雪女の憂鬱

@namakesaru

雪女の憂鬱

 いやぁ、失敗したわ。


 あのときはさ、美しい男に見えたのよ。いや、実際にいい男なのは間違いない。冷たい息を吹きかけて死なせてしまったおじいさんも、年は取っていたけれど昔は美しい男だったのだろうな、という顔をしていた。


 で、まあ、命を奪うことをしなかった若い男の方よね。巳之吉。いまは、私の亭主。


 私もさ、数百年と一人で生きてきて、ちょっと寂しさを覚えてた頃だったの。それにさ、やっぱり女だもの、人肌恋しくなる時だってあるじゃない。


 大体、わたしなのよ。

 絶世の美女。


 その絶世の美女が美しさを生かすことなく、ただ人の命を奪ってまわるだけなんて、もったいないでしょ? 宝の持ち腐れ。 


 だからときどきはね、好みの男と楽しむことだってしてきたわよ、数百歳だし。いつまでも生娘ぶったってしょうがないでしょ。


 言っとくけどスタイルだっていいんだからね? なんか薄幸の美女をイメージして貧相な体つきだなんて思わないでよね。


 あのときの巳之吉は、それまでに出逢ってきた男たちの中で一番男っぷりが良かった。つまり、好みのタイプだった。思いっきりドンピシャ。

 まだ少しあどけなさを残した顔に、父を亡くした哀しみと不安と、私という美女への憧憬と恐怖をたたえた表情がまた良かったのよ。


 さすがに、いましがた殺したばかりの父親の遺体のそばで色仕掛けも無かったからさ、粉かけるだけかけてその場は引いたの。そして、そのまま忘れちゃうだろうと思っていたのに。


 その、女としての波と重なっちゃったのよねぇ。


 やめとけばいいのに、会いに行っちゃって。そしたら、子供らしさを残していた顔が、しっかりとした大人の男の顔になっていて、まあ、男っぷりがあがっていたのよ。


 悔しいけれど、私の方がはまってしまったのよね…。

 そしてそれが大きな間違いの始まりよ。


 …巳之吉は、好き者だった。


 はじめのころは良かったのよ。

 年齢は置いておいて、気持ちは恋する乙女なんだから。


 でもね、雪女がスクワットしている状態なわけ。そんなに頻繁に汗かくようなことをできるはずないの。


 うわ~、もういいわ、そろそろお暇しましょ、と思っていたら身ごもってしまったのよ。


 まあ、あれだけやることやっていたら当たり前だわね。


 さあ大変。雪女が一人で子どもを育てられると思う? 半分人間なのよ?

 結論として、逃げそびれたのよ。


 子が、腹の中で大きくなるにつれ体温が上がるの。


 子どものために食べにゃならんぞ、と言ってたくさん食べさせてくれるの。貧しいのに、その気遣いは嬉しいわよ? 


 でも、食べると体温が上がるの。


 寒くなってくると、身体を冷やしちゃならんとか言って綿入れを着せてくれるの。寒い方が天国なのに。


 温かいものを食べにゃ、ってちょっとでもいい食材が手に入ったら鍋にしてくれるの。気づかいは嬉しいの。なんて優しい人なのだろうって。


 でも、暑いんだわ。正直、拷問に匹敵するんですよ。


 そして、なんだかんだで赤ん坊が生まれると、その赤ん坊をずっと抱っこしておかなければならないでしょ? 

 これがまた暑いのよ。子どもは体温が高い…。そして、おかあちゃんと寄ってきてはべったりとくっついて離れない…。


 かわいいよ? かわいいんだけど、暑いんだよ。


 そして、腹の中から赤ん坊が出たものだから、巳之吉は喜んで喜んで、これまた、まとわりついてくる。


 これをね、毎年続けている。


 わたしって我慢強かったんだな、と自分に感心するよね。


 だって、いままでは気に入らないことがあれば、気にいらない人間がいれば、ふっと一息でなかったことにしてきたのに。


 クッソ暑い毎日を、クラクラしながら、それでも耐えて生活している。

 子供かわいさ、それだけよ。


 数百年もたった一人だった私に、まさか血のつながった子ができるなんてね、思わなかったから。


 いままで殺めてきたたくさんの人たちにも家族があったんだぞ、心が痛むだろう? と誰か聞いた? それはそれ、これはこれ。だって、私はあくまでも雪女だからね。


 まあね、わが子は間違いなくかわいいわ。どの子にもそれぞれの可愛らしさがある。


 でもさ、もう何人よ? もういい。もう、子をやどすのも、それに至る行為なんかは特にもういい。願い下げ。


 そろそろ、暑さに本気で弱いことに気が付きなさいよ! 


 雪山が恋しい。 子供を連れていくことは出来ないけど、顔を見に山を降りてくることは出来る。


 一番上の子はもうすぐ十になる。どの子とも離れがたくはあるけれど、この調子だとあと何人子どもを産むことになるか、暑さに溶けそうになることか。


 子どもたちの前で、雪だるまよろしくドロドロになんてなれたもんじゃないし。


 また今夜も巳之吉の手が伸びてくるのだろうか。

 もうね、にやけた好色爺にしか見えないのよ。


 昼は暑さに、夜はスクワットにおののく日々が憂鬱でたまらない。

 

 ほんっとうに、失敗した! 顔で選ぶとこうなることもあるってこと、ちゃんと知っておきなさいよ! もう自分にも腹が立つわ。あんた一体いくつよ!


 雪女は怒りながら、しかし憂鬱をかみしめていた。



 ― これから2年後。巳之吉の不用意な言葉に、喜び勇んで家を飛び出すことになる。

 そんな幸せが訪れることを、この憂鬱な雪女はまだ知る由も無かった ―。





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