第二章:嘘が、世界を歪ませる

それは、静かに忍び寄る“違和感”だった。


 放課後。

 僕は珍しく図書室に寄る気になれなかった。

 いつもなら、カウンターの手伝いをしてから帰るのが習慣になっている。静かな場所で、同じクラスの図書委員が適当に書いた日誌を読みながら、無意味な時間を過ごすのが、なぜか心地よかった。


 でもこの日は違った。


 あの雷のせいか、心の奥に靄がかかったようで、誰とも顔を合わせる気になれなかった。


 


 通学路をひとり歩いていると、頭のなかでさっきの澪の言葉が何度もリピートされた。


「あなた、昔“未来から来た”って、女の子に言ったことあるでしょ?」


 そんなの、覚えてるはずがない。

 いや、覚えてる。はっきりと。あのとき、自分がどんな声色でその嘘をついたかまで。


 問題は、なぜ彼女がそのことを知っているのかだった。


 


 家に帰りつくと、玄関のドアに小さなメモが貼られていた。

 母からのものだ。夜勤のバイトで出かけるらしい。

 カレーが冷蔵庫にあると書かれていたが、腹は減っていなかった。


 代わりに、机の引き出しを開けた。


 そこには、古い小さなノートがある。小学三年生の頃に書いていた“未来日記”と、誰にも見せなかった“嘘メモ”。

 自分がついた嘘をこっそり記録していたノートだ。



 【3年3組/佐倉晴真】


 ■今日の嘘:

  →「ぼくは未来から来た」

   →未来では、テレビは空中に浮かぶ。

   →明日は雨が降る。

   →君は将来、画家になる。



 その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。


 あの日。泣いていた少女に、僕は確かにそう言った。

 慰めるつもりで、ほんの冗談で。

 でもそれが、彼女の笑顔を引き出した。


 それだけのことだった。はずだった。


 だが――


 ページの隅に書き込まれていた走り書きが、いつのまにか増えていることに気づいた。


「未来は書き換えられる」

「でも、書き換えすぎると“ズレ”が生まれる」

「“あの子”が泣かなくなったのは、いつからだっけ?」


 書いた覚えはない。文字も自分のものじゃない。


 でも確かに、僕のノートに書かれていた。


 


 ***


 


 次の日、登校すると、妙な違和感があった。


 クラスの中に、一人、知らない生徒がいたのだ。


 しかも、誰も驚いていない。教師も、友達も、まるで初めからそこにいたかのように接している。


 男子生徒。背が高くて、目元に絆創膏を貼っている。

 人懐っこそうな笑顔。名前は――上田晃(うえだ・あきら)。


 「佐倉くん、昨日はありがとな」

 そう言って、当たり前のように肩を叩かれた。

 「またゲーム貸してくれよ」なんて言われるけど、僕は彼に一度も話しかけたことがない。


「……誰?」


 心の中で問いかけた直後、頭の奥がキリキリと痛んだ。


 世界が、何かを“修正”している――そんな直感が走った。


 


 昼休み、澪が僕の机に静かにノートを置いた。


 表紙には何のタイトルもなく、開くとそこにはこう書かれていた。



 「君が昨日ついた“嘘”一覧」


 1.天気が霧になる

 2.消しゴムがラッキーアイテム

 3.“昔、未来から来た”ということを言ったことがある

 4.新しい友達がいる(名前は、上田晃)



「――冗談、だよな」


 僕がそう言うと、澪は静かに首を横に振った。


「昨日、あなたが“上田晃”って名前を口にしたの、覚えてる?」

「……覚えてない。そんなこと、言ってない」

「じゃあ、なんで彼は今日“クラスにいる”の?」

「それは……」


「あなたの“嘘”はね、現実になるの。ただ、あなた自身が覚えていないだけ」


 澪は言った。まるでそれが事実であるかのように。


「この世界は、あなたの嘘で少しずつ“書き換わってる”のよ。小さく、でも確実に」


 


 ***


 


 その日の帰り道。

 ふと足元を見ると、アスファルトに消しゴムが落ちていた。


 どこかで見覚えのある、青いカバーのMONO消しゴム。


 拾い上げた瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。


 通知の内容は、たった一言。


 「思い出した?」

 「“あの日の雨”のことを」


 差出人不明。履歴にも残らないメッセージ。


 次の瞬間、空が曇った。

 昨日と同じように。春の空に、あり得ないほど黒い雲が広がる。


 そして、静かに――一滴、雨が降った。

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