現実から逃げ出すべく、ネアスは式中、何度か夢の世界へ入ろうとしていた。

 しかし、隣に座るシャルが許してはくれなかった。眠りそうになる度に、ネアスの肩を揺らしてきて、眠りに落ちることを阻止し続けたのだ。


「ん、逆に、なんでシャルは、眠くなってないの?」


 単純な疑問。ネアスとルークにとってはそれこそ、苦痛を感じるほどには退屈だった入学式。

 シャルはどういったところに楽しさを見出したのか。


「ん? ううーん。そうだねー……」


 シャルは人差し指を顎へ置き、なにやら考え込んだ。

 言われてみれば、面白い点はなかった。などとルークなら言いかねないが、シャルに限ってそんなことはないだろう。


「おいネアス。今なんか、失礼なこと考えなかったか?」


「ん、なにも」


 隣で突っ伏していたルークが、ジロリとネアスを睨んでいる。ルークは中々に勘が鋭い。

 ルークいわく、失礼なことを考えているネアスはわかりやすいのだとか。


 ネアスは感情を表に出しにくいと自負しているし、実際に間違えていない。

 それなのに、ルークにはわかるのだと言う。ネアスにとっては驚きだ。

 しかもルークだけでなく、シャルにもバレるのだ。驚きを超えて恐怖すら感じなくもない。


「あはは、ルークは被害妄想が激しいものねー」


「激しくねぇし、別にわざわざ言う必要もなくね!? なんでいきなり言葉で刺してくるんだよ!?」


 予想もしていなかったであろう場所からの攻撃に、ルークは驚きで声のトーンを上げて返した。

 その声が大声に近かったのもあり、徐々に戻って来ていた同じクラスの生徒の一部が、咄嗟にルークへ振り向いた。


「やーい。驚かれてるじゃない、ルーク」


「やーい、やーい」


「う、うるせぇ。シャルのせいだろ!?」


「へへへ」


 雑な誤魔化し方をするシャルへ、顔を羞恥心からか仄かに赤くしたルークが睨みつける。

 シャルと一緒になってルークを煽ったことで満足したネアスは、一眠りしようと、本格的に腕を枕にして顔を埋めた。

 詳しくは知らないが今から二十分程度、自由時間なのである。特にやるべきこともないため、寝たとしても誰にも怒られないだろう。


 三人は運の良いことに、同じクラスであった。

 一学年はA〜Hクラスまでの八クラスあり、分別方法は完全ランダム。

 だからこそ、クラスが同じだとわかった時の喜びようは凄まじかった。特にシャルが。


「あ、ねえ。ネアス、ネアス」


「ん、なに? ネアスは今すぐにでも寝たい」


 シャルの声に顔を上げたネアス。表情は若干ムスっとしていて、今すぐ寝させろと顔が語っている。


「あ、ごめん。なら大丈夫。今すぐじゃないか、ら? えっ!? ネアス、バッチ! 学園のバッチはどこへやったの!?」


「ん?」


 ネアスは自分の左胸――本来であれば、そこにバッチが着いていなければいけない場所に、バッチの影はなかった。


「あれ? ない」


 本来そこに収まるべきものがなく、妙に物寂しく感じる制服。

 バッチがないことを知ってしまうと、左胸の空白に過剰にモヤモヤしてしまう。


「た、たたた、大変じゃん!」


 失くしたバッチとは、入学式の会場へ入場する前に手渡されたもので、この学園の生徒である証明となるものである。

 もし紛失してしまえば、この学園の生徒とは認められず、許可なく敷居を跨ぐことは許されなくなってしまう。

 学生にとって、絶対に失くしてはならないもの。それこそがバッチである。


「ネアス、どっか落とした場所に心当たりはあるか?」


「ん、わからない。今失くしているのを知ったし」


 堂々と心当たりはないと言い張るネアス。ある意味大物である。

 だが、そんなネアスの態度とは他所に、シャルとルークには緊迫した空気が流れていた。

 二人の顔からみるみる血の気が引いていき、まさに真っ青になっている。


 ネアスと三人で、学園生活を送れなくなる恐れがある現状。

 それはルークとシャルの心に重く伸し掛かっていた。もちろん、何処か落ち着いて見えるネアスだがその実、唐突過ぎて思考が追いついていないだけである。


 学校に通えなくなると、ネアスも大いに困ってしまう。何としてでも、バッチを見つけなければならない。ならないのだが、


「どうする?」


「とりあえず探すしかないだろ。見つけられねぇと、本気でまずい」


「うん、そうだよね」


 自分のことながら、いまいち実感が湧かない。理由は単純、理解が追いついていないから。

 そんなネアスは、ただ二人が話している様子を見ているしかなかった。

 今一度自分の左胸に目を向け、確かめるように手で撫でる。やはりバッチはない。

 ポケットを叩き、手を突っ込む。バッチの感触は指に伝わってこなかった。


「――もしかしなくても……。やばい?」


「やばい!」

「やばいよ!」


 ようやく事の重大さを自覚してきたネアス。

 控えめにルークとシャルに声をかけると、揃って大きな声を出した。

 距離が近かったのもあり、少々頭に響く感覚と、珍しいまでに焦る二人の状況に驚きつつも、ネアスは記憶を辿った。

 しかし、落としたことも知らなかったのだ。ネアスに心当たりなどあるわけがない。


「ん、大丈夫。焦らなくても、きっと見つかる。たぶん」


 当事者にもかかわらず、なんとも能天気なネアスに、二人は呆れたようなため息を零した。

 ネアスらしいと言えばらしいのだが、とても今ではないが笑える場面ではない。


 ツォルンヴール学園はアーディヴール帝国、五大学園が一つ。

 入りたいからと言って、全員が入れる場所では決してない。ネアスも彼なりに、並々ならぬ努力をしてきた結果、掴み取った今日である。


 アーディヴール帝国は他国と比べても、人材育成には力を入れており、五代学園に入れる生徒は六割を超えている。

 それを多いと思う者もいるであろうが、入れなかった者がいるということもまた事実。


 入学式当日にバッチを失くし、学園に通えません。となっては、さすがに失礼というもの。

 いくら深く物事を考えないネアスでも、簡単に理解できる。


 ……できはするのだが、もし他人が一目見たとしても、焦っているようには見えない。

 ネアスの楽観的思考や、態度は、生来のもの。こればかりは、ネアス自身が変化させるのは難しいだろう。


「話してる時間はねぇな」


 ルークは後方にある、時計を一瞥いちべつした。

 剥き出しの歯車で作られていて、時計上部には線が繋がれている。この線によって、時刻のズレが発生しないのだとか。


 休み時間は残り十五分ほど。バッチを探す時間としては、微妙な時間である。

 なにせ五代学園なだけはあり、校内はかなり広い。教室から式を行った会場まで、行き帰りだけで五分もかかってしまうほどだ。


「いくぞネアス、シャル」


「うん! ほらっ! ネアスも」


「うぅ……眠いのに」


 今探しに行かなくても、学校が終わったら探し始めればいいではないか。という考えが浮かんだネアスだが、声に出すことはなかった。

 二人が本気で自身を案じてくれていることはわかるからだ。

 そんな思いを無下にするつもりはネアスにない。


 シャルに手を引かれ、眠さを抑えるように瞼を擦りながら走るネアス。

 きっとシャルが手を引いてくれていなければ、今頃床で寝ていただろう。ありがたいと思う気持ちと、寝させてほしいと思う感情に揺蕩いながら、懸命に腕を振り、脚を動かした。

 といっても、今のネアスでは歩くよりは速いくらいのスピードが、関の山であったが。


     ◇


 ネアスたち三人は、入学式の会場を目指しながら、移動に使った道も注意深く探していた。

 バッチを落とすとしたら、会場内かその道中にしかないはず。

 廊下もくまなく探したが、バッチは落ちておらず、残るは会場内のみ。


「なあ、そっちにあったか?」


「ううん。ネアスはどう?」


 探す過程で膝を着いていたルークが、ズボンに付着した埃を払いながら立ち上がる。

 後頭部を掻きながら訊いてくるのを見るに、ルークもバッチは見つけられていないようだ。


「ん、ない」


 椅子の下に探す場所を絞り、くまなく探していたが、バッチの影はない。

 式場には数百を超える人が居たのだ。人混みによって、離れた場所や奥まった場所に転がっていても不思議ではない。


「他にありそうな場所はあるかな?」


「他の場所って、言ってもな……」


 シャルの問いに、ルークは考え込む。

 続いてシャルはネアスを見た。思いつく場所はあるか訊きたいのだろう。

 しかし、ネアスはわからない。

 首を振ったネアスに、シャルは僅かに肩を落とした。


 バッチを着けて移動した可能性がある場所は、現在地である入学式会場と廊下のみ。

 廊下は道すがら探したので、ない、と信じたい。

 ここにあるはずだ。いや、ここしか有り得ない。そのはずなのだ。

 ネアスは、やはりこの場所にバッチはあると結論付けた。


「しかしなー。ここにはなさそうなんだよな……」


「ね。本当にバッチは、どこへ行っちゃったんだろう?」


 ルークとシャルは二人して首を傾げた。

 一向に考えはまとまらず、一秒、また一秒と、時間は過ぎていく。

 三人が半ば途方に暮れていると、扉の外から一人の男性が、堂々とした歩み方で近づいて来た。


「お前ら、そこで何をしている」


「ひえっ!」


 近づいてきた男は、ネアス達の前に立つと、凄みのある低音の声で問い掛けてきた。

 男の容姿は、顔の右半分が火傷で爛ただれ、右目に眼帯を着けている。


 二メートルくらいはありそうな巨体を誇っており、体に蓄えた筋肉はルークと比較すらできないほど強靭だ。表情に一切の優しさがなく、死地を潜り抜けてきた歴戦の戦士のような風貌。風格。

 簡単に言ってしまえば、顔が凄く怖い。

 男の顔を一目見た瞬間、シャルは短い悲鳴を上げ、ルークの背中に隠れてしまった。


「ちょっ!? オレを盾にすんなよ!」


「だ、だってぇ……」


 シャルを自分の背から引っ張り出そうとしたルークだが、少しすると諦めたようにため息を付いた。そして気を取り直したように男へ顔を向ける。


「え、えーと。あなたは先生……。ですよね?」


 ルークはおずおずと、少々不慣れである敬語で眼の前の人物に言葉を掛けた。

 学園にいる時点で、先生か学園関係者に違いないが、あまりに凄惨な風貌に正常な判断ができていない。

 ルーク自身、若干彼の容姿に恐れをなしていて、取り敢えず名前を聞くという少しずれた発言をしてしまった。


 男性は「フンッ」と鼻を鳴らす。

 その様子に機嫌を損ねたのではないかと、シャルとルークは冷や汗を浮かべた。

 その気になれば、一瞬で三人を握り潰せるだろう男は、不機嫌そうな表情をしていた。


「私の名など、この場に置いて何も意味をなさない。私がお前らに訊いているのは、この場で何をしていたか。ただそれだけだ」


 凄まじい高圧感。ルークは脚が震え、シャルは気絶寸前である。

 本能的に恐怖を感じ、ついにネアスもそそくさとシャルの背に隠れてしまった。 先頭にルーク、真ん中にシャル、一番後ろにネアスという順番。

 ネアスとシャルは顔だけ出して、男性の様子を控えめに伺う。先頭に立たされたルークが不憫である。

 凄まじい威圧感を、今も正面で受け続けている。


「今一度訊こう。この場で、一体何をしていた?」


 空気がビリビリと震える。

 先頭に立たされたルークは苦い顔をしながら、男の問いに答えようと口を開く。いつまでも黙ったままではいられない。

 男を怒らせたら、どうなるかわからない。

 ルークは一筋の汗を流した。


「さ、探し物を、していました……」


「探し物か……。何を探していた?」


「ば、バッチを……」


「――バッチだと?」


 男性はルークの左胸を見る。

 しかし、彼の胸にはきちんとバッチが着けられている。

 男性は訝しむようにルークを睨んだ。

 誤解されていると悟ったルークは、慌てて自分に背に隠れるネアスを、力ずくで引っ張り出した。


「バッチを失くしたのはコイツです! コイツ」


「あー……」


 ネアスの左胸を指差し、男性の視線を自分からネアスへと誘導。

 引っ張り出されたネアスは情けない声を漏らしながら、まるで生贄のように差し出された。


「ふむ。確かにバッチを着けていないな」


「そう。着けてない」


「なんでオマエは自信満々なんだよ……」


 何故か堂々と宣言するネアスに、ルークは若干引いている様子。この状況で男と目を合わせ続けるネアスの胆力は中々なものだろう。


 きちんと自分の芯を持っているところが、彼のいいところではある。

 しかし、ここまで確固たる自分を持っていると、いくらなんでも驚きが勝るというものだろう。

 シャルが信じられないものを見るような視線を向けていた。


「そうか。次は失くすなよ」


「ん? あ……」


 男は自身の胸ポケットをまさぐると、爛々と赤く煌めくバッチを取り出し、ネアスの左胸に丁寧に着けた。

 バッチには巨大な山のような怪物の影が刻印されている。


 あまり詳しくは知らないが、この国に残る言い伝えでバッチに刻印されている存在が出てくるらしい。

 本当のところは知ったものじゃないが、実際に居たとしたら恐ろしくでかいのかもしれないなどと感想を抱きながら、ネアスはバッチを軽くこすった。


「ありがと」


「別に良い。偶然、見つけていただけだ」


 素っ気なく答える男。

 会場内にバッチが見当たらなかったのは、彼が先んじて拾っていたからだったらしい。


 無事ネアスのバッチが見つかったことに、ルークとシャルは安堵の声を漏らしていた。

 シャルに至っては、腰が抜けて座り込んでしまっている。不安と恐怖で、一杯一杯だったのだろう。


「ありがとうございます」


「ありがとうございました。わざわざ拾っていただいて、本当に助かりました」


「ん。感謝」


 三者三様。思い思いの礼を男へ述べる。


「構わない。それより早く教室に戻ると良い。そろそろ休み時間は終わるぞ」


 体育館に取り付けられている時計を、男性は指差した。

 後ほんの僅かな時間で、休み時間が終わってしまう。ルークとシャルは、時計を見たら明らかに焦りだした。


「やばいっ!? すみません、失礼します! ほらっ、行くよネアス!」


「ん。分かった」


「さようなら。ホントっ、ありがとうございました!」


 シャルはまたもネアスの手を引き、ルークは男に頭を下げた後、二人を追う。

 嵐のように去っていく三人の後ろ姿を、ただ見つめている男。

 眼帯を着けている右目を軽く抑え、


「――気のせい……か?」


 ふと一言だけ彼の巨大な図体には似合わない、小さな小さな、消え入ってしまいそうな声を零して、彼もまたこの場を後にした。


 ――そう。これは不滅の火を心に宿し、受け継いでいく者の物語。

 一つ一つの小さな火種が、やがて大きな焔と化し、感情という名の弾丸が世界へと快音を響かせて、風穴を開けるまでの物語である。


     ◇


どうも初めまして、夜夜月です。

今作はOROCHI@PLEC様↓と、世界観を共有した作品になっております。

https://kakuyomu.jp/users/YAMATANO-OROCHI


是非OROCHI@PLEC様の作品の方にも、足を運んでみてください。↓

https://kakuyomu.jp/works/16818622171953433645

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