海の上

「わあ、綺麗……」


風に身を任せ、シリルさんのシルクのような白髪がゆらりゆらりと揺れる。


私は今、シリルさんが舵を取る小舟に乗って、あの城を目指していた。


シリルさんとともに霧を超えた先、というかシリルさんが霧を消したその先には、満点の星空と城をうつしとる美しい海が広がっていたのだ。


「この海の向こう岸まで渡れば、学校はもう目と鼻の先です。」

絶景でしょう、とシリルさんが微笑んで、目の前の世界に見惚れる私の手を引く。案内された先にあったのは、こじんまりとした木の小舟だった。


おっしゃる通り、本当に絶景。これが夢にまで見た物語の世界、ネバーランドの景色!

世界が二つあるみたいですね、と私が水面を見つめて言うと、シリルさんがキョトンとした顔でこちらを振り向いた。

必然的に目が合って、1、2、3秒。沈黙の後、なぜか2人同時に吹き出してしまって。


鈴が転がるみたいに笑い声が水を跳ねていく。

シリルさんのはじけるような笑顔はやはり絵になるな、と漠然と思った。



◇◆◇


お互い気の済むまで笑い合ったあと、シリルさんがこう言った。


「到着までまだ少し時間があるので、何かお話でもしましょうか。」


「あ、それなら聞きたいことが。」


なんでしょうか、とシリルさん。その笑顔はまさに今船で渡っているこの海のように穏やかで、なにを考えているのかはやっぱりわからない。

なんでか話すのにすごく緊張してしまった私は、ぎこちなく背筋を伸ばして口をひらいた。


「門番って、一体どんな魔物なんですか?」


さっき、歌を聴いたら死ぬ、なんて言ってたけど。


「一応言っておくと、好奇心で見に行くなんてのは自殺行為ですからね。」


そのくらいは承知です!

シリルさん、いたずらっ子みたいにニヤリ。


「その魔物はセイレーンです。ざっくり言うと人魚みたいなものですよ。」


ネバーランドに人魚がいるって、本当だったんだ……!

セイレーンっていう怪物のことも聞いたことがある。美しい歌声で船員を惑わして、遭難させるという神話があるんだよ。


「あら、よくご存知ですね。人間がその歌声を聴いてしまうと、海の中に引き摺り込まれて喰われてしまうんですよ。」


人魚、想像の5倍は怖くない…?

美しいだけじゃないこの世界。ショックで少しシリルさんの声が遠のく。


わたくしも実際に聴いたことはないですけどねー、あなたみたいな人間のお嬢さんは気をつけなきゃ、とにこにこ喋る声が聞こえて、ふと疑問が浮かんだ。


「私のこと人間ニンゲンって…。シリルさんは一体、」


何者なんですか。


尋ねようとして、口をつぐんだ。

心臓が跳ねて、息が詰まる。声がうまく出ない。


聞いてはいけないことのような気がした。

シリルさんのまとう空気が、途端に重くなったから。


小舟が風に揺られて、不安定に揺れる。

シリルさんの周りの空気が揺らぐ。


「わたくしは……ただのしがない魔法使いですよ。」


「あ、いやその、ごめんなさい。」


「いいんですよ〜、謝ることなんてないですから。」

あ、もとにもどった。

すっかり出会った時と同じニコニコ笑顔に穏やかな気品のある雰囲気。


「そんなことより!もうすぐ着きますよ!」

から元気にも聞こえる明るい声で、シリルさんは向こう岸を指さした。


……気のせい、だよね?

さっきの重たい空気は。どす黒くて、肺に入るとずしりと重たいあの空気は。


私とそんなに歳の変わらなさそうにみえるシリルさんの背中を、思わず見つめる。

この人は、一体何者で、何を抱えているのだろうか。




まあ、考えてもわからないことは仕方ない。

いくら考えても、どうせ想像の域を出ないのだから。


私は無限に広がる満点の星空を見上げた。星明かりも、シリルさんのように不安定に瞬いて見えた。

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