異世界に召喚された娘の聖女パワーが、なぜか全部パパに来た件 ~ビル管理の知識で、今日も娘を守ります~
タカ
第1章『父、異世界に立つ』
第1話 残業帰りと、7歳の宝物
残業の疲れを引きずって、ようやく我が家のドアを開ける。
革靴を脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。この瞬間だけが、俺、貴弘(たかひろ)の一日で唯一、鎧を脱げる時間だ。今年で41歳、ビル管理業。最近、腹の肉が気になって筋トレを始めた、どこにでもいる普通のおっさんだ。
「ただいま…」
静まり返ったリビングに、誰にも届かない挨拶が虚しく落ちる。妻に先立たれてから、この家には俺と、たった一人の娘、れいかがいるだけだ。もう寝ているだろう。物音を立てないように、そっと廊下を歩く。
そして、一番奥の部屋。俺の宝物が眠る場所のドアを、静かに開けた。
すー、すー、と穏やかな寝息が聞こえる。
ベッドの上で、天使のような寝顔で眠っているのは、愛娘のれいか。7歳。この春、ピカピカのランドセルを背負って、小学校の門をくぐったばかりだ。
その小さな手には、もう何年も一緒に寝ている、くたくたのクマのぬいぐるみが、しっかりと抱きしめられている。
「もう小学一年生なんだから、クマさんは卒業したら?」なんて言ったら、「クマさんも一緒じゃないと眠れないの!」と、ぷっくり頬を膨らませていたっけな。
その寝顔を見ているだけで、残業の疲れも、明日の会議の憂鬱も、全部どうでもよくなる。この子の寝顔を守るためなら、なんだってできる。本気で、そう思える。
そっとドアを閉めようとした、その時だった。
ふと、違和感に気づく。
れいかの体から、淡い光が、ほのかに漏れ出している。
「……ん?」
見間違いか? 疲れで目がおかしくなったのかもしれない。
目をこすって、もう一度見る。
いや、光は消えない。それどころか、まるで呼吸をするように、ゆっくりと明滅しながら、徐々にその輝きを増していく。
なんだ、これ。
漫画やアニメで見るような、非現実的な光景。
理解が追いつかないまま、俺は娘のベッドへと駆け寄った。
「れいか! おい、大丈夫か!」
俺がその小さな肩に手を触れた、その瞬間。
光が、爆発した。
いや、爆発というより奔流だ。俺とれいかを、優しく、しかし抗う術もなく純白の光が包み込んでいく。
体がふわりと浮くような感覚。目の前が真っ白になり、何も見えない、何も聞こえない。ただ、れいかの小さな手を、絶対に離さないように、固く、固く握りしめた。
次に目を開けた時、鼻をつくのは、土と黴(かび)の匂いだった。
背中に感じるのは、硬く、ひんやりとした石の感触。さっきまでいた、自分の家のフローリングじゃない。
「……どこだ、ここ…」
自分の声が、奇妙に反響した。空気はひんやりと湿っており、遠くからポタン、ポタンと水滴が落ちる音だけが聞こえる。
体を起こすと、そこは薄暗い石造りの部屋のようだった。
ハッとして、自分の腕の中を見る。そこには、気を失ったままのれいかが、俺の腕にしっかりと抱きかかえられていた。よかった、一緒だ。
「パパ…?」
俺の声で目を覚ましたのか、れいかが不安そうに俺を見上げる。
「大丈夫だ、れいか。パパがついてる」
そう言って娘を安心させようとした、その時。
目の前の暗がりから、何かがぬっと姿を現した。
身長は、れいかと同じくらいだろうか。だが、その姿は子供とは似ても似つかない。緑色でしわくちゃな肌。黄色く濁った、意地の悪い目が爛々と光る。口元からは涎が垂れ、その手には、木の枝を折っただけのような、粗末な棍棒が握られていた。
漫画で見たことがある。ゲームで戦ったこともある。
間違いない。これは、ゴブリンだ。
「グルゥ…」
ゴブリンが、下卑た笑みを浮かべて、一歩、こちらにじり寄る。
俺は、震える娘を背中にかばい、無防備なまま、その化け物と対峙した。
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