第6話 後宮 2
シーラがまだ残っていた天陽宮の侍女長──彼女が現在天陽宮における最高責任者であった──に部屋を借りる許可をもらい、一行は、大食堂近くの会議室を借りて、そこでクリスタルの従者たちなどの報告を受けたり、待っていたりしていた。
そこは侍女たちが会議などを行う場所になっているのか、それなりの広さと机と椅子、それに様々な紙が貼られた黒板などが備え付けられていた。
ラケンが最も上座の席、アルナ以下四名がそれぞれめいめいの席に座っているのだが……。
(なんだろうこの居づらさは……)
アルナは椅子に座りながら、あたりを見渡しては、内心ため息を吐いた。
(ヤーデとアイリーンはラケン様を守るように席を占めてあたしたちを威圧しちゃってるし、シーラさんは先程の事以来縮こまっちゃって動けなくなっちゃってる……)
警務隊の少女の方をちらりと見ると、時折こちらを見てはなにか言いたそうにしている。けれども、先のことがあるし、それをラケン様は知らないので、この場で言うわけにも行かない。
(よし、こうなったら……)
アルナはシーラに視線を合わせると、短距離魔法秘匿通信の接続要求を投げた。
即座に、接続した。
ヤーデたちに気づかれないようにすぐに視線を逸らす。
同時に、世界が暗転し、代わりに誰もいない、真新しい建物で周囲が満たされた、ラティアス新市街にあるカフェテラス<リーン>の店内が現れる。
ここは、アルナのお気に入りの<世界>の一つだ。仲良くなった友人などをここに招待し、暇なときなどに語り合うのだ。
驚いたシーラが立ち上がる。けれども、現実の世界では立ち上がっていない。<世界>につながったときに、彼女の意識は<世界>にある仮想の身体の中に入り、実際の身体はアルナが送り込んだ<身代わり>が割り込み、魔杖によって制御されるのだ。これはアルナの身体も同様だ。
「……アルナ、さん?」
シーラは銀髪の魔女が座っている席の側まで駆け寄った。
「やあ。シーラさん」
「ここは……」
「ラティアス新市街にあるカフェテラス<リーン>を模した<情報世界>よ。ここなら私達の会話があの意地悪なお姉さんたちの耳に届くことはないから、安心して何でも言うといいわっ」
「申し訳ありません……」
「いいのよ。ねえ、なにか飲む? このカフェ、カフェラテがとっても甘くて美味しいの。飲む? ……まあ、情報世界の飲み物だから、飲んでも喉の乾きは満たされないけど」
「……じゃあ、それで」
「じゃ、ここに座りましょうか」
「はい」
シーラがそう言ってカフェテラス内の木製の椅子に座ると、即座にガラス製のコップに入ったアイスカフェラテが二人の前にそれぞれ現れた。
「じゃ、飲みましょか。かんぱーい」
「かんぱい」
二人がコップを合わせると、めいめい口にする。
そして、生き返ったというような顔でアルナが、
「くわーっ! この甘さが、たまらないのよね」
と述べた。
シーラも、
「本当に甘いですね、これ……」
と、笑顔で語りかける。それから、急にしゅん、とした表情になって、
「先程は、本当にありがとうございました……」
アルナに詫びを入れた。その詫びに対してアルナは笑いながら、
「いいのよ。別に。だってあいつ、私にも貴女にも失礼なことをしたのですよ? 正直、ビンタ一発では足りないってば。腹に蹴り入れたかったわ」
そう応えては再びラテを飲んだ。
それでもなおシーラは凹んだ様子で応える。
「でも……。ラケン様に親しくしすぎた私も悪いですし……」
「そんな事ないですよ。仕事仲間と親しく会話してコミュニケーションを取るのも仕事のうちですよ? だから気にすることないですよ」
「そう、ですか……?」
「そうよ。あいつらはちょっと独占し過ぎなのよ。ラケン様の恋人だからって」
「……はい」
「……?」
そこでアルナは顔をしかめた。シーラが、何かを隠していることに気がついたからだ。
「ラケン様の恋人」といった時点で、シーラは、何かの背徳感を懺悔するかのように、「はい」と返事をした。ただの背徳感ではない。アルナ自身が、なにか、間違えているような。
そこでアルナはこう問いただした。
「……シーラさん。あいつら、ただのラケン様の恋人じゃないでしょ? というか、ラケン様……、何者?」
彼女の問いに、シーラは両目を大きく見開いて、目を宙に泳がせた。
そして、急に下を向くと、
「それは言えません……。帝室の、後宮の機密事項により、言えないことになっているのです……」
そう弁明して、押し黙ってしまった。
帝室の機密事項。それは事実上、国家の機密事項だ。あんなちゃらんぽらんな自称怠惰な騎士男の正体が国家の機密事項だなんて、ふざけてるもいいところだと、アルナは憤った。
だが。
アルナはウインドウを開け、外の、現実世界の景色を移し、男の姿を覗き見た。
あの優男は今、何らかの報告を聞いている様子であった。彼もまた魔法通信で、クリスタルの従者なり誰かなりの報告を聞いているのだろう。ただの怠惰な男ではないということがわかる。
それほどの能力は持ち合わせているのだ。自分が毎回彼の持ってくる厄介事につきあわされても、付き合い続けるのは自分でもよく分かる。
だからなおさらのこと、自分が惚れかけている男の正体が国家の機密事項だというのはふざけている。
ええい、こうなったら解決した後の報酬に追加だ。あいつの正体を、本人の口から言わせてやる。
アルナはそこまで思うと、優しい口調で口を開いた。
「いいわよそのことに関しては。あたしも聞かないでおきますよ。だから、もういいわよ」
「そうですか……。良かった……」
シーラはほっとため息を吐くと、眼の前に置いてあったラテを一口飲んだ。
さて。
アルナはそこで内心で首をひねった。
何の話をすればいいのだろうか。
あたし達は出会ったばかりなのだから、適当にお互いの出身とか趣味とかそういう話でもしようか。
いやいや。出身地とかの話こそ、地雷だ。あたし自身が出身地の話とかされたくないのだ。自分自身の地雷を踏みながら話す勇気はあたしにはない。
かといって、どうして後宮にやってきたのかという話も、あたしにとっては地雷だ。なぜなら、さらわれてここにやってきたなんて、後宮の闇そのものだからだ。そんな話、彼女も聞きたくはないはずだし。アルナはそう判断した。
結局、仕事の話をするしかないかな。不幸にしてあたしたちが出会ったのがこの事件がきっかけだけど、不運が幸運になることなんて、よくあることだ。
今シーラさんは大事件に巻き込まれて可哀想だし、ここは慰めてあげますか。
アルナはにこやかに笑うと、安堵した様子の警務隊の少女に語りかけた。
「この度は大変だったわね。アレーデ妃殿下以下の皆様に置かれてはご大変な目に遭われて……。貴女もそうだったんでしょ?」
「ええ……。私は交代前に当直室で起きたばかりで、朝食を取ろうとしていたときに、緊急事態の通報が来て……。急いで大食堂に来てみたら、皆様が苦しんでおられて……」
「思い出したくないわよね……」
「で……、皆様方病院に運ばれましたけれども……。あの後、どうなったのでしょうか……」
「あたしが治したわよ」
「え?」
思いがけない言葉に、シーラは目を丸くした。
彼女の驚いた姿を見つつ、アルナは自慢げに言葉を続ける。
「あたしが魔杖で皆様方のクリスタル毒を中和してもとに戻したのよ。どう、すごいでしょ?」
「本当に、ですか……?」
「本当ですよ。でも、カシウス皇子殿下とか、助けることが出来なくて……」
「……」
そこで二人はラテを一口飲み、コップを置いた。しばらく、沈黙がカフェハウス内を支配する。
けれども、アルナは口にしなければならない事があった。今の捜査の現状と、彼女に聞きたいことである。
「……現状、食事にクリスタルの粉末が混入されていたことが原因のようね。でもどこで、どこから粉末が混入されていたのか、今のところよくわかっていないわ。後宮の多くでは、魔族が侵入して食事に粉末を混入したんじゃないかと言われているけど、あたしにはそうは思えなくて」
「何故?」
「ラケン様がおっしゃってた。魔族が帝都や後宮に侵入した形跡がない、と。貴女も知っての通り、帝都には厳重な結界が幾重にも張られているし、魔族が時々開けるゲートポータルも見つけ次第封鎖されていますし。それに、大魔王がまた出てきたとは言え、今の魔族はラティナにとってはさほど脅威ではない。……となると」
「……」
「これは内部の人間の仕業ですよ。おそらくは。別の宮の仕業か外部の王族か貴族か豪商か、それとも騎士家の仕業なのかはわからないけど。……そこでシーラさん。貴女に聞きたいのですが」
「何でしょうか?」
「後宮の食事の納入元って、どこ?」
「……それですか? それだけでいいんですか?」
「……」
シーラは首を傾げた。実は彼女自身、もっと苛烈な質問が投げかけられると覚悟していたのだ。後宮内の人間関係、例えば、宮同士の関係、どことどこが仲が良い、仲が悪い。あるいは、宮内の誰と誰が仲が良い、仲が悪い。そんなゴシップレベルの話をアルナは聞いてくると思っていたのだ。
それが、彼女は実務的な質問を投げかけてきた。シーラにとっては拍子抜けもいいところである。
だから、警務隊の少女は口を開いた。
生徒に説明する女教師のような口調で、シーラは説明する。
「私も納入元が食品などを搬入してくるときの警備に携わったりしているので知識があるのですが、後宮での食品などの物品の購入などは、各宮の独立採算制です。つまり、各宮が納入元と契約を交わして納入することになっています。その納入元は年ごとに入札によって決められ、月ごとに交代制で納入元が変わります」
「……」
「……そして、今月の天陽宮の食品の納入元は、アルカーウィン食品、ケウラマーケット、……そして、セルナーズです」
「……わかったわ」
その一言だけ返して、しばらくした後。
アルナは今までの、不機嫌とも無愛想とも取れる表情から、猛禽類か猛獣が獲物を狙うような目つきになり、歯をむき出しにしていきなり笑い出した。
「クッ、クッ、クッ、クッ、クッ……!」
その不気味な笑いに、シーラは思わず、ヒッ、と声を上げる。
そしてカフェ中に向かって叫ぶ。
「わかりかけてきたぞ……! この事件の謎が……! 犯人が……! 一体誰がアレーデ妃を殺しかけたかが! 待っていろよ! 犯人め!」
叫び終えると、いきなり通信を切断し、元の世界に戻る。
そして椅子から立ち上がると、報告を受けている様子のラケンに向かって叫ぶ。
「……ラケン様、次は旧市街の商人街へと向かうわよ!」
突然おかしなことを言い出したアルナに、ラケンは腰を浮かして尋ねる。
ヤーデも、アイリーンも、彼女の変貌に驚きを隠せずにいた。
「アルナ、なにかわかったのか!?」
銀髪の魔女は、大人しい普段とは異なった、どこか悪人のような形相で、ゆっくりとこう応えた。
「……わかったも何も、尋ねに行くのよ。……アレーデ妃達を殺しかけ、カシウス皇子たちを殺した奴らの元へ」
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