第5話 「夜の音を聞いている」

 不安には名前がない。

 でもたしかにそこにいて、呼吸をして、時々、胸の奥をぎゅっと掴んでくる。


 灯りを落とした部屋の中、布団の中にいるはずなのに、どこにも安心がなくて体の力を抜こうとするほどに心は逆らう。


 「なんでこんなに苦しいんだろう」


 頭では何も起きていないことを知ってる。

 大丈夫なはずだって何度も自分に言い聞かせてる。


 でも、理屈じゃない。

 夜の不安は黙って足元から忍び寄ってくる。


 音のない天井を見つめて、息をひそめていると、ふと誰かの声が聞きたくなる。


 誰の声でもいいわけじゃない。

 たとえば「大丈夫」と言ってくれるあの人の声。

 あたたかくて、やわらかくて、ちょっと眠たそうな声。


 でも、夜中に連絡なんてできない。

 迷惑かもしれないし、情けない自分を知られたくもない。


 だから結局、誰にも言えないまま、ただ目を閉じるしかない。


 でも——そのとき、どこか遠くで雨の音がした。

 小さな、誰かが泣いているような音。


 耳を澄ますと、その音が、自分の中の不安と重なっていく。


 「ひとりじゃないかもしれない」


 不安に包まれているのは、自分だけじゃない。

 この世界のどこかで、同じように眠れずにいる人がきっといる。


 知らない誰かだけど、その存在を思うだけで、心がほんの少しだけ静かになる。


 そして思った。


 ——いつか、わたしの言葉が、誰かの夜に寄り添えたらいい。


 だから、布団の中でスマホを手に取り、メモ帳にそっと打ち込んだ。


 「今、不安な人がいるなら伝えたい。大丈夫って言葉じゃなくて、ただ、そばにいるよって」


 送信先なんてないのに、なぜかその一文だけで、呼吸が少し整った。


 深く、ゆっくりと。


 夜はまだ長い。でも、朝は必ず来る。


 たとえ雲に隠れても、太陽はちゃんとそこにある。


 眠れない夜を抱きしめながら、目を閉じた。


 ——今夜くらい、不安と手を繋いでいてもいいかもしれない。

 ✦あとがきのようなもの✦

 眠れない夜、不安だけが隣にいるような感覚になることがあります。


 誰にも言えなくて、言葉にできなくて、ただ黙ってやり過ごすことしかできない。

 そんな夜を、わたしも何度も越えてきました。


 この物語は、あなたの夜にそっと寄り添うように書いたものです。

 なぐさめることも、解決することもできないけれど、「あなたの気持ち、わかるよ」と静かに伝えたくて。


 誰かの言葉が、遠くの誰かの不安を少しやわらげることがある。

 あなたがいま感じているその重さも、いつか誰かをあたためる優しさに変わる日がきっと来ます。


 それまでの夜を、一緒に静かに歩けたら。


 明日が、少しだけやさしい光をまとっていますように。

 そして、あなたがあなたのままでいられますように。

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