二十世紀梨
大元勇人
第一章 透明な果実のはじまり
明治21年(1888年)、少年・松戸覚之助は、親類の家のごみ溜めで偶然一本の苗木を見つけた。誰にも見向きもされなかったそれを、彼は宝物のように持ち帰り、土を耕し、水を与え、語りかけながら育てた。
やがてその苗木から実った果実は、それまでの梨とは全く違っていた。薄く透明感のある緑の皮をまとい、なめらかな甘みの果肉がしたたり、シャリシャリと切れのよい味が口いっぱいに広がった。
明治37年――果物商の北脇永治がその梨を食べ、思わず言葉をこぼす。
「これは、二十世紀を代表する梨になる……!」
この言葉をきっかけに「二十世紀梨」は名を得て、鳥取の地で本格的に栽培が始まった。鳥取の気候と土壌は梨に理想的で、やがて県全体が一大産地へと成長した。
二十世紀梨は国内で高い評価を受け、やがて海外輸出も始まった。しかし1941年、太平洋戦争が勃発。昭和19年から23年の間は輸出が中断された。
戦後――1949年、フィリピン(マニラ)への輸出が再開された。果実の優れた保存性と上品な食味が武器となり、輸出は拡大していく。
だが、ヨーロッパのある国――ベルギーでは、この梨の存在さえ知られていなかった。
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