8月8日
この部屋に目覚まし時計はない。
辺りがだんだんと明るくなってきていて、自然に目を覚ました。
外で鳥のさえずりが聞こえる。そこから遠く離れたところで蝉の鳴き声も聞こえている。随分と遠いはずなのだが近くの鳥の鳴き声に負けないくらいに響いている。
目を開けると、本の次の1ページをめくったときのように一気に脳に視界情報が流れ込んでくる。
「っと、……何時だ?」
「8時だよ!」
「うわあああああ!!!!」
急に、目の前にすずが現れた。
「……おい、驚かすなよ。朝から心臓止まるかと思ったわ」
「安心して!止まったらわたしが生き返らせてあげるから!」
と言いながら、ふぅーふぅーと人工呼吸の仕草を見せる。
「心臓止まってまずやることは、心臓マッサージじゃないか?」
「細かいことはいーの、ご飯できてるよ、行こ!」
「良くねぇって!命の一大事だぞ!」
手をふいっと払う仕草をしながら、歩いていくすずを追いかけて客間に向かうと、ちょうど8時、テレビにはニュース番組が映されていた。
「ハハッ、8時まで寝てたのか。今学校に行ってないとは言え遅刻コースだなこの時間は」
とそんな独り言を呟いていると、後ろから声をかけられた。
「今日の朝ごはんは私が用意したよ」
ふんす、と自慢気な表情をして、雪華がお盆を抱えて後ろに立っていた。
「今日はご飯と、目玉焼きと、お味噌汁。パンが食べたい気分とかだったらまた後日かな」
「おう、ありがとな、雪華」
「実は人にご飯作るの初めてだから……」
「やったー!!美味しそうだなぁ雪華ちゃんの手料理!!」
どーん!!とすずが割って入ってくる。「和食だぁ」と目を輝かせて、相変わらず元気すぎるやつである。
「んんっ、人に食べてもらうの初めてなので少し不安ですけど、味は問題ないと思います……」
そう自信なさげに雪華が言った。
「まぁ早速、食べようぜ。俺も楽しみだ」
俺は二人をテーブルの方に誘導する。雪華が食器はもう用意していて、3人分の皿が用意してあった。
「そういや、おっさんは?」
「お父さんは今日は朝から仕事に行きましたよ。私が起きる前にはもう家出てました」
「大変なもんなんだな、あんな時間にも起きてったのに」
「ん?汐音は昨日は起きてたの?」
「ああ、少し目が覚めてな」
「ふーん」
さして興味もなさそうにすずが返事をする。
「にしても、美味しそうだな。雪華が作ってくれたってだけで元気が出そうだ」
「そ、そんなこと言ってないで早く食べちゃってくださいよ」
雪華が少し照れたように目線を逸らしながら言う。
「わ、わかったよ」
と、とりあえずまず、目玉焼きに手を出してみる。胡椒がかけてあるらしい、箸を入れると黄身が半熟で少し溶けだした。
「凄いな、半熟の目玉焼きって作るの難しくないか?」
「少し工程に細かいところはありますけど、きちんと時間も火加減も管理したら簡単ですよ。私、卵は黄身が半熟の方が好きなんです。今はゆで卵の半熟が上手にできるように練習中です」
「十分凄いよ!わたしも半熟の方が好きかも、今度教えてね!わたしも作ってみたい!」
「ふふっ、いいですよ。すずさんって料理できるんですか?」
「うーんしたような感覚はない気がするなぁ。
そうそう、例えばスマホの操作とかは覚えてる気がするんだよね」
そういいながら左手に持っているであろうスマホを想定して、右人差し指をシュシュと動かす。
「だけど、料理って言われるといまいちなにをするのか思い浮かばないかんじがする。もしかしたらしたことないのかも」
「俺たちって、どこまで覚えてるかはわからないんだよな。言われたら思い出せることが多いけど、言われるまでは頭から抜けてるみたいな」
「なんだか、物忘れが多い人みたいな言い方ですね……」
と雪華が少しおどけたように言う。
「そうだ、今日は昨日言ってた通り買い物に行きたいんだが、どうすればいいんだ?」
「流石に街まで行くとなると、徒歩とか自転車で行くような距離じゃないので、電車ですね。ちなみに何を買う予定なんですか?」
「とりあえず困ったものからだな。昨日言ってた歯ブラシとか、
まぁ挙げていくと、服、靴、下着、あと俺はショルダーバッグも欲しいな」
「私も、ポーチ欲しい!」
「ちょうど良かったです、お父さんがお金置いてくれてたみたいなので、よほど高いものを買わない限りは全部買えると思います」
「よほど高いものを買わない限りは全部買えると思うってさ」
俺はすずに向かってそれを復唱する。
「なんでわたし見るの!?別にそんなブランドものに目がないとかじゃないよぉ」
「冗談だって」
「二人とも靴、何足か買いますか?そうだったら少し大きめの鞄持っていきましょうか」
「俺は普通に運動靴……だけで大丈夫だと思う」
「わたしは、サンダルも欲しいかな!」
「念のため大きめの鞄で行きましょうか。もしかしたら行ってから欲しくなるものもあるかもしれませんし」
「荷物持ちは俺に任せてくれ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「二人すっごく仲良くなったね!わたしなんかさみしー」
「お前は騒がしいからな」
「それってどういうこと!?」
「それくらいでちょうどいいってことだよ」
「もう!雪華ちゃんー、汐音が調子乗ってるんだけどー」
「はいはい、そんなことより早く食事を終えて出かけましょう」
「雪華ちゃんまでー……」
俺たちは食べ終わって食器を洗う、拭く、片づけるの3人で分担して出かける準備を素早く終わらせた。
「8時51分に電車がありますから、急いでいきましょう」
今の時刻を見ると8時25分、今から急ぐとギリギリくらいらしい。
玄関の鍵を閉めて俺たちは早足で家を出た。雪華の後ろに二人並んでついていく。
「なんか楽しいね!初めてのお出かけだよ!」
「ああ、にしても俺たち昨日初めて会ったんだよな」
「ん?そうだけど、どうしたの?」
「いや、なんかずっと仲良しだったみたいに馴染んでて。……うまく言えないけど」
「楽しいね!」
そうすずが笑顔でこっちに向いて言った。
想像していたよりも随分早く駅についた。と駅の戸のすぐ目の前で雪華が俺たちの方に振り返る。
「二人は電車の乗り方、覚えてますか?」
「あれでしょ!カードをピッ!って」
自信げにすずがそう答える、俺はこれに関してはあまり覚えてないから言っていることがいまいち理解できていない。
「えーっと切符とかか?」
「二人とも正解ですけど、でも不正解です。ここの駅は無人駅なので、改札じゃないんです。電車が来たら教えますね」
「あ、ああ。あんまり俺電車とか乗ったことないような気がするんだよな。ある意味初めてかもしれない」
そんなことを話しながら踏切の向こうのホームに向かう。ちょうど右に顔を向けると奥の方から電車が走ってきているのが見えた。
「あ!ちょうど電車来たみたいだよ!」
踏切を超えてすぐ「カーンカーン」と警報機が鳴る。すずが駆けてホームに先に向かい、俺たちもそれに早足でついていく。
電車が止まりドアが開く。電車の後方のドアからすずが真っ先に入り、自然な流れで整理券を取った。
「あれ、すずさん知ってたんですね」
「ん-?あ、なんか自然に取っちゃった。これ取ってよかったの?」
自分で取っておいて疑問に思っているすずを俺たちは怪訝に思い、顔を見合わせる。
「……まぁいいです、汐音さんもこれどうぞ」
「ああ、ありがとう」
雪華の差し出した整理券を一枚手に取る。
「運賃表を見てください、私たちが行くのはあそこの駅なので630円ですね」
運賃表示器に行き先が示される。ちょうど10駅先だ。
「10駅先って結構時間かかるのか?なぁ雪華、どのくらいで着くんだ?」
「確か9時半とか、30分なんてお話してたらあっと言う間ですよ」
俺たちは横並びに座った。
電車に揺られ、自然に無言になってしまう。
自分たち以外に乗っている人はいなかったのだが、なぜだろう。
はじめに沈黙を破ったのは、すずだった。
「わああ!!見て、海だよ!!」
「私は流石にもう見慣れてますけど、綺麗ですよね」
線路は住宅街の並ぶ地盤面よりも少し高いところにあって、町の景色と海が一緒に一望できる。避難タワーを囲むように家々が並んでいて、その奥に紺碧の綺麗な海が広がっているといった感じだ。
「海の水平線って結構どこでも見れるけど、どこからの景色も違って見える気がするんだ、わたし」
「同じ海なのにか?」
「だって、……あ、」
と、すぐにトンネルに入ってしまう。
「すずは、この海に見覚えあるのか?」
「わたしは、……この海に。」
すずが少し下に目線を動かした。
このトンネルから出て電車からの景色に海がまた見えたが、すずの瞳にはそれが映っていなかった。
少し考えたあとに、すずがこちらに顔を向けて口を開いた。
「わたしは、この海が好きだよ。一番」
「それ答えになってなくないか?」
「いーのいーの。それよりも、何を買うかもう少し考えよーよ!」
手をパンパンと叩いて話を切り替えるようにすずが催促する。
「じゃあ私は二人の意見をスマホにメモしておきますね」
「雪華ちゃんはほしいものないのー?」
「二人の買い物ですし、私の身の回りのものは揃ってるので……」
「たしかにそれもそっかー」
その返事を聞いて少し寂しそうな声色になるすず。感情の起伏が激しいというべきか、正直なだけというべきか、すずはそのときの感情がそのまま顔や声に出る傾向がある。
「あ、でも、新しい服は欲しいかもしれません」
「一緒にえらぼうね!」
それを察してか、雪華が咄嗟に思いついたようにそう言い、すずがそれを聞いて「ぱああ」と明るくなる。
周りの空気が二転三転する、そんな感じが子どもと接しているときのようで、なんでもなく微笑んでしまう。
「はい、いいのがあるといいのですが」
「雪華ちゃんは好きな服とかあるの?」
「私は……、出かける時がないのでいつも適当なプリントTシャツを着がちなんですけど、白いフリフリがついてるみたいな可愛い服とかちょっと欲しいなって思ってて」
「いいじゃん!絶対似合うし可愛いよ!ね、汐音!」
「ん?あ、ああ」
と、いきなり話を振られて空返事になってしまった。
白いフリフリの服……?どんなのだろう。自分の脳に検索をかけた結果地雷系ファッションしか該当しない。多分違うのだろうけど。
「汐音も服選ぶんだよね」
「ああ、まぁ俺はTシャツとかジーパンあたり適当に選ぶよ。ファッションにこだわりないし」
「えぇ、つまんなーい」
「つまんないと言われても、興味ないものは興味ないしなぁ」
「じゃあわたしが勝手に選んでおいてあげるよ!白いフリフリの服」
「なんでだよ。そのレベルまでこだわりと羞恥がないわけじゃないから、まぁ一緒に選ぼうぜ」
「うん」
そう笑いながらすずは返事をした。
そう買うものの相談をしているうちに駅についた。
途中に見えていた駅はほとんど無人駅だったからか、ついた駅はかなり大きく見える。ホームがきちんとあって、駅員さんがいるのが見える。しっかり街の駅といった雰囲気だ。
「じゃあ窓口で清算して買い物ですね」
整理券は各々が持っていたが、財布を持っているのが雪華にだったから、俺たちはyユキカの後ろをついて行きながらまとめて清算してもらい駅を出た。
駅を出ると、目の前にはタクシーや乗用車、バスなどが止まれるターミナルが広がっていて、夏の照り付ける太陽がアスファルトに反射して顔に熱線が注がれるようだった。
「流石に暑いねー」
すずが手を仰ぎながらそう言う。
「そうだな、帽子とかあった方がいいかもな」
「ここからちょっと歩く予定なんですけど大丈夫ですか?」
「まぁリハビリみたいなものだと思えば気持ちは楽かな」
「ここからお昼になるともっと暑くなりますから、急ぎましょうか」
「おうよ」
「はーい」
「そういえば、同級生ってどのくらいいるの?」
「私ですか?私自身は籍を置いているだけで行ってないのであまり正確なことは言えないですけど、十数人くらいだったかと」
「少ない方、かな。世間的に見たら」
「まぁ町の人口も昔に比べると減ってますし、こっちの地方は全体的にそんな感じだと思います。聞いた話だと合併してるところも多いとか」
「なんとなく自分が思い浮かべた学校だと生徒数が300人くらいいて顔を合わせたかすらわからない、みたいな……」
ん?これは俺の記憶か?なんとなく曖昧すぎる想像のような。
「都会の学校ってそんな感じなんですかね。こっちだと同級生どころか同じ学校の人は全員知り合いって感じで、なんでもかんでも情報が回るのが早くて。
だから正直外に出るのも億劫です。」
「地域のコミュニティが密接すぎるってのも考え物、か。別に仲がいいなら特に問題はないんだろうけど。風邪とか引いたときにみんなが心配してくれそうだし。
300人もいたらやっぱり一人くらいいなくなってもそのうち気にされなくなるような感じだろうか」
「私は気にされない方が楽ですけど、人それぞれなんでしょうね」
「わたしは、……どうだろ。わたしも気にされない方がいいかもしれない」
話を聞いていたすずが意外な答えを出してきた。
「そうなのか?どっちでもすずは元気でいそうな感じはするけど」
「わたしは、友達ひとりひとりに深入りしちゃうタイプだから、もしわたしがいなくなって、その友達がわたし以外に頼る人がいなかったときにさ、
その子がわたしを失ったことで自分の時間まで失ってしまったらわたしは後悔、するから」
「そういう考え方もあるか。でもそんなに自分がいなくなったことを悔やんでくれるなら、その子にとっては一緒にいる時間がそれだけ代えがたい大切な時間だったんじゃないのか?」
「そうじゃなくて……えっと!!もう少し明るい話!!」
突然大声ですずが言う。
「そ、そうですね!汐音さん、服の話に戻るんですけどジージャンとかどうです?」
「え?ジージャン?なにそれ」
「ジージャンまで知らないとかファッションに無頓着すぎるでしょー」
そんなこんなでそのあとはとりとめのない話をしながら雪華の指示通りに進んで行って食料品、服飾、雑貨などいろいろな店舗が集まった大型の複合商業施設についた。
「多分リストのほとんどのものはここで集まると思います、あまり重い荷物にならないものから順番に買っていきましょうか」
「今更だけど、カバン持つよ」
「あ、ありがとうございます」
「で、そしたら最初はどこがいいんだ?服?」
「そうだねー。服は結構時間かかると思うから最初がいい気がする。服と一緒に靴も買う予定でしょ?」
とりあえずの流れで、そのまま入口から左へ曲がってアパレルショップへ向かった。
~~~
「どうかな?これ」
「あー、まぁいいんじゃね」
「もう、汐音だんだん適当になってきてる」
すずが次に試着したのは水色を基調とした、涼しそうなワンピース。
かれこれずっと30分ほど経った。多分服が好きな人にとっては30分は全然物足りないくらいの時間なのだろうが、なにぶん知識もなければ興味もない。
すずの試着を見たいという下心ありきのモチベーションだけで暇に耐えている。
「そうだ、汐音ってかっこいい系とかわいい系どっちの方が好き?」
「ん?それはすずが着るやつのこと?」
「うん、かっこいい系っていうと、ズボンとかにミリタリージレ合わせたりとか。ああ、ズボンじゃなくてもデニムスカートとかはかっこいい印象になるかも」
「はい?何言ってるかわからないけど可愛い系の方が好きだと思う、さっきの水色のワンピースとかは可愛い系?」
「さっきのが良かったの?ならもっといい返事してくれたらよかったのにぃ」
「あんまり俺わかんないし」
「あ、そういえば、汐音のジージャン良さそうなの見つけたから持ってきてあげるね」
「お、おう」
そう言いながらすずはどこかへ歩いて行った。ここに来てから全部の回答が受け身である。人は得意な分野だと饒舌になりがちなのだが、苦手な分野だとこうも喋れなくなってしまうのか。
「ふむ、男女の感性の違いなのか、単純に俺が興味がなさすぎるのか」
いや男女で括ると主語が大きすぎるか。つまり今ここにいるズボラ少年がファッションに目覚めてないだけ。
と、
「あ、すずさんはまたどこかに?」
少し離れたところで服を吟味していたらしい雪華が戻ってきた。
「終わったのか?」
「ある程度は決まったよ、これとか」
そう言いながら白レースのトップスや、ギンガムチェックのブラウスを見せてくる。
他に、左手に抱えている買い物かごにかわいらしい白い柔らかそうな服などが見える。これが言っていたフリフリの服だったのか。
チョイスが少し子どもっぽくはあるが、確かに比較的背丈の低い雪華が着てみればかなり可愛らしいものになるか。
えっと、それとピンクと黒……、ピンクと黒!?おぉ、あんまり見えないけど地雷系ファッションも入ってんのかな。
「そういえば、こんなにあってお金足りるのかな」
「うん、それは大丈夫だと思う……」
そう言いながら長財布を開けて中に入ってるお札を、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉと雪華が数えていく。
ふむ、今更ではあるのだが、この子をあんまり一人にするべきじゃなかったのでは。
「わ、わかったからしまっとけ。こっちが不安になる」
「ふふっ、わかった。あと靴選んできたんだけどどうかな。シンプルなスニーカー」
差し出してきたのは紺色のスニーカーだった。
「汐音さんはどっちかというとデザインより機能性を大事にするかなと思って、白とかは汚れが気になるし」
「おお、よくわかってる」
「もしかしてもう先に他の選んでたりとか……」
「いや、来てからずっとすずの試着見てるだけだから進捗ゼロだったから。」
「ええ……、とりあえず物だけ持ってきちゃったからあっちでサイズ計ってから合う物を……」
「大丈夫だよ!!靴は多分26か26.5あたりと服はМサイズ!!」
「すずさん……」
少し呆れた表情で雪華が後ろに出現したすずを見る。すずの手には何着かの服が盛られていた。
「それが俺に合いそうなやつ?」
「うん!!」
「じゃあそれとで……」
「ダメだよちゃんと試着してみなきゃ。あと!わたしまだ服選び終わってない!」
「えぇ、めんどくさいなぁ。ああ、そういえばすず」
服を両手で掲げる彼女に咄嗟に思いついたことを話す。
「あのさ、会ったときに着てた白いワンピースって……」
そう言いかけたとき、服を戻して続きを言わせないかのように唇に手を当ててきた。
「任せときなさい、言いたいことはわかるから」
すずは、空いている方の手でガッツポーズをした。
数分後……。
「じゃじゃーん、これでしょ」
目の前の光景に目が眩む。彼女はこれ以上に染められない白のワンピースに包まれていて、そのスカートの部分は動きやすいようにか膝下程度の丈で、やたらに大きい麦わら帽子。夏の少女といえばこういうものを思い浮かべる、という概念の具現化で、自分はそれに既視感を覚えていた。
瞬間、……
『海、好きなの?』 『私たち友達になろうよ』
『いい名前だね!』
『このビー玉を今日の思い出にしよう!』
『生きるのを、諦めないで』
『わがままかもしれないけど、私のために生きて』
『好き、だからだよ』
………………
「うっ、」
ドッと、記憶が流れ込んでくる。しかしその光景は脳に結びつかず、写真集をパラパラ漫画のように高速でめくっているようで、何一つ自分の記憶に残らない。
「どしたの?汐音、わたし眩しすぎた?」
「違うわ、明るい性格とかってカンデラの話じゃないから」
「まぁでも、この服は砂浜で目覚めたときのとほぼおんなじだから、麦わら帽子だけ買おうかな」
「まぁ、それでいいと思うよ」
そういいながら、麦わら帽子の裏にある値札を見て「高っ!」とすずが驚いていた。
そこからしばらく20分ほど、自分の試着と雪華が付き合ってくれたおかげで前半戦よりは気持ち楽に服選びに付き合うことができた。
と支払いを終えたあとだったのだが、一角にある呉服コーナーがふと目に入った。
それにすずは興味津々だった。
「見てみて、汐音!浴衣試着だって!」
「ああ、夏祭りの」
「やってみない?」
「やってみない?じゃなくてやってみたい、だろ。俺は着ないんだから」
「そうだった、着合わせだけでもやってみたいなぁ」
「うちに一応お姉ちゃんの浴衣はありますけど、もうずっと放置してるからサイズが合うか、一応店員さんに話は聞いてみるといいかもしれません」
それを聞いてすずが「すみませーん」と言いながら店員さんに話かけにいく。
俺は荷物を持っているので窓側のベンチに座って二人の様子を眺めることにした。
しばらくすると試着が終わったようで、白に赤い華が彩られた浴衣を着たすずが試着室から出てきた。
「どう?汐音?似合うでしょ」
「似合うけど、夏祭りならもう少し軽い浴衣じゃないのか?めっちゃがっつり浴衣じゃん」
「たしかに!」
「一応採寸してもらって、家にあるもので大丈夫みたいなので服はこの辺ですかね」
「ふーん、下駄は?」
「がっつりじゃなくていいって言ったの汐音でしょ、サンダルでいいでしょ」
「そらそうだわな」
そうしてすずが浴衣を脱いでくるのを雪華と静かに待つ。妹と待っているような感じで喋ることもないが特にそれで双方困惑することもないような、自然な距離感。
いや、実際に妹がいたような記憶はないが、妹がいたらこんな感じなんだろうなというのを空気で感じる。
「次は日用品ですけど、歯ブラシはちゃんとドラッグストアで買った方がいいですね。あとはせっかくなので新しく二人の分のお箸とコップも揃えましょうか」
「雪華ちゃん!お揃いにしよーよ!」
終わったらしいすずが後ろからどーん、と雪華に抱き着く。
「嫌ですよ、二人の分って言いましたし、私は自分のが元々あるので」
そんなことを言いつつも、抱き着いてくるのを払わないあたりにすずに対しての扱いに慣れてきている雪華が垣間見える。
あとはホームセンターや100均で、お箸やコップ、安売りされていたショルダーバッグ、ポーチ、ついでに血の染みが取れなかった服のためにオキシドールを買っておいた。
「あとは買いたいものはありますか、この辺りだと本屋とかはあると思います」
「俺はあんまり本読む趣味ないしなぁ……。あ、そうだ。カメラとかってあったりするか?家にあるんだったら別にいいんだけど」
「デジタルカメラですか?家にあるものはちょっと古いと思うのでせっかくなら買っちゃいましょう。ちょうど帰り道に家電量販店があるのでそこで大丈夫ですかね?」
「うん、そこまでのこだわりないし」
「汐音、カメラなんて乙な趣味だねぇ」
「やっぱり、記憶がない自分にとっては自分以外で世界に記憶を残せるものが欲しいなって。もうなくなったあとだから今更だけどさ」
「ふーん、そういうものなのかな」
「そうだ、夏祭りの日。浴衣着たらそのとき撮ってもいいか?」
「わたしの撮影会?お色気シーン?やらしー」
「勝手に話を飛躍させるなよ、普通に撮らせてもらえばいいから」
「別に全然いいけど、せっかく撮るならみんなで映ってる写真がいいな」
「まぁそのつもりもあるから。と、すずはなにか買わなくてもいいのか?」
「うーん、あ!水着!」
「水着ですか?そういえばさっきのお店に水着って売ってなかったですね……」
「どこにあるんだろ」と雪華が小声で言いながらスマホの地図を開く。
「ちょうど家電量販店の方向にカジュアル衣料のお店があるのでそっちかもです」
「奇遇だな、まとめて買って終わらせようか」
~~~
「カメラ、これで」
「結構安いものですけど、あんまり気にしなくても」
「いや、なんとなく色が気に入ったから。自分的に綺麗に映るとか画素が多いとかより撮ってあとで見返せるのがカメラの意義だから」
「ならスマホでいいじゃん」
「おいそこ、あんま正論言うと怒るぞ」
ちぇー、と言いながら口をとんがらせるすずだった。
~~~
「せっかくなので全員分の水着買いましょうか、私ももう学校指定の水着しかないので」
「俺も?あんまり海で泳ぎたくないけど」
と、すずが赤のビキニを右手に掲げながら長考していた。
「ビキニで、しかも赤は派手すぎるだろ」
「水着くらいはっちゃけるものだよ!」
そんなことを言いながらも結局選んだのはすずが黒のレース水着、雪華はフリルのついたワンピース水着、俺は競泳で使いそうな紺色のハーフパンツ型の水着を選んだ。
帰りは、疲れのせいか俺たちは無言で電車に揺られていた。
そのせいか、隣ですずは「スゥースゥー」と静かな寝息を立てていた。
「そろそろ着きますね、起こさないと」
と、
「お母さん……」
すずがそう小さく寝言でつぶやいたのが聞こえた。
「ふふっ、すずさん。夢でも見てるんですかね」
「夢の中では多少なにかを思い出してるのかもな」
……。その時、自分の目にはすずが涙を流しているように見えた。
「ただいまー!」
「私たちしかいないので家には誰もいませんけど……」
「お家に向かって言ってるの、ただいまー!!」
その言葉を受けてか、雪華が感銘を受けたかのような驚きの表情を見せてすずに続いた。
「ただいま帰りました」
それに俺も「ただいま」と続ける。
「ぷはー!!疲れたぁ」
そういいながらすずが和室の畳にベッドインするように飛び込み寝そべる。
自分は客間でとりあえずの荷物を分類して、あと開封と洗濯は……未来の自分に託すことにした。
エアコンのリモコンを操作して、その目の前に座る。こういうのはあまり直に当たると良くないらしいが、どうしようもなく暑いので仕方がない。
しばらくして自分の体力が回復してきたような感じがして、ふと今日する予定だったことを思い出す。
「ちょっと散歩いってくるよ」
「いってらっしゃい」
台所に行くと、エプロン姿の雪華が見えた。どうやらすずは和室で寝ているらしい。
空は明るいがもう夕刻に迫っている。時間を見てくるのを忘れていたが、大体16時過ぎくらいだと思う。
「聞き込みとは言っても……、俺を見たことありませんか?って変過ぎるよな」
うーん。……とりあえず双子の弟を探していて~とか適当にそれっぽい理由をつけて話かけてみるか。
~~~
結果は当然といえば当然、かすりもしなかった。
「もしかしたら空回りなのかもなぁ、次で最後にしようか」
次に見えたのは一般的な木造住宅だった。
ピンポーンと鳴らす。同年代らしい女の子が出てきた。
「こんばんは~」
「あ、こんばんは。その……」
「汐音くん!?もんてきとったが!?」
「え?え?」
興奮した口調を抑えるように、彼女は「んんっ」と咳払いして続けた。
「あたしよ、あたし。花恋、覚えてない?」
「え、えっと。ごめん」
「2年前だよ、2年前。あたしと、怜奈ちゃんと、あなたね、あと夜くんと蓮」
指さしながら、思い出すように言う、最後の蓮って人のやつだけ言い方が雑だったのが少し気になるが。
「2年前、もしかして俺はここに来たことがあるのか?」
「え?何言ってんの?頭飛んじゃったの?」
頭飛んじゃったって……、多分その通りなんだけども。
「えーっと、花恋さん?」
「花恋でいいよっ」
「か、花恋。実は俺、記憶喪失なんだ。もしよかったらその2年前のこと」
「いいけど、みんなは……」
と言いかけて少し考える様子を見せて、花恋は真面目な顔をした。
「ごめん、やっぱダメだよ。記憶がなくなったのはそういう運命だったのかもしれない。それだったらあたしに勝手にその部分を補ってあげる権利なんてない。それに……」
「それに?」
花恋は一度俺の目を数秒眺めたあと、その真面目な顔を解いて愛想の表情を見せた。
「世の中には、知らなかったなら知らないままでいいことだってあるからね」
そういう彼女が見せた笑顔には、悲しさしか感じられなかった。
「にしても、汐音くん。生きてたんだね、ほんとによかった。ぎゅってしてもいい?」
「え、いや……」
唖然とする俺を勝手に抱き寄せた。
「うん、あったかい。幽霊じゃないや」
なんとなく、その抱擁は彼女自身を安心させたいものであったような感じがして、彼女が満足するまで俺はそれを受け入れていた。
「じゃあね、汐音くん。またもし自分で思い出したときが来たら4人ででも……。ああ夜くんもどこいっちゃったかわかんないか」
「あたしはずっとここにいるから、気持ちの整理がついたころにまた来てね」
「うん、また」
……彼女の『気持ちの整理がついたころ』は「俺の」じゃなくて「あたしの」と言っているようにしか聞こえなかった。
ガラガラガラ……と引き戸を開ける。
「おう、おかえり、汐音」
「ただいま、親父」
「早速なんだが、明日は俺の実家の方に帰るぞ」
「おお、まじでいきなりだ」
「スマホを今日早速俺の名義で契約してきたわけなんだが」
親父は小声で「安いやつな」と言う。
「それの受け取りにいくのと、今日服買ったんだろ、多分あの金額じゃ普段過ごすには足りないと思ってな」
「そう、だね。買ったのはどっちかというと外着だから、そういう意味だと足りないかも」
「そこで、だ。今日お前らが行った街のところに携帯ショップがあってだな、しかも実家はそのすぐ近くの山奥だ」
「つまり、ちょうどいいタイミングだと」
「まぁ基本誰もいないとこだが、ここより自然を感じるからなんかの刺激になるだろうよ。雪華以外は乗り気だ」
「いや、雪華以外はすずしかいないでしょ。別に俺も断る意味ないからいいけど」
「じゃあ決まりだな、1泊だけして帰るから心の準備だけしとけ」
心の、準備……?どうやら心を強くして臨まなければいけない場所らしい。
その夜は昨日と同じように、その生活を過ごすのだった。
寝る前、少し寝ぼけていたすずだったが、意を決して聞いてみた。
「なぁ、すず、起きてるか?」
「ん-?」
「花恋って女の子、覚えてるか?」
その質問をしてから、十数秒の沈黙があった。
「……んーん」
「そっか」
もし、これの答えが本当に知っていないのだとしても、答えたくないだけなのであっても俺はそれ以上追究するつもりはなかった。
答えないなら、わからないのなら、それは誰にとっても幸せな答えじゃないのだろうから。
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