第26話(月乃視点)もらうだけじゃなくて

 腹部に軽い衝撃を覚えて目を覚ますと、ひまの腕が私の腹にのっていた。私を抱き締めて眠ってくれていたはずのひまは、いつの間にか大の字になって、私を壁際に追い込んでいる。


 寝相、悪いって言ってたもんね。


 腹なんて立つわけない。むしろ、寝相の悪さが愛おしくなってしまう。

 天真爛漫な寝相が、ひまの明るい性格を表しているような気がして。


 ひまは静かに寝息を立てながら、心地よさそうに眠っている。頬を軽くつつくと、んん……とわずかに身じろぎしていた。


 看病した時も、こうして寝てるひまを見てたな。


 今日もきっと、私はひまにキスなんてできない。それでいいと思う自分と、意気地なしと騒ぐ自分が頭の中にいる。

 たぶんひまは、今まで誰ともキスをしたことなんてない……はずだ。正直なひまのことだから、恋人ができたりすれば手紙で教えてくれたはず。


 今ひまにキスしたら、ひまの初めてをもらえるってことだよね。


 悪い考えに頭が支配されそうになって、慌てて頭を振る。こんなによくしてくれるひまに、そんなことをするなんて絶対にだめだ。


 一度水でも飲んで冷静になろう、とひまを起こさないようにベッドから下りる。おばあちゃんを起こしてしまわないように、足音を立てないように気をつけながら台所へ向かった。


 冷蔵庫の中には、まだ大量の食材やジュースが入っている。私とひまが楽しい年末年始を過ごせるように、おばあちゃんがたくさん買ってくれたものだ。


 去年の大晦日って、私なにしてたっけ。

 高校生が働けるぎりぎりの時間までバイトをして、家に帰ったら疲れてすぐに眠ってしまった気がする。

 そして朝起きてから、廃棄予定だった賞味期限切れのおにぎりを一つ食べたんだ。


 高校生になってから、母親に言われて強制的にアルバイトをするようになった。給与振込口座はお母さんに管理されていて、自分の物を買ったことはない。

 今年の冬もアルバイトのシフトはたっぷり入っていたけれど、急遽『おばあちゃんの家に行って』とお母さんから言われた。


 詳しいことは分からないけれど、きっとおばあちゃんが私のバイト代を上回る額をお母さんに貸してあげたんだと思う。

 最近のお母さんは特に金欠で、今まで以上にイライラしていたから。


「……帰りたくないな」


 冷蔵庫に入っていた冷たい水を飲みながら、改めてそう思った。

 どうにかしてこのまま、ここに居続けることはできないのだろうか。


 お母さんは私がいない間、一回でも寂しいって思ったりしたかな。してるわけないよね。

 っていうか、家にすら帰ってないかも。


「……はあ」





 部屋の扉を開ける時、わずかに音を立ててしまった。その音に反応したのか、ひまがゆっくりと起き上がる。


「……月乃?」


 眠そうに目をこすりながら、ひまが私を見て笑った。


「おはよぉ。もう朝?」

「ううん。ちょっと水飲みに行ってただけ。まだ寝てていいよ」


 今の時刻はまだ午前四時。日をまたいで起きていた私達が目を覚ますには、ずいぶんと早い時間だ。


 ベッドに戻ると、再度ひまが抱き着いてきた。柔らかい身体が気持ちいい。


「月乃、だぁいすき」


 甘い声で、ひまが何度も『大好き』と繰り返す。そのたびに泣きたくなるくらい嬉しくなっちゃうことに、ひまは気づいているのだろうか。


 ひまが好き。大好き。

 だから本当は、ひまに相応しい女の子になって、ずっとひまの傍にいたい。


 だけど、それはすごく難しい。

 女の子同士というだけでも大変なのに、私とひまでは家庭環境が違いすぎる。その差を埋められるほどのなにかを私は持っていない。


 私みたいな子と仲良くするだけでも、きっとひまの親御さんは嫌だよね……。


 いつか私が立派な大人になれたら、ひまに好きってちゃんと言ってもいいかな。

 だけどもうその時には、ひまには別の大切な人がいるのかな。


 すやすやと眠るひまの手をとって、薬指を絡める。


「……ひま」


 帰りたくない。ずっとひまと一緒にいたい。釣り合ってなくたって、相応しくなくたって、ひまの隣を他の人に渡したくない。


 私、どんどん我儘になっちゃってる。


 軽く深呼吸をして、そっとひまの額にキスをした。

 これだけ。唇にはしない。だから、どうか許してほしい。


 ひまに幸せをもらうだけじゃなくて、私もひまに幸せを与えられるような人になりたい。


 ぎゅ、とひまを強く抱き締める。全身にキスをしてしまいたい衝動を必死におさえながら、私は眠くもないのに目を閉じた。

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