第32話 過去から過去へ
「ひいいーっ」という叫び声が、一つ上がった。
「もう、やめよう。いやだよ、こわいよ」
ランは、必死に訴えた。静花も、こくっと頷いた。
「ありがとう、おばば。こんなにも熱心に語ってくれて、本当に感謝するよ。でも、内容が、ちょっと、あんまり、子供向きではないかもしれないねえ」
それに、この怪奇談は、本物だ。それが、はっきりと分かった。
奉公屋ならば、伊庭左中の名は、誰もが知っている。
左中は、既に故人だが、ある日突然、輝龍の父親のもとを訪れて、奉公屋になりたいので稽古をつけて欲しい、そう言って大妖怪に弟子入り懇願した男である。
その昔、下界が誇った最強の奉公屋だ。
熟練奉公屋よりも能力が上の、最高奉公屋だった。
「懐かしい名を拝聴できたよ。その偉業も初めて知った。だからこそ、この話は、子供に語れない。エサに使えないよ」
奉公屋としての直感が働いたのだ。奉公屋に興味を持たれては困るのだ。
「ねえ、おばば、この実話は、奉公屋を育成する小学校、西野小と関係があるんだね?この話は、奉公屋に興味を持たせる為のエサだろう?夜の校舎に興味を持たせる為じゃない。牛若丸と弁慶は、カモフラージュだね?広く知られる名は、興味を引く。一体誰が、七不思議に定着させたんだい?」
ランは、静花を見上げて驚いた。その表情が、あまりにも険しかったからだ。
「あたしは、人間の子供たちを、奉公屋にさせたいわけじゃない。女の子なら、特にそうだ。樊籠小学校には、奉公屋の存在を知ってしまった人間たちが、自分の子供を入学、転入させてる。奉公屋を勧める為の学校とは聞いてない。まさか、奉公屋の企みじゃないだろうね?」
「静花、おまえさんは、実母譲りの優しい子だよ。すまないねえ、今回は、
おばばが、ランへ目を遣った。突然目が合って、ランは、ドキリとした。
「てんで気付いてないようだから、言うけどねえ。静花、おまえさんは今、過去にいる」
老婆が、真っ黒い前歯を見せて笑った。
口は耳まで裂けて、ランを一呑み出来るほど大きかった。
「過去!?」
静花が、目を剥いて、おばばとランを交互に見た。
「この子は、小菊の妹だ。『過去の道に通じる能力』を使って来たね?」
「ワザとじゃないよ!」
ランは、無我夢中で無実を訴えた。
「青だったの!でも、赤い車に撥ねられそうになって、狐に戻ったら、車の上に乗っちゃった。嘘じゃない!」
おばばは、頷いて、静花を見た。
「分かってるさね。静花、おまえさん、いつスピード狂になったかね?」
「なってないよ!そんなバカなこと、するもんか!」
静花が、困惑した表情で嘆いた。
「葬式の後だよ。帰り道、突然、車が走り出したんだ。ブレーキも効かなくなったのさ。それに、なぜか、ここに来なくちゃいけない気がして」
静花は、突如ぎょっとして、おばばを見つめた。
「あたしは、何で、おばばと喋ってるんだい?あたしが出席したのは、おばばの葬式だったのに」
老婆は、大きく溜息をついた。
「はあ、ようやく術に気付いたね。これだから困ったもんだ。おまえさんが心配でねえ。最後に心残りだった。けどまあ、早い話が、逢いたかったんだよ、愛弟子に」
おばばは、目を細めて静花に告げた。
「天代には、恩がある。青信号で、ランを車に乗せる役目、誘拐する大役は、爝火が務める筈だった。
「七区だって!?爝火が手を貸す理由は!?」
静花は、心底驚いて尋ねた。
京の七区を知らない化け狐はいない。ランでさえ知っているのだ。
悪名高く、地獄の鬼より質が悪い、卑劣な連中である。
「死ぬ前の晩に情報が入ったのさ。天代を助けてやりたいが、死にゆく身。力もあるまいて。せめてもと、おまえさんに術をかけたのさ。天鬼没塔、この実話を鵜呑みにするんじゃないよ。牛若丸は、当時、名を馳せた七区の大頭、ギュウジャクガンのことさ。弁慶とは、その妻、ワカチカのことさ。《慶》という漢字は、名付けでは《ちか》と読めるからね」
ランは、黙って聞いていたが、徐々に透き通っていくおばばを見て頭を下げた。
「亡くなった娘の名は、
満足そうな笑みを浮かべつつ、すうっと消えて逝く恩師を見送って、静花は高らかに笑った。
「あははは!なあにが、力もあるまいて、だ!とんでもない
静花は下を向くと、じっと黒留袖を見つめて呟いた。
「過去から過去へ、か。一回目の祭壇に、美酒を供えといて大正解だったよ」
顔を上げた静花と目が合って、ランは頷いた。
「本当は優しいんだね。わたし、食べられると思った。からかわれたの?ねえ、どこからが過去だったの?青のとこ?」
ランは知りたがった。
「過去から戻った車に乗ったのさ。おばばは、一年前に亡くなった。あたしも、葬儀に出たよ。だから今日は、おばばの一回忌だった。それなのに、恩師の葬式に、二度も出席しちまった」
「え?御葬式は二回あったの??」
ランが、目をパチクリさせたので、静花は苦笑した。
「おばばはね、晩年は、チハ様に代わって
静花が、顔を見上げて丸い月を眺めた。
ランも、同じように夜空を見上げて、声を上げた。
「あっ、流れ星!」
流れ星に願いを掛けそびれて、ランが、がっくりしていると、数えきれない程たくさんの流れ星が、夜空を埋め尽くすかのように降り始めた。
「すごーい!」
ランは、再び女の子に化けると、手を叩いて喜んだ。
しかし、静花は、不機嫌な顔で星を睨むと、小声で独り言を言った。
「はた迷惑な怪盗だよ。願い事を叶えるよう強要するんだから、質が悪い。今夜の被害者は、誰だろうね」
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