第8話:死す、碾ぐ、全ての崩壊

汗と鉄の臭気の中で、一、二週間が流れた。闘技場に響く重く単調な斬撃音が、シオン・ブラックソーンの生命の主旋律となっていた。毎日、ガーーヴィン・ドラゴンスパインの機械のように冷たく、時計のように精密な「指導」の下で、最後の一筋の力まで搾り取られる。虎口の裂傷は瘡蓋(かさぶた)となり、また削られ、血痕は訓練用重剣の木製柄に深く染み込み、暗紅色の斑(まだら)を描いた。筋肉は四六時中悲鳴を上げ、骨は何度も引き剥がされ、組み直されるかのようだった。彼は激痛に耐えること、力尽きたところで再び重い鉄塊を挙げることを学んだ。

彼はついに「レベル」と「技巧」の間にある残酷な溝を理解した。レベルとは器のようなもので、力、速さ、耐久力の基礎的な容量を決める。彼のレベル(Lv12——日常の訓練とごく僅かな低級魔物の討伐で苦労して上げた)は浅い皿に過ぎないが、カインら(Lv25+)は既に深淵だった。彼らがより強大なスキルを宿し、より厚い基盤を持つのはそのためだ。そして「技巧」——初級攻撃剣術、初級防御剣術——彼は確かに覚えた。ガーーヴィンの非情な矯正が、力の軌跡、受け流しの角度を強制的に筋肉の記憶に刻み込んだ。だが「覚えた」ことは「習得した」ことではなく、ましてや「精通」ではない。絶対的な速度と力の差の前では、彼の「技巧」は子供が枝を振り回すが如く、拙く滑稽だった。レックス・スライフォックス(Lv23)の度重なる嘲笑(「おっと、我らが『努力家』のクズどもが今日も魔物の爪を顔面で受け止めるおつもりか?」)が、この冷たい現実を彼に刻んでいく。

だが、自暴自棄の翳は既に消えていた。彼を支えていたのは、はかない英雄幻想ではなく、汗と血の瘡蓋に染み込んだ、重い信念だった——強くなる! 檻を引き裂き、エリーを連れて逃げ出すのに十分なほどに! エリー……この名が彼の唯一の支柱だった。しかし、この一、二週間、その紺碧(こんぺき)の影はまるで蒸発したかのように、彼の視界から消えていた。一抹の不安が、冷たい蔦のように、静かに彼の心臓を絡め始めたが、過酷な訓練と儚い希望によって強引に押し込められていた。

虚偽に満ちた宮廷晩餐会の後。 水晶のシャンンデリアの光が鏡のように滑らかな大理石の床に流れ、貴族たちの偽りの微笑みと空疎な社交辞令を映し出していた。シオンは場違いな置物のように隅に縮こまり、この息詰まる場所から一刻も早く逃げ出したいと思っていた。その時、王族の侍女服を着た、表情のない女が無音で彼の傍らに歩み寄った。

「シオン様」侍女の声は抑揚がなく、公文書を読み上げるようだった。「プリンセス様のご命令でございます。ここ二週間の訓練が刻苦奮励、その成果……まあまあのものであったため、相応の『褒美』を下賜される。ついて参られよ」 「褒美……だと?」シオンの心臓が高鳴った。寵愛を受けたという荒唐無稽さと、長く抑圧されてきた渇望が入り混じった感情が湧き上がる。 (プリンセスルート開放か? ずっとエリー路線を進めてきたはずだが…) 彼はほとんど躊躇することなく、侍女の冷たい足取りに従った。

重々しい警備と、通り過ぎるにつれてより一層贅沢(ぜいたく)な装飾が施された回廊を抜けると、空気には濃すぎるほどに薫香(くんこう)が漂い、目眩がした。ついに、彼らは重厚な、金縁(きんぶち)と複雑な薔薇(ばら)の彫刻を施されたオークの扉の前で立ち止まった。侍女は音もなく一条の隙間を開け、シオンに入るよう合図した。

レオナ王女の私室へ足を踏み入れると、最高級の香料、高価な白粉、そして何とも言葉にしがたい、甘ったるくて生臭いような気配が混ざった異臭が鼻を突いた。外の広間の豪華絢爛(ごうかけんらん)とは異なり、ここは異様に薄暗かった。巨大な窓は分厚い深紅のベルベットのカーテンで厳重に覆われている。侍女が背後で音もなく扉を閉め、外界の音を一切遮断した。

部屋の奥、ぽつんと一つの銀製燭台(しょくだい)だけが、揺らめく昏黄(こんこう)の光の輪を落としていた。その光輪の中心で、レオナ王女が雪のように白い毛皮に覆われた長椅子(ソファ)にだらりと寄りかかっていた。複雑な宮廷正装は脱がれ、蝉の羽のような薄さで、ほぼ透けるシルクのネグリジェだけを纏い、衝撃的な曲線を浮かび上がらせている。金髪が滝のように肩に流れ、燭光の下で溶けた黄金のような光沢を放つ。「天使」と称えられる絶世の美貌に、笑っているのかいないのか分からない、だらけた、そして危険な表情が浮かんでいる。

「あら、我らが『勤勉』なる勇者様がおいでなすったわ」 レオナの声は蜜に浸した毒薬のようで、柔らかく滑らかで、かすかな鼻声が混じっていた。彼女はゆっくりと身を起こすと、ネグリジェの肩紐がほんの少し滑り落ち、丸みを帯びた白い肩を露(あらわ)にした。燭光が彼女の碧眼(へきがん)で跳ね、深淵から覗く蛇の瞳のように見えた。

シオンの顔は一瞬で紅潮し、心臓は制御不能に激しく鼓動した。彼は思わずうつむき、直視する勇気がなく、手のひらは瞬時に冷や汗で濡れた。しかしエリーの顔、ミラーーハート湖の夢、そして強くなりたいという執念が、冷たい錨鎖(びょうさ)のように、今まさに暴走しようとする彼の心神を瞬間的に捉えた。 

(今この「童貞」属性が枷(かせ)だ…こんな攻めは魂年齢33歳の童貞には刺激が強すぎる) 

「見上げなさい。私を」 レオナの命令には疑いを許さない魔力が込められていた。 シオンは無理に顔を上げ、視線を必死に王女の顔に集中させ、あまりにも誘惑的な肢体を避けた。 

(ごめん、エリー…耐えてみせる!)

「この間の、あなたの『努力』、ちゃんと見てあげてたわよ」 レオナの指先が自らの滑らかな顎をそっと撫でる。その動きは暗示に満ちている。「ガーヴィンあの無粋(ぶすい)な鐵塊(てっかい)の下で、耐え抜くなんて……まあ、少しは興味深いわね」彼女の口調は施すような賞賛で、新しい玩具を評価しているようだった。 

(まずい、話題を逸らさないと) 

「王国のため、殿下のご多忙を少しでもお助けするためにこそ…」 シオンは必死に声を落ち着かせようとしたが、語尾にわずかな震えが残った。彼はこの「労い」の機会を掴み、生まれ持った勇気を全て振り絞って尋ねた。 「殿下……お伺いしたいのですが……セリーナ、女中のセリーナ・シャドウウィーヴは……彼女は最近どこへ? 些細なことで、お尋ねしたいことがありまして…」彼は質問をさも重要でないように装った。

「セリーナ……だと?」 レオナの口元にあった、だらけた微笑みが一瞬で凍りつき、やがて歪んで、極めて冷たく、悪意に満ちた形相へと変貌した。碧眼は毒を含んだ氷柱(つらら)のようになり、シオンの顔に釘付けにされる。 「お前……彼女のことを訊くだと?」 シオンの心臓が急激に沈んだ。不吉な予感が冷たい潮のように瞬く間に彼を飲み込んだ。

レオナは答えず、優雅に立ち上がると、素足で音もなく部屋の隅にある巨大な、深紫色のビロードで覆われたタンスへと歩み寄った。その動作には猫が鼠をもてあそぶような余裕があった。細い指がタンスの扉の真鍮(しんちゅう)の取っ手にそっと触れる。 「彼女がどこへ行ったのか知りたいのね?」レオナの声はふわふわと漂い、背筋が凍るほど茶化すような調子だった。「彼女はね……遠くへ『用事』をしにいったのよ」 彼女は力強く扉を開けた!

ゴォォォォーン―――ッ!!

時間が、無形の巨大な手に強く締め付けられたかのように! シオンの瞳孔が一瞬で針の先のように収縮! 脳裏は真っ白! 全身の血液が瞬時に凍りつき、次の瞬間には狂ったように頭頂部へと逆流し、耳をつんざくほどの鋭い耳鳴りを生んだ!

視界が完全に粉砕された!

巨大なタンスの内部には、豪華な衣装が掛かっているわけではなかった……そこにあるのは、狭苦しく、暗赤色の汚れがべったりとついた金属の檻(おり)! 檻の中に、最早人形とも呼べない姿が丸まっていた! 紺碧のメイド服は引き裂かれてボロボロになり、暗赤色、深褐色の乾いた血と生々しい血痕に浸されていた!

露出した皮膚には縦横無尽に鞭打ち痕、火傷の烙印(らくいん)、そして鋭利な刃物で切り刻まれた、肉が反り返ったおぞましい傷跡が刻まれている! いくつかの傷口は今なお温かい血をゆっくりと滲み出していた。

深棕色の髪は凝固した血の塊で一房ずつ絡まり、顔の大半を隠し、ただ腫れ上がって裂けた唇と、かろうじて開いた片目だけが見えていた――その片目には、かつての優しさ、気遣い、恐怖さえもなく……虚ろさ、死のような静寂、そしてシオンを見た瞬間に突如として湧き上がった、瀕死の野獣のような絶望と哀願だけが満ちていた!

彼女の両手は粗悪な鉄鎖で背後に縛られ、足首にも重い枷(かせ)が嵌められ、極めて歪み苦しい姿勢で丸まっていた。

空気中には、強烈な血の臭い、傷口の腐敗した甘ったるい生臭さ、そして排泄物の悪臭が、部屋のもともとの甘ったるい薫香と混ざり合い、卒倒しそうなほどの、地獄絵図のような恐怖の気配を醸し出していた!

「えっ……エ……エリー……」 シオンの喉から、人の声とは思えない、かすれて砕けた息漏れのような呻きが漏れた。彼の全身の筋肉が瞬間的に硬直し、石化したように。目の前の光景が狂ったように回転し、引き裂かれ、粉々になった! 孤児院で転んだ少女が見え、雨の夜に別れのキスをした少女が見え、ミラーーハート湖に映った幸福な笑顔が見えた……そしてそれらが、目の前の地獄絵図によって容赦なく引き裂かれ、覆い尽くされ、血の色の粉末へと碾き潰された! 胃が逆流し、彼は激しく前かがみになったが、吐けるものは何もなく、ただ冷たい胆汁が喉を焼くだけだった。

レオナは傑作を鑑賞するがごとく、興味深げにシオンの崩壊した反応を眺めた。彼女は優雅に身をかがめ、宝石の指輪を嵌めた二本の指を、汚らわしい塵芥(ごみ)を摘むかのように乱暴にエリーの顎に当て、その傷だらけで汚れた顔を、シオンの方へと強引に向かせた。 「よく見なさい、我らが『努力家』勇者様よ」 レオナの声は冷たく刺すように、判決を下すかのような残酷な明晰さを帯びていた。 「セリーナ・シャドウウィーーヴ、豪商の三女、13歳で宮廷に女中見習いとして入り、最終的に私の近侍メイドとなった。無論、彼女にはもう一つの顔があるわ……」 レオナの口元が残忍な笑みを引く。 「黒茨(くろいばら)孤児院の畜生、エリー・ブラックソーン。お前の幼馴染みの……恋人だったかしら?」

エリーは無理やり顔を上げられ、虚ろな視線がシオンの蒼白で畏怖に満ちた顔に触れた瞬間、激しく揺れた。首を振りたがり、否定したがり、早く逃げてと言いたがっているようだったが、腫れ上がった唇と破壊された喉は、「あっ……あっ……」という、破れた鞴(ふいご)のようなかすれた息遣いしか発せられなかった。

「なんて感動的な再会なのかしら」 レオナはエリーの顎から手を離し、彼女の頭が無力に垂れるに任せた。彼女は立ち上がり、シルクのネグリジェの袖口で、エリーに触れた指を嫌悪感たっぷりに拭った。まるで命取りの病菌に触れたかのように。 「さて、親愛なるセリーナ、あるいは、エリー?」レオナの声は突然高く鋭くなり、疑いを許さない威圧を込めた。「この『勇者』の前で、お前がフラウィウスあの老狐(おきつね)の指図で、密かにサラシーン王国へ渡り、一体何をしたのか――ありのまま、吐くがいい」

エリーの身体が激しく震えた。痛みのためではなく、極致の恐怖と絶望のためだ。彼女は苦しそうに顔を上げ、レオナを、そして呆然として魂を抜かれたように立ち尽くすシオンを見つめ、唇を激しく震わせた。 「知……知ら……ね……」彼女は切り傷のような音節を絞り出し、一語一語ごとに血の泡が口元から溢れた。 「知らない……だと?」レオナの笑みが一瞬で凶悪に歪んだ。彼女は精緻なシルクのスリッパを履いた足を強く上げ、檻の鉄格子を思い切り蹴りつけた! ガシャン!! 巨大な金属の衝撃音が密閉された室内に反響し、鼓膜を震わせる! エリーは突然の轟音と衝撃に怯えて体を強く縮め、全身の傷口が引き攣(つ)り、堪えきれない苦痛の呻きを漏らした。 「記憶が薄れてしまったようね」 レオナの声は毒蛇が舌を鳴らすようだった。彼女はゆっくりとシオンの側まで歩み寄り、吐き気を催すほどの甘い香りを放つ冷たい指で、シオンの硬直した頬をそっと撫でると、鋭く檻の中のエリーを指さした! 「それとも、もっと強烈な『刺激』が必要なの? 思い出すための?」 彼女の視線は氷柱のようにシオンを刺した。 「例えば……この役立たずの勇者が、お前の目の前で、ガーーヴィンに骨の一つ一つを捻り砕かれるところを見せてやろうか? まるでゴキブリをひねり潰すように?」 「やめろ―――ッ!!!」 エリーが音程が狂うほどに悲痛な悲鳴をあげた! その声は瀕死の野獣の断末魔のようで、心臓を抉(えぐ)るような絶望に満ちていた! 彼女は必死に顔を上げ、血走った目でシオンを凝視し、次いでレオナを見ると、目には狂気じみた葛藤と……崩壊寸前の屈服が満ちていた。唇が激しく震え、何かを言おうとしているように見えた……

その瞬間!

エリーの首筋、破れた衣襟に半分隠された、あの翡翠色(ひすいいろ)の首飾り――忠誠の枷(かせ)ロイヤルティ・シャックル――が、前代未聞の、心臓が張り裂けそうなほどに刺すような緑光を放ち始めた! 光は狂ったように激しく点滅し、瀕死の心臓の最後の鼓動のように! 光と共に、高周波で鋭い、億万の毒蜂が一斉に羽ばたいているかのような「ブンンブン……」という耳障りな音が瞬時に部屋を満たした!

エリーの身体が突然硬直した! 彼女の目に映っていた葛藤が極致の恐怖と絶望に取って代わられる! 彼女は何かに気づいたようで、絶叫し、もがきたかったが、全てが遅すぎた!

ズブッ……!

派手さはないが、頭皮が痺(しび)れるような鈍い音! 狂ったように点滅していたあの翡翠色の宝石と、それを縛っていた銀の鎖が、エリーの首元で内側へと陥没し、粉砕した! 直ちに! 目を焼くような強烈な惨緑(さんりょく)色の光が、強烈なエネルギーの衝撃波と共に、エリーの首元を中心に、猛烈に迸(ほとばし)り出た!

粉砕!

まばゆい緑光が瞬時に全てを飲み込んだ! 視界には、荒れ狂う、破滅的な気配に満ちた惨緑色だけが広がる!

エリーの頭部は無形の巨槌(おおづち)に叩かれたかのように、不自然な角度で後方へと激しく折れ曲がった! 細い首は緑光が炸裂した中心点で、皮膚、筋肉、血管が粗悪な布地のように瞬時に引き裂かれ、炭化した! 白骨化した、切断された頸椎(けいつい)の断面が見えていた! ぬるりとした、重たい生臭さを帯びた液体(血液、組織液)が、微細な、不気味な緑光を放つ宝石の破片と混ざり合い、噴水のように放射状に後方へと猛烈に飛沫(ひまつ)を跳ね上げた! 一部の温かく粘り気のある液体と細かい破片は、数歩離れた場所に立つシオンの顔や体にまで飛び散った! その温かく粘りつく感触は、死の気配そのものだった!

エリーの身体はまるで骨を全て抜かれたように、ぐったりと檻の中に崩れ落ちた。頭は完全に不可能な角度で傾き、虚ろな目はまっすぐに天井を「見つめた」ままだ。その瞳には、最後の瞬間の極致の恐怖と絶望が焼き付き、かつて優しさと気遣いで満たされていたその眸(ひとみ)から、生命の輝きは完全に消え去っていた。

緑光は瞬く間に消え去り、残されたのは静寂と、空気に漂うより一層強烈な焦げ臭さ、血の匂い、そして奇妙な、焼け溶けた金属のような刺激臭だけだった。

レオナは爆発が起きた瞬間、身体の周囲に自動的に淡金色の魔法障壁を浮かべ、全ての衝撃波、血の気、破片を遮断していた。彼女の髪の毛一本すら乱れていなかった。今、彼女は優美な眉をわずかにひそめ、何か不快な匂いを嗅いだかのように鼻先でそっと扇いだ。彼女は檻の中の急速に冷めゆく損壊した遺骸を、次いでその場に硬直し、顔に温かい血の飛沫を浴びたシオンを見ると、残念さ、嘲笑、そして一抹の退屈が混ざった冷淡な表情を見せた。 「あらまあ……」彼女は肩をすくめ、優雅さが腹立たしいほどで、偽りの憐憫を帯びた声だった。 「これは私のせいじゃないわ。あの『老狐』とだけは切っても切れない縁があるというのにね」 彼女の碧眼がシオンに向き、そこには露骨な悪意と嘲笑が満ちていた。 「本当に残念ね……彼女には……お前に伝えたいことがあったみたいじゃない?」

ゴオオオオオオオオォォォォォォォォ―――ッ!!

シオンの脳裏が、完全に爆発した!

全ての理性、全ての恐怖、全ての躊躇、強くなろうとする思い、逃げ出そうとする考え……それら全てが、エリーの首が後ろへ激しく折れ、緑光が炸裂し、血の飛沫が頬に跳ねたその瞬間に、完全に粉砕され、焼き尽くされた! それに取って代わったのは、魂すら焼き尽くすほどの滔々たる怒り! 果てしなく続く、冷徹な、純粋な殺意だった!

「ぐああああああああああああッ―――――!!!!!」

人の声とは思えぬ、極致の悲嘆と激怒が混ざった咆哮がシオンの喉の奥から炸裂した! 彼の両眼は瞬間的に血走り、真紅に染まった! 全ての力、全ての怒り、全ての絶望が、彼が唯一身につけている攻撃手段――ファイアボールへと狂ったように流れ込んだ! 詠唱なし! 構えなし! 魂の最深部から湧き上がる最も暴烈な意志だけが! 彼は猛然と右手を上げ、掌を、悪魔のようにそこに佇む金髪の姿へと向けた! 空気中の火属性元素(マナ)が前代未聞の速度で、狂乱の様相で彼の掌に集まり、圧縮された! もはや橙赤(とうせき)色でも、白熱(はくねつ)でもない! 凝縮されたエネルギーの核心は、極致の怒りと破壊意志の駆動により、忌まわしいほどに純粋な、極致の虚無の白へと変容していた! 周囲の空気は高熱で激しく歪み、パチパチとはぜる! レオナの嘲笑に満ちた表情に、ついに亀裂が走った! 彼女の碧眼がわずかに見開かれ、一瞬の本物の驚きが走る! この役立たずが、これほど凝縮され、これほど危険な魔力の波動を爆発させるとは思ってもみなかった! 「死ねえええッ―――!!!」 シオンは全身全霊の力を振り絞り、彼の全ての憎悪と絶望を込めた白色の火球を、むごたらしく放り出した! 白い光球は音もなく大気を引き裂き、全てを滅ぼす気配を纏い、レオナの心臓へと一直線に迫る!

しかし―― 白色の火球がレオナの眼前の淡金色の障壁に触れようとしたまさにその瞬間! ヴォンッ! 巨大で複雑な、神聖な威厳を放つ黄金色の魔法陣が、シオンの眼前に前触れなく出現し、弾き出された! それは実体ではないが、最も堅固な堡塁(ほうるい)のように、その白色の火球を瞬間的に阻んだ! 火球が黄金の法陣に激しく衝突! 天を揺るがす爆発もなく! 炎の渦もない! ただ、抗うことのできない、純粋な反作用力が、無形の巨槌のように、シオンの胸を強烈に打ち据えた! 「ぶっ!」 シオンが血を噴き出し、まるで糸の切れた凧のように強く後方へ吹き飛ばされ、冷たい壁に激突し、床へと滑り落ちた! そして彼の全精力を傾けた白色の火球は、黄金の法陣に触れた瞬間、深海へ沈む氷塊のように、音もなく消滅した! 微塵の痕跡さえ残さず! ただ空気に残された歪んだ灼熱(しゃくねつ)が、それがかつて存在した証だった。

シオンは床にへたり込み、胸の激痛に視界がかすんだ。しかしそれ以上に奈落(ならく)の底へ落とす思いだったのは、彼の眼前に浮かぶ黄金色の魔法陣の上を、冷たく無機質な、お馴染みの文字列が高速で流れているのを見たからだ。

神聖加護契約 - ヴェランディル王室拘束条項

第七条:本契約庇護下の者、如何なる形式・手段を以てしても、

    ヴェランディル王室構成員に対する悪意ある攻撃行為を為すべからず。

署名者:シオン・ブラックソーン

立会:唯一神正教 オーレオン大聖堂

発効日:儀式当日

記憶が稲妻のように霧を切り裂いた! あの王宮に初めて招かれた時、厳かで神聖な教会で、神父の詠唱と聖光に包まれながら、希望と畏敬(いけい)を込めて署名したあの「神聖加護契約」――勇者を守り、祝福を与えるとされたその契約が……なんと、最初から仕組まれた、最も邪悪な枷(かせ)だったのだ! 彼を縛り、王室に永遠に反抗できない鎖(くさり)に過ぎなかった! 冷徹な絶望が、どんな傷よりも完全に、シオンの心臓を掴んだ! 「今にして思い知ったか?」 レオナの冷たく、果てしない嘲笑を帯びた声が響いた。彼女は寝間着の襟元を整え、ついさっきの致命的一撃など塵を払う程度のことだったかのように。 「役立たずは所詮役立たずよ。怒りさえも、滑稽で……無力なものよ」 彼女の顔には偽りの驚きはとっくに消え、ただ純粋な、見下すような軽蔑と残忍な愉悦だけが残っていた。 「衛兵! 刺客よ!!」 レオナは突然声を張り上げ、恐怖に満ちた口調で叫んだ。 「この反逆者勇者が私を暗殺しようとしたの! 早く来て頂戴! 誰かッ!!」

(逃げるんだ……)

 よろめきながら立ち上がる。視界は赤く染まる。扉枠、燭台、廊下が耳鳴りが奏でる舞曲の中で回転する。

 重苦しい足音が戦鼓のように遠くから近づき、驚異的な速さで迫ってくる! ガーーヴィン・ドラゴンスパインの鉄壁のような巨躯が、比類なき威圧感と冷たい殺気を纏い、瞬間的に廊下の角に現れた! 氷青色の隻眼が探照灯のように一瞬で廊下と部屋を掃く:

めちゃくちゃに壊された檻、おぞましい姿となったエリーの遺骸、廊下の入口で血を吐きながらへたり込むシオン、そして部屋の中央に立って「恐怖」の表情を浮かべるレオナ王女。 ガーヴィンの視線がシオンに落ちた時、その氷青色の瞳に、初めて明らかな感情の動揺が走った――それは信じられないほどの驚愕であり、瞬く間に火山の噴火のような純粋な激怒へと変貌した! 「不届者め!」 雷鳴のような怒号が炸裂! ガーヴィンは何の詮議もせず、瞬移の如くシオンの面前に現れた! 鋼鉄のグローブを嵌めた巨大な掌が、大気を引き裂く恐ろしい轟音と共に、躊躇することなく、正確無比にシオンの後頸部を強烈に斬り下ろした! ゴキッ!! 歯の浮くような鈍い音! シオンは呻き声すら上げず、視界は完全に闇に覆われた。全ての意識、怒り、絶望は、Lv150の純粋な力が込められ、岩さえ砕くこの手刀の一撃の下で、完全に断ち切られた。彼の身体は破れた袋のように床にぐったりと倒れ、完全に意識を失った。

深淵の闇に飲み込まれる直前、ぼんやりとした視界に映ったのは、レオナ王女の口元に一瞬浮かんだ、冷たく残酷な勝利の微笑みと、激怒で歪みながらも、深い失望と……ある種言葉に尽くせぬ苦痛をたたえた、ガーーヴィン・ドラゴンスパインの剛毅(ごうき)な面差しだった。

闇が、すべてを呑み込んだ。

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