第17話 禁足地の白柱

森の攻撃が、さらに激しさを増した。

もし、キノコの胞子が原因だというのなら――胞子をまき散らしながら突っ走るこの猫車びょうしゃこそ、禁足地にとって“有害中の有害”。

追ってくるのも、当然のことだ。


猫車の屋根に何度も何度も大きな音が響いた、しめ縄を叩きつけられているのはわかっているが、攻撃が的確になっているようだ。

その時、猫車の屋根の一部がついに破壊された。

『ヤバイ!ボンさん!屋根が!』

返事のないボンボローニを見ると前に大きく倒れて、ただただ揺れる車体に身を任せている様に見えた。


『大変だ!ボンさんが!』


『え?じゃぁ誰が?』


『カヴァルッチが必死に走ってる!でも血だらけだよ、どうしよう』


『どうしようって言ったって…私に運転しろってこと?』


『そんな事言ったら僕が妹に運転させようとする嫌な兄貴みたいじゃないか!』


ズバン!!!!


破られた屋根の隙間から木の枝が入り込み、一撃でシートに穴を開けて、スッと戻って行った。

カヴァルッチの走りだけでは攻撃しやすいのだろう、ボンボローニが動かない今、猫車が壊されるのも時間の問題だ――そう感じたオランジェット。


前に移動してボンボローニの服の裾を引っ張りながら声をかけるが、返事をする気配が無く、激しい揺れでオランジェットが後部座席に叩きつけられる。クラフティはキノコを抱いたまま、シートを降りて小さく丸くなった。


『ボンさん!ボンさん!』


車内でもみくちゃになりながらも立ち上がり、ボンボローニを起こそうとするオランジェット、上からは木の枝が突き刺してくる、叩きつけられる鞭の様な枝で傷が増えるカヴァルッチ、車体も激しく損傷して来た、ガタガタと聞いたことのない音が鳴り始めて揺れと振動が激しくなった。


『お兄ちゃん!この音なにぃ!?』


『わかんないよ、壊れそうなのかもしれないぞ!しっかり丸まってろ!』


『うん!!』

キノコを抱いてしっかりと頭を内側に入れる様にうずくまったクラフティ。


ガゴン!


激しい破壊音と共に左側後部車輪が砕け散るのが見えた。

嘘だろ!と激しく同様したけれど、兄としてここは落ち着かなきゃカッコ悪いと言う思いがまさり『もともと4輪だから車輪が一個壊れたくらいじゃ倒れないよ、だいじょうぶううううううーーーーーーー!』


ガガがガガ!!!!バカン!


大丈夫と言い切るか否かのタイミングで右後部の車輪が外れ、車軸をガラガラと引きずったかと思うと、車体後部から地面にガツン!と叩きつけられた。

車軸で繋がっているのだから当然ではある。


だが止まることなく、猫車は車体の前部を高らかに掲げ、凄い角度で苔の絨毯じゅうたんを引っぺがしながら走った。

車体が傾く事で上からボンボローニが落ちて来るのが見えた、とっさにオランジェットが身体全体で受け止める。


『おふっ!!!!』


ボンボローニの重さで、背中に背負う如月書店の店主から貰った刀がオランジェットの肩甲骨を激しく圧迫して腕を動かすことが出来ない。


ズガァァァァァァァァァン!!!!!!!!!!


まるでブルドーザーが土を掻きだして進んでいるかのように、猫車は苔と土と石をまき散らしながら進む、その摩擦と、時折ぶつかって来る岩や木の根によって車体そのものがバキバキと音を立てて破壊されて行く、それに加えて大きな木々の激しい攻撃が加わり、カヴァルッチも体力の限界が近づいているようだ、それを決定づけるのは彼の激しい出血で、どんどん車内に血しぶきが飛んでくるからである。


その時が来るにはそう遅くはなかった。


カヴァルッチが力尽き、前のめりに顔面から地面を擦る様に倒れ込む――。


ズザァァァァァッッッ!!!!


その瞬間、猫車びょうしゃは微かに地面に触れていた前輪の方向を失い、まるで命を絶たれた獣のように、重心を崩して斜めに跳ね、地面に突っ伏した。


ドガァァァン!!!!!


車体全体が斜面にぶつかり、凄まじい衝撃音と共に横転する。苔を剥ぎ、土煙を上げながら、車体が地面を転がった。

車内では重力が上下左右に、グルグルと回る。


『ぎゃあああにぃちゃああああん!!!!!』


『ぎゃにぃちゃんってって何だよ!クラフティ!!しっかり掴まってろ!!』


『もう掴まる所ないよおおおおお!!!』


オランジェットはボンボローニの身体を抱いたまま、崩れていく車体の中でなんとか身を守ろうとするが、屋根も壁ももはや「守ってくれるもの」ではなく、「倒壊してくる凶器」と化していた。


それでも、クラフティはキノコを守っていた。小さな身体で、ぐしゃぐしゃになりながらも。


そして――


ガン!!!!!!


最後の衝撃と共に、猫車は斜面を転がり落ちて、ようやく停止した。


あたりは、しん……と静まり返る。


…何も聞こえない。


枝が攻撃してくる音も、しめ縄が叩きつける音も、車体の軋みも。


ただ、土の匂いと、摩擦で焦げた木材の匂いと、そして、血の匂いだけが鼻についた。


『いつつつ……クラフティ……生きてる?』


『うん……なんとか……』


クラフティの小さな声が聞こえた。

奇跡的に、まだ意識がある。キノコも無事のようだ。


オランジェットはボンボローニを揺すった。


『ボンさん……起きてよ……頼むよ……!!』


だが、返事はない。

呼吸はある。

けれど、まるで死人のように目を固く閉じたままだった。


そして、何よりも。


――カヴァルッチが、もう動かない。


前方に横たわる彼の身体は、完全に沈黙していた。


あたりの空気が凍りつく。


それでも、立ち止まっている暇はなかった。


森が、静かだったのは一瞬だけ。

すぐに木々が動き始めた音がした。


ゴオ……ッ


息を吹き返したように揺れ、音を立てて静寂した空間を満たす森。


『……来る。』


オランジェットは立ち上がった。


ボロボロの身体で、ボンボローニを車内から引きずり出す。


クラフティは震えながらも、オランジェットを見上げて言った。


『お兄ちゃん……どうするの?』


『……逃げる。生きてあそこを抜ける。』


視線の先には、森の奥に開けた微かな光の筋。


それが「出口」なのかどうかはわからない。


けれど――


それ以外に、生き残る道はなかった。


オランジェットはボンボローニの体を肩に担ぎ上げた。

『ぐぎぎ……』全身の筋肉が、悲鳴をあげる。

肩甲骨のあたりで、如月書店の刀がギリギリと背を圧迫するが――気にしている暇などない。


『クラフティ、立てる?』


『う、うん……たぶん……!』


小さな身体でふらつきながらも、クラフティはキノコを胸に抱きしめ、よろよろと立ち上がった。

その足元は、赤黒い泥と化した土に染まり、どこまでが血でどこまでが汚れなのかも、もう分からない。


『よし……走るぞ。ついておいで。』


オランジェットは振り返らず、ボロボロの猫車をあとにして、森の奥へと歩き出した。

クラフティも、トコトコとその背中を追いかける。


足元はぬかるみ、転びそうになるたびにキノコをかばうため、クラフティは何度も膝をついた。


『お兄ちゃん……!』


その声に、オランジェットは一瞬だけ振り返った。

目の前に広がるのは、相変わらずの深い森。

だが、その奥に確かに「光」が見える。


それは希望なのか、罠なのか。

わからない。けれど。


進むしかなかった。


だが。


――ゴォッ。


再び、森がうねるような音を立てた。


木々が左右に揺れ、根を軋ませる。

まるで森そのものが、「逃がすものか」と言っているようだった。


『クラフティ、走れ!!下を見ないで前だけ見るんだ!!』


『うん!!』


バキバキと、四方から枝が伸びる。

まるで生き物のように、執拗に追いすがってくる。


その時。


オランジェットの肩に乗せられていたボンボローニが、かすかに動いた。


『っ……ボンさん!?』


『……ぅ、う……?』


目をうっすらと開けたボンボローニは、焦点の合わない目で周囲を見回した。


『……まだ……森の中、か……』


『うん、でももうすぐ……出口が見えてる!だからお願い、もう少しだけがんばって下さい!』


ボンボローニはわずかに頷き、再び目を閉じた。

だがその表情には、ほんのわずかに、意志の色が戻っていた。


『……絶対に、抜けるぞ……!』


そして――


その瞬間だった。


ドグン……!


地面が、一瞬持ち上がるような衝撃。


『なにっ!?』


一瞬、足を止めた。


地面が……膨らんでいる?


いや、違う。


なにかが、地面の下で動いている!


クラフティが、キノコを抱きしめながら叫んだ。


『お兄ちゃん!地面!!』


『わかってる!走れ!!』


オランジェットは、光の方向に向かって全速力で駆け出した。

ボンボローニの身体は10歳のオランジェットにとっては重すぎる。

でも、救いたい思いで必死に足を出した。


だがその背後で“それ”が地中から頭をもたげる。


巨大な菌糸の柱。


森の中心に巣食う“何か”が、ついにその姿を現したのだった――。

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