ハッピー・ハイポキシア ~ OSINT解析研究会
お口にチャック
第1話 OSINT解析研究会
1.
森に囲まれたY高校神奈川県高座郡にひっそりと佇むY高校は、まるで町の喧騒から隔絶された別世界のようだった。
学校の周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、木々の間からは時折、鳥のさえずりや風に揺れる葉の音が聞こえてくる。
地元では「狸が出る」「いや、熊が出た」と噂されるほど森は深く、昼間でも薄暗い場所が点在していた。
校内には新旧さまざまな建物が点在し、数年前に新築された真新しい校舎を中心にして、体育館、図書館、記念館、そして朽ち果てた白いコンクリートの旧校舎が、無秩序に配置されていた。
これらの建物のいくつかは、かつて旧日本軍の研究施設だったものを、戦後でドタバタしていた時期に、タダみたいな値段で譲り受けたものであった。
古いコンクリートの壁には銃弾の後が残り、爆撃にも耐えらるよう作られた重厚な鉄扉がその当時の歴史を物語っていた。
校舎のいくつかは、連絡通路で結ばれており、慣れてしまえば、迷うことはあまりなかったが、
一旦に外にでて、森に続く脇道に足を踏み入れると、森の視界の悪さと曲がりくねった小道が方向感覚を狂わせ、迷子になる生徒や先生が後を絶たなかった。外からは見えないが、森の中には遺棄された旧軍の戦車やらなんやらかんやらが、点在していて方位磁石を狂わせるのだ。
入学初日には、森で遭難する生徒が何人も発生し、比較的手の空いている職員による捜索隊が編成されるのが毎年恒例の行事のようになっていた。
Y高校自体は、有名な進学校でもスポーツ強豪校でもなく、制服も特に可愛いわけではなく、平凡な高校ではあったが、
半公半民という珍しい運営形態を持ち、そこに集う生徒たちは、一癖も二癖もある個性的な面々が多かった。
「Y高校の生徒」と聞くと、その実情を知るもの全てが「あっ」と声を漏らすほどだった。
彼らの奇抜な行動や発想は、時に地元の小さな新聞に取り上げられるほどで、SNSには「今日のY高校」など言う専用スレッドが立つ程だった。
生徒たちは生徒たちで、その状況を面白がっていて、「悪名は無名に勝る」と開き直っていた。
教師達も、半数は「個性が大事だ」と大らかに受け止めていて。
残りの教師たちは、考えてる事を止めて、自分の業務に専念していた。
校長に至っては事あるごとに、「うちは生徒の自主性を重んじています。」など言って、虚勢を張ってはいたが、内心は穏やかではなかった。
そんな、Y高校の旧校舎の2階、埃っぽい廊下の突き当たりに「OSINT解析研究会」があった。
「今日も暑いね、校舎と旧校舎も連絡通路で繋がっていればいいのに。」
部長の柏木 美咲美沙(みさみさ)はOSINT解析研究会の部室の鍵を開けると、カバンをいつもの場所に下ろした。友人知人たちからは「ミサ」と呼ばれていて、スマホの「連絡先」には「美咲」か「美沙」か「美紗」とかで登録されていた。赤茶色のくせ毛の髪をポニーテールにしており、オカルトや陰謀論、都市伝説が大好物だった。
何か社会的な事件がニュースで報道される毎に「それって〇〇仕業だよ。」と主張して憚らず、他の二人の部員を辟易とさせてた。
頭は非常によいのだが、ラテン語や東欧諸言語、果てはルーン文字や楔形文字にいたるまで、マイナーな言語に精通していたが。分野が分野だけにいまいち学業の成績には反映されていなかった。
「今日は涼しくなるまで部室に居させてもらおうかな。」
西田 珠子は、ノートを団扇がわりにしてパタパタと仰いでいた。
黒くて長い髪を一つ結びにしていて、部員の中では常識人である。
よく経済や社会のハウツー本を読んでおり、世界情勢にも詳しかった。
美咲の突拍子も無い話を窘める事が多く、よく言い争いになる事も多かったが、傍から見ると猫がじゃれているようにしか見えなかった。
「ごめん・・・ちょっと寝させて。」
藤宮 あおは、部室の自分の席に座るなり、突っ伏して眠り始めた。
見た目は物静かな女の子で、黒いショートカットでものしずかな印象を周囲の人々に与えた。パソコン、マイコンの類に非常に詳しく、他の生徒や他の部活でパソコントラブルが起きた時は非常に便りにされていた。
頼まれると嫌と言える性格ではなく、むしろ頼られるのが「嬉しい」といった性格なので、コーヒーをがぶ飲みして、眠い目をこすりながら、誰かのパソコンをトラブルシューティングしている事が多かった。これといった趣味もなかったが、マインスイーパーはプロ並みの腕前で美咲と珠子をびっくりさせた事がある。
三人は中学生の頃からの友達で、そんな三人が「OSINT解析研究会」に入部したのは、「OSINT解析研究会」が何がどうなったものか「オカ研」と勘違いしたからである。
この部は部員が居なくて長らく活動停止状態だったが、今年になって、この3人が入部し、活動が再開されたのだった。先輩もおらず、顧問のA先生も、OSINTについてはよく判ってなかったので、当の3人も何をやればいいのか判らず。雑談をして過ごす日々が続いていた。
美咲は最初はがっかりしていたが、やがて「OSINT解析研究会」を実質的に「オカ研」にすべく活動を開始した。
とはいっても毎日ネットで真実を漁っているだけの日々だったが。珠子は珠子でひたすらハウツー本を読んでるだけだったし、あおちゃんは電子機器の修理に明け暮れる日々であった。
しばらくは、そんな緩い日々続いた。
2.
初夏が訪れると、Y高校は一気に活気づいた。文化祭のシーズンだ。
この学校の文化祭はただのイベントではなく、学校の名物ともいえる一大行事だった。
準備期間になると、生徒たちは夜遅くまで、時には泊まり込んで作業に没頭した。校舎の窓からは朝方まで煌々と明かりが漏れ、
森の外から見ると、まるで森全体がぼんやりと光っているように見えた。
電動工具の甲高い音や、何かのエンジンが唸る音が深夜まで響き、まるで建設現場か工場のようだった。
もし周辺に民家があれば、騒音の苦情が殺到していただろう。しかし、幸か不幸か、Y高校の周囲には森に囲まれていてなく、騒音を気にする者は誰もいなかった。森に生息する野生動物にとってはとても迷惑だったろう。
文化祭では、部活動ごとの出し物が中心だった。
演劇部は毎年、非常に難解でマニアックな演劇の講演会を行い、演劇マニアの人以外は全く理解できない演劇を発表していた。
科学部は化学薬品を使った実験と言う名の火遊びで、煙と騒音をまき散らし、他の部の顰蹙を買っていたが、他の部の手伝いとしてスモークをたく手伝いをしたりしていたので、何とか許されてはいた。
美術部も、なんだかよくわからないものオブジェを作成する事が多く、よく猥褻だったり暴力的だったりする表現が問題になり、教師をよく言い争いになっていた。
各部が趣向こらした出し物を作成していく喧騒のなか、「OSINT解析研究会」も文化祭で何か企画を出さなければならなかった。
「あおちゃんは?」
部長の美沙が部室に入ってくるなり、珠子に聞いた。
珠子はスマホから目を離さず、淡々と答えた。
「生徒会の手伝いだって。なんか、プロジェクターの設定が分からないって騒いでたらしいよ。」
「ふーん、あおちゃん、PCにとっても詳しいから、みんなに頼られちゃうんだよね。なんだか忙しそうだけど、大丈夫かなあ」
「あおちゃんはさあ、頼られるとイヤとは言えない性格だからなぁ。あんなに色々やってたら、いつか体こわすぞ。」
「今度あおちゃんによく言っておかないと・・・。それとさ、文化祭の企画をそろそろ決めないとダメなんだよね。」
「文化祭?ウチらもなんかやるのか?」
「あたりまえでしょ。一応部活動なんだから。他の部活は、いろいろやってるみたいだよ。演劇部なんて、さっき、ものすごくスモーク炊いていて凄かったなー。」
「それで、ウチらはどんな事やるんだ?」
「それをこれから決めるんだよ。早くあおちゃん帰ってこないかなあ。」
そういうと美沙は窓の外を眺めた。夕日の光が眩しくて、目を細めた。
「最近暑いよね。」
「地球温暖化とかよく聞くけど、そのせいかな。」
美咲は目を輝かせ、突然立ち上がった。
「それじゃさあ、 文化祭の企画は今年は気候変動で人類が滅びる話にしようよ!」
珠子は一瞬、呆気にとられた顔をしたが、すぐに真顔に戻った。
「気候変動か……。確かに今、話題だし、ネットでもトレンドによく上がってるけど、具体的に何をするんだ?」
「気候変動についてを調べてさ、パネルに張り出して展示するんだよ。ほら、最近の夏、すごく暑いでしょ! このままじゃ、地球温暖化で人類滅亡だから、そういうのを調査して展示するんだよ。」
珠子は美咲の提案に感心した。
「けっこういいかもしれないな。」
「たとえばさ、南極の氷が全部溶けたりしたら、関東平野なんて水没しちゃうんだから! 。あおちゃんに、水没した関東平野のCGとか作ってもらってさ、そうすれば、みんなも人類滅亡するって判ってもらえるんじゃないかな?」
珠子は少し冷静になって返答した。
「うーん、でもさ、南極の氷が全部溶けるって、本当に起こるのかな? ちょっと調べた方がいいんじゃないのか。」
「えー、人類は滅びる運命なんだよ。」
「もしそうだとしても、学校の行事なんだから、ちゃんと調べて、科学的に証明されているものを展示しないと。」
「それもそうだなあ。」
そして二人はそれぞれスマホを取り出し、ネットで情報を検索し始めた。
部室は、急に静かになった。
しばらくして、珠子が口を開いた。
「このサイトによると、2100年までに地球の平均気温が2度上昇して、海水面が1メートルくらい上がるらしい。他のサイトも大体似たような数字だな。」
それを聞いて美咲はがっかりした表情になった。
「え、たったの1メートルだけ? それじゃ、関東平野が水没とかしないじゃん。なんか、つまらないなあ。人類滅亡の危機って感じじゃないよ!」
珠子は半ばあきれながら、突っ込んだ。
「そんな簡単に人類が滅亡するわけないだろう。ていうかさ、そういう大げさな事いってるから、他の部から『オカ研』って呼ばれるんだぞ。」
美咲はむしろ得意げに胸を張った。
「オカ研でいいじゃない!。 私、オカルトとか UFOとか、秘密結社とか、気候変動で世界が終わる話とか、そういうの大好物なんだから!」
珠子は呆れ顔で手を振った。
「大好物なのはわかったからさ、マジメに企画決めないと、人類滅亡より先にOSINT解析研究会が滅亡するよ。あおちゃんが帰ってくる前に、なんかアイデアまとめとこうよ。」
美沙は急にしょげてしまった。
「あーあ、人類滅亡しないのか・・・なんかやる気なくなっちゃったなあ」
3.
都内の雑然とした街角に立つ古びた雑居ビルの7階に、新中野興業のオフィスがあった。オフィスの窓から見える街並みは非常に美しく、シティポップがよく似合いそうな眺めである。
その反面、ビル自体は昭和の香りを色濃く残した平凡な建物で、エレベーターも古めかしく、どこからか機械油の匂いが漂ってくるような感じがした。
居抜きで賃貸したオフィスの什器は、どれもこれも古臭く、安っぽいソファはとっくに耐用年数を超えて、誰かが座った跡のような凹みが残っている。
錆びたガラス引き戸のキャビネットには、用途不明の電子機器や、見たこともない奇妙な形状のコネクタ付きケーブルが無造作に放り込まれ、埃をかぶっていた。
壁には、前の会社が張り出した、標語や意味ありげなデータを示しているグラフが、剥がされもせずそのまま残っていた。
床には、書類の入った段ボールが乱雑に置かれて、非常に殺風景だった。
部屋全体に漂うむっとした空気は、クーラーの効きが悪いせいか、息苦しさを感じさせる。
社長の山崎は、額に滲む汗をハンカチで拭きながら、不機嫌そうにクーラーのリモコンを手に取った。30〜40代という感じの彼は、くたびれたスーツにネクタイを緩め、暑さに根をあげていた。
「ねえ、源田くん。このクーラー、壊れてるんじゃないの? めっちゃくちゃ暑いんだけどさ」と、半ば愚痴るように声を上げた。
部屋の隅のデスクで、16インチのノートパソコンを操作する部長の源田は、日焼けした筋骨隆々の男性だった。彼の巨体に比べ、ノートパソコンがまるで玩具のように小さく見える。源田は野太い低い声の、冷静な口調で答えた。
「社長。女性社員から『寒すぎる』というクレームが入りましたので、温度を2度上げました。」
その声音には感情の起伏がほとんどなく、まるで機械のように淡々としていた。
山崎は眉をひそめ、子供のようにはっきりとした不満を口にした。「ねえ、俺、社長だよ? CEOだよ? みんな、社長に合わせるべきなんじゃないの? このままじゃ俺、死んじゃうよ、マジで。」
彼の声には冗談めかした軽さがあったが、どこか本気で暑さに参っている様子がうかがえた。源田は一瞬、ノートパソコンから目を上げ、山崎をチラリと見た。
「社員の福利厚生や就業環境を整えるのも、社長の仕事です。」
その言葉は機械の様に事務的で、反論の余地を与えない響きがあった。言うとすぐに、彼は再びノートパソコンの画面に視線を落とし、カチャカチャとキーボードを叩き始めた。
その様子に、山崎はまるで駄々をこねる子供のような仕草で肩をすくめた。
「俺、ホントに死んじゃうよ。俺が死んだら、みんなどうするんだよ、ねえ!」と、わざと大げさに声を張り上げたが、源田の反応は冷ややかだった。
「そうですね、その時はPMCに知人がいるので、そこで雇ってもらおうと思います。」
その言葉に、山崎は一瞬目を丸くしたが、すぐに諦めたように笑い声を上げた。
「みんな冷たいな。地球温暖化とか言ってるけど、人の心はどんどん冷たくなる一方だ。」
山崎はリモコンをデスクに放り投げ、代わりに手に取った団扇でパタパタと仰ぎ始めた。団扇の動きに合わせて、彼のシャツの襟がわずかに揺れる。
「でもさ、最近ほんと暑いよな。数年前と全然違うよ。暑いっていうか、なんか肌が痛いって感じだよな。」
彼の声には、愚痴と本音が混じったような響きがあった。源田はノートパソコンを操作する手を止めず、淡々と答えた。
「近年は地球温暖化が顕在化していますからね。この気候がこれからの標準になり、昔のような涼しい夏に戻ることはないでしょう。我々はこの状況をニューノーマルとして受け入れるしかありません。」
その言葉には、どこか諦念と現実主義が混在していた。山崎は団扇を動かす手を一瞬止めて、窓の外に広がる夕暮れの空を見やった。
「そういや、昨日のニュースでなんか特集やってたな。2100年に、気温が2度上がって、海が1メートル上がるって話だろ? まあ、1メートルくらいなら大したことないよな。クーラーの設定を2度変えるくらいの感覚か。電気代がバカにならないから、女性社員の皆さんにはもっと寒がりになってもらわないとな!」
彼の声には、深刻な話題を軽く流そうとするような軽快さが漂っていた。
だが、源田は今度は手を止め、真剣な表情で山崎を見た。
「いいえ、社長。気温2度の上昇や海水面1メートルの上昇自体は、確かに大きな問題ではありません。問題はそこじゃないんです。地球規模で渇水が起き、農作物の生産が落ちたり、生態系が崩壊したりすることです。食料危機が全球規模で発生すれば、戦争や内戦もまた全球規模で発生するでしょう。」
その言葉を聞いた、山崎は一瞬、言葉を失ったが、すぐに夕日の残照を眺めながら、独り言のようにつぶやいた。
「そうか、2100年の人たちは大変だなあ。」
その声には、どこか他人事のような響きがあった。
その様子を見て、源田は静かに首を振った。
「いえ、2100年ではありません。早ければ10年以内にそうなります。実際、世界各地で渇水が発生し、食料価格が暴騰しつつあります。被害の大きい地域から順に難民が発生し、被害の少ない地域に殺到するでしょう。当然、紛争が起こります。もしかすると、人類滅亡の危機なのかもしれませんね。」
その言葉を言い終えると、源田は再び、何事もなかったかのようにノートパソコンの操作を再開した。カチャカチャとキーボードの音が、静まり返ったオフィスに響き渡る。
山崎は一瞬黙り込み、クーラーのリモコンを手に取った。
「俺たち以外、みんな帰ったよな?」
「はい、今、会社にいるのは私と社長だけです。」
源田の声は変わらず冷静だった。山崎はリモコンを操作し、クーラーの設定温度を2度下げた。
たちまち、クーラーの動作音が一層大きく響き始め、部屋に冷気が流れ始めた。
「まあ……世界中で紛争になったら、その時は、俺たちのビジネスの出番だろ?」
彼は、なんとも言えない表情で窓の外の素晴らしい風景を眺めた。
夕陽は完全に沈み、西方に残照の光が赤く輝いている。オフィスの窓から見える様々なネオンの光、点滅する信号機、川のように流れる車の赤と白のヘッドライト。山崎はこの街に対して色々と複雑な感情を抱いていたが、この眺めだけは好きだった。
「しかしこの夜景を眺めていると、人類滅亡の危機とか、俺にはとても信じられないなけどな。」
源田もノートパソコンを操作する手をとめて、窓の外の夜景を見つめた。
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