第2章:絶体絶命のバレ記念日

 先輩にこっぴどく叱られた日から数日後。会社では、社運を賭けたとまで言われる新プロジェクトのキックオフミーティングが開かれることになった。関係部署のエース級が集まるその会議に、なぜかデザイナーとして私も名を連ねていた。人選、絶対間違ってる。


「佐藤さん、資料の準備はできてる?」

「は、はい! 大丈夫です!」


 声をかけてきたのは、同期の田中由美。明るくて社交的な彼女は、私とは正反対のタイプだけど、一番の友人だ。

「そんなガチガチにならなくても。まあ、高橋先輩もいるし、緊張する気持ちは分かるけど」


 由美が悪戯っぽく笑う。その名前を聞くだけで、私の背筋はまたピンと伸びてしまう。今日のミーティングの進行役は、何を隠そう、あの高橋さんなのだ。考えただけで胃がキリキリする。


「だ、大丈夫だよ」

「ほんとかなー?」


 私は自分を落ち着かせるため、カバンにこっそり付けていたお守りをギュッと握りしめた。それは、VTuber「ルナ・セレス」の記念配信で販売された、数量限定のアクリルキーホルダー。ファンしか手に入れられない、特別なグッズ。これがあれば、いつもの私より少しだけ強くなれる気がした。


 ミーティングが始まり、各部署からのプレゼンが進んでいく。高橋さんは淀みなく会議を進行し、的確な質問を飛ばしている。すごいな、やっぱり。同じ人間とは思えない。

 私の出番は最後の方。心臓が口から飛び出しそうだ。順番が来て、私は震える足で席を立った。


 その時だった。


 カランッ。


 静まり返った会議室に、小さくて、でもやけに響く乾いた音がした。

 しまった、と思った時にはもう遅い。私が握りしめていたお守り――ルナ・セレスのアクリルキーホルダーが、緊張で汗ばんだ手から滑り落ち、床を転がってしまったのだ。


 数人の視線が足元に集まる。まずい。すごくまずい。これはただのアニメグッズじゃない。私の、秘密の証。

 私が拾うより早く、すっと伸びてきた長い指が、そのキーホルダーを拾い上げた。


 心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。

 その手の持ち主は、一番近くにいた、高橋さんだった。


 彼は拾い上げたキーホルダーを一瞥し、そして、何も言わずに自分のポケットにしまった。

 え? なんで? 返してくれないの?

 パニックに陥る私を置き去りにして、会議はつつがなく進行していく。私は結局、しどろもどろのプレゼンしかできず、記憶がないまま席に戻った。


 ミーティングが終わり、皆がぞろぞろと会議室を出ていく。私も早くこの場から逃げ出したかった。でも、できなかった。

 高橋さんが、私のデスクにまっすぐ向かってきたからだ。

 周囲の社員たちが「また佐藤さん、何かやらかしたのか?」とヒソヒソ話しているのが聞こえる。やめて、そんな目で見ないで。


 高橋さんは私のデスクの前に立つと、ポケットから例のキーホルダーを取り出し、そっと机の上に置いた。

 そして、他の誰にも聞こえない、ごく小さな声で囁いた。


「これ、先日の記念配信の限定グッズですよね。俺も持ってます」


 ――え?

 今、なんて?


 私の思考が完全に停止する。彼が何を言っているのか、理解が追いつかない。

 高-橋-さん-が-俺-も-持-っ-て-る?

 意味が分からない。どうしてあなたが、これを?


 高橋さんは、顔面蒼白になっている私の顔と、机の上のキーホルダーを交互に見た。

 そして、静かに、決定的な一言を放った。


「もしかして、佐藤さんが……ルナ様、ですか?」


 その瞬間、私の周りの世界から、すべての音が消えた。

 血の気が、サーッと引いていくのが分かった。

 否定しなきゃ。そんなわけないって、言わなきゃ。

 なのに、喉がカラカラに乾いて、声が出ない。ただパクパクと口を動かし、震えることしかできなかった。


 終わった。

 私の秘密の活動も。

 私の穏やかな(?)会社員生活も。

 全部、全部、終わったんだ。


 高橋さんは、そんな私の絶望を知ってか知らずか、表情一つ変えないまま、静かに私を見つめ続けていた。

 その瞳は、いつもみたいに冷たいはずなのに、なぜか今だけは、違う色を帯びているように見えた。

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