第44話「未知の対価」

 オアシス都市オルグ。

 活気と砂埃と、そして一攫千金を夢見る者たちの熱気が渦巻く砂漠の玄関口。

 俺は銀色の髪の少女、ルナの手を引き、その喧騒の中を歩いていた。


 長い山脈越えで俺たちの装備も、体力も、そして精神もすり減っていた。

 まずは休息と活動資金の確保。それが最優先事項だ。


『ティア。この街の構造をスキャン。最も安全で目立たない宿。そして換金レートの良い取引所をリストアップしろ』


《了解。ステルスドローンによる広域スキャニングを開始します》


 俺の指示。

 それにティアの滑らかな声が応える。

 拡張モジュールを吸収して以来、彼女の応答は驚くほど人間味を帯びていた。


《……スキャン完了。シン、推奨される宿は三件。取引所は一件です》

《最も効率的なのは冒険者ギルドに併設された換金所でしょう。レートは街の商人よりも三割ほど高い。ですが……》


『……だが、何だ?』


《……シン。あなたとルナのような異質な組み合わせは悪目立ちします。トラブルに巻き込まれる可能性が極めて高い》


『……だろうな』


 俺はルナの小さな手を握り直した。

 フードを目深に被った武装した男。

 そしてその男に怯えるように寄り添う銀髪の少女。

 事情を知らない者から見れば、俺は誘拐犯か人買いにしか見えないだろう。


『だが、金がなければ始まらん。……行くぞ』


 俺たちは街でひときわ大きな建物。

 冒険者ギルドの扉を押し開けた。



 ギルドの中は昼間だというのに薄暗く、酒と汗の匂いが立ち込めていた。

 俺たちが足を踏み入れた瞬間。

 それまで騒がしかったギルドの中が一瞬だけ静まり返った。

 好奇と侮蔑と、そして値踏みするような視線が俺たちに突き刺さる。


 ルナがびくりと体を震わせ、俺の背後へと隠れた。

 俺はそんな視線を全て無視し、まっすぐに受付カウンターへと向かった。


「……換金を頼む」


 俺の低い声に、受付の若い女は一瞬怯んだようだったが、すぐに事務的な笑顔を浮かべた。


「はい。どのようなお品物でしょうか?」


 俺は背負っていたバックパックから、いくつかの素材を無造作にカウンターの上へと置いた。

 天測の塔の周辺で収集しておいた魔物の素材だ。

 硬い甲殻。

 鋭い爪。

 そしてひときわ異彩を放つ水晶のように透明な棘。


「……これは……」


 受付嬢の目が見開かれる。

 彼女は慌てて奥へと声をかけた。


「……鑑定士さん!……ちょっとこちらへ!」


 しばらくして、奥から人の良さそうな初老の男が現れた。

 彼は鑑定用の片眼鏡をかけると、俺が出した素材を一つ一つ手に取っていく。

 そして水晶の棘を手に取った瞬間。

 彼の動きがぴたりと止まった。


「……こ……これは……!?……まさか“クリフハンガー”の水晶棘……!?……馬鹿な、あいつはこの辺りには生息していないはず……!」


 鑑定士の驚愕の声。

 それに周囲の冒険者たちがざわめき始める。

 どうやらかなりの希少品だったらしい。


 その時だった。

 俺たちの背後から下卑た笑い声が聞こえた。


「へっ、そいつはすげぇお宝じゃねぇか。……なぁ、坊主。そのお宝、俺たちに安く譲ってくれよ」


 振り返ると、そこには三人のチンピラ風の冒険者が立っていた。

 その汚れた手がルナの銀色の髪へと伸びる。


「……それに、そっちの嬢ちゃんも一緒に、な」


 瞬間。

 俺の頭の中で何かが切れた。


『ティア。TACTICAL-BUILD』


《了解。……非殺傷弾、ラバーブレットを推奨》


 俺の腰のホルスターでM9が静かにその内部構造を書き換える。

 俺はチンピラがルナに触れるよりも早く動いていた。


 俺は男の腕を掴むと、そのまま背負い投げの要領でカウンターへと叩きつけた。

 そして残りの二人に向かって音もなくM9を抜く。


プシュッ!プシュッ!


 サプレッサーが発するごく小さな音。

 だが放たれたゴム弾は二人のチンピラの鳩尾と膝の皿を正確に粉砕した。

 声も出せず崩れ落ちる二人。

 ギルドの中が再び水を打ったように静まり返った。


 俺はM9をホルスターに戻すと、受付嬢に向き直った。


「……それで、鑑定結果はどうなんだ?」


 俺の静かな問い。

 受付嬢は青ざめた顔で何度も頷いていた。

 その時、ギルドの奥から重々しい声が響いた。


「……そこまでにしておけ」


 現れたのは片目に傷のある巨大な体躯の男。

 このギルドのマスター、オルベックだった。


「……あんた、何者だ?……今の動き、ただの冒険者じゃねぇな」


「……ただの旅人だ」


 オルベックはしばらく俺を値踏みするように見つめていたが、やがてにやりと笑った。


「……気に入った。……嬢ちゃん、そいつらのことはこっちで処理しておく。……それから、あんたのその素材、うちが最高値で買い取らせてもらう」


 冒険者ギルドという場所はどこも同じらしい。

 家柄や噂よりも、目の前で見せつけられた“力”こそが全てを語る。

 俺はそれを一瞬で証明したのだ。


 数十分後。

 俺はずしりと重い金貨の袋を手に入れていた。

 これで当面の活動資金は確保できた。


『ティア。ルナの状態を再スキャンしろ』


《了解。……心拍数、血圧、共に上昇。ですが危険なレベルではありません。……それよりも、シン》


 ティアの声が少し硬質になる。


《……彼女の栄養状態が極めて悪い。長期間、まともな食事を与えられていなかった可能性があります。……このままでは砂漠を越えることは不可能です》


 俺は背後で俺の服の裾を固く握りしめているルナを振り返った。

 その小さな体。


《……シン。提案します。この街で最低でも三日間は休養を取るべきです。……彼女の体力を回復させることが最優先です》


『……分かっている』


 俺たちの旅はまだ始まったばかりだ。

 焦る必要はない。


「……ルナ。行くぞ」


「……どこへ?」


「……飯だ。……腹が減っただろう」


 俺の言葉にルナはこくりと小さく頷いた。

 俺たちはギルドの喧騒を背に再び街の通りへと歩き出す。

 まずはこの小さな相棒の腹を満たしてやらなければならない。

 戦いはそれからだ。

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